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第57話 デートで行く、個室で、人目を気にしない場所、とは。
水族館はとても混んでいて、今まで人が多いところにあまり行かなかった僕には戸惑うこともたくさんあったけれど。
とても、楽しかった。
「っぷは、やば、また思い出した」
「そ、そんなに笑わなくても」
水族館を出ると、もう夕方近かった。結局、丸一日くらい滞在してしまった。あっという間だった。
「いや、だってあんな顔の佑久さん初めて見た」
「えぇ……そんなに……変だった?」
「かなり」
とても、とっても楽しかった。
「つか、本当にあんな臭いだったら、即失神する」
「うん。僕も」
「っぷは」
「また笑う……」
「だって、めっちゃすっごい顔したんだって」
「だって、すごく臭かったから」
「あはははは」
また行きたいと思うくらいに楽しかった。
でも、もう特別展示のはいいかな。
猛毒を持つ生き物を紹介している特別展示だった。その中に、すごく危険な毒虫の出す毒液の臭いを模したものがあって、それを嗅いだんだけど……。本当に本当に、ものすごく、ものすごい臭いで。言葉で言い表せないほどに嗅いだことのない、ものすごい臭いで、僕はその臭いを嗅いだ瞬間、和磨くんに大爆笑されてしまった。
特別展示は一般の常設展示のエリアの奥だったから、僕らは最後の最後にその臭いを嗅いでしまったわけで。まだ鼻の奥にその臭いが残ってる感じがするくらい強烈だった。あの臭いはどうやって作るんだろう。あれは本物じゃなくて、臭いを似せてるわけだから、人が作ったわけで。人が作ったってことは、必ずその人は臭いを嗅いだわけで。
なんて考えると、また変な顔になってくる気がする。
「っぷははは」
もう和磨くんは僕のその変な顔を見た瞬間からずっと笑ってる。
「はぁ、すげぇ楽しかった」
結局、人がたくさんいすぎて、和磨くんはマスクを外せなかった。若い人も多かったから、余計に外せそうになかった。ちょっと、僕はそのこと、失敗してしまったかなって思ったのに。
和磨くんは楽しそうに笑ってくれて。
「佑久さん?」
今、楽しかったって、すげぇって、言ってくれた。
「よかった」
「? 佑久さん」
「楽しかったなら」
「……」
「僕、ちょっとこういう大型連休に出かけたことなかったから、こんなに混んでるって思わなくて。失敗しちゃったと思ったんだ。もっと人が少なくて、マスクも外せて。そしたら和磨くんはリラックスできると思って。でも、全然。それに、和磨くんは水族館初めてじゃないし。だから……でも、楽しかったって言ってもらえて、よかった」
「……」
和磨くんはじっと僕を見て、またマスクの先をちょっとだけ指で摘むと、小さく咳払いをして、またマスクを元に戻した。
「……佑久さん」
「? あ、えとっ、疲れた? よねっ」
ちょっと、なんだか。
「一日マスク、だもの。どこか休みたい、よね」
そう。もう暑くて、夏みたいに暑くて、キャップにマスクはとても息苦しいと思う。だからこそ、水族館にしたんだし。あそこなら暗くて、空調も効いていてマスクも外せるし、キャップだって大丈夫かもとさえ思った。でも、きっと、僕が水族館を選んだのは、それだけじゃない。
君にマスクを外してリラックスしてもらいたい、ってだけじゃない。
「カフェ、とか。ある、かなっ」
君の笑った顔、見たいんだ。
話してる時に、いつも笑ってくれる、あの笑顔が見たいんだ。
僕を見つめる時の優しい表情が見たくて、だから。
マスク、外したとこ、見たくて。
「あー、休みたいかも」
「う、うん」
和磨くんに笑って欲しいなぁって。
「どこか、探す」
「いや、いいとこある。休めて、誰の目も気にしなくて良くて、二人でゆっくりできるとこ」
「…………」
それは、どこだろう。
休める。休憩ができるところ。
誰の目も気にしなくて良いところ。
「ひゃっ、ひゃへっ」
二人でゆっくりできるところ。
「個室で」
「ひゃ」
個室。部屋。
「二人だけで」
「へ……あ」
「ゆっくりできるとこ」
「ひやああああ」
和磨くんが優しくしてくれる時の顔が見たいなぁって。
「っぷ、はっ、あはははは」
「ん、も、お、笑いすぎ、です」
「だって、すっごい真っ赤だったから」
「!」
「ぜええええったい、えっちな場所想像したでしょ」
「え、え、え、ええっ」
「ラブホ」
「! だ、だって、個室で人目を気にしないでいられる場所っていうから」
「っぷははは」
そこでまた和磨くんがたくさん笑った。
「つか、佑久さんラブホなんて知ってるの?」
「し、知ってますっ! これでも僕、和磨くんより五つも年上です! 小説とかに出てくるので」
「あー、うん」
「?」
癖、なのかもしれない。和磨くんの。
たまにマスクの鼻先を指で摘んで、少しだけ大きく息を吐く。そしてすぐに元に戻す。息苦しいのもあるんだろう。今もまたしてる。
「俺、ホント」
「? 和磨くん?」
「佑久さんのこと、好きだよね」
「! ひゃ……ぇ」
和磨くんと目が合って、クスッと笑ってくれて、僕は急に、突然、もらえた言葉に飛び上がって驚いて。頬はきっと真っ赤だっただろう。
「さ、行こっか」
「!」
「個室で人目を気にしないでゆっくりできる場所」
やっと君の笑った顔をマスクなしで見られる。
それがとても嬉しい。
僕も、ホント。
「カラオケー!」
本当に和磨くんのこと、好きなんだ。
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