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第60話 困ったなぁ。
なんて、長い一日だったんだろう。
長いけれど、なんてあっという間な一日だったんだろう。
まるで小説をひとつ一気読みしたような一日だった。
無我夢中で完結まで読み終えて、ふと顔を上げたらもうこんな時間だ、と驚くような、そんな一日。
もう読み終わってしまったと、名残惜しいような。
水族館は混んではいたけれど楽しかった。人生初のカラオケも楽しかった。オオカミサンと歌えたのは一生の想い出だし。
動画にして配信する予定はないと言っていたから、あの時の歌声は僕しか聞いていない。あんなに楽しそうな歌声を僕しか聞いてないなんて。貴重な時間だった。そう言ったら大袈裟だからと和磨くんは笑っていた。
笑っていたけれど、本当に夢みたいな一日だった。今までの僕ならお腹いっぱいすぎるって、思ってたと思う。
でも、僕は欲張りになってしまったみたいだ。
この一日が終わってしまうのはやだなぁと思ってる。
「佑久さんの作る飯すげぇ美味いけど?」
和磨くんと過ごせる一日が終わってしまわないで欲しいと思ってる。
「えぇ、全然普通のご飯だよ。それに炒めてくれたの和磨くんだし」
「いや、俺は炒めただけだし」
あぁ、もうご飯も食べ終わってしまったって残念に思ってる。
「毎日食べたいくらい」
毎日君とこうして過ごしたいって思ってる。毎日、君に会えたらいいのにと思ってる。
「ぁ、りがとう」
ただ、話の流れでそう言ってくれてるだけなのに。僕もです、なんて言いたくなってる。
「……」
そして、今日の僕はきっと少し調子乗りになっている。目が合って、ちょっとだけドキリとした。どうしてか和磨くんには僕の気持ちがちゃんと表情からわかってしまうらしいから。楽しい時、嬉しい時がわかってしまうから、こうして目が合うと、表情を近くで見つめられてしまうと読み取られてしまうかもしれない。
「佑久さん」
「……ン」
キスを交わしながら、そう思った。
「……佑久さんが買ったシャンプー俺も使っていいんだっけ」
「うん……」
調子乗りになってるって。
今日がまだ終わって欲しくないのに、早くご飯の後の食器を片付けて、お風呂に入りたいなぁと思ってる。お風呂入ったら、もうほとんど一日が終わるのに。
あべこべともいうのかな。
ちんぷんかんぷん、というのかもしれない。
終わって欲しくないけれど、早く寝る準備のところまでいきたい。今、一緒に洗っている食器を早くしまって、早くお風呂に入りたい。お風呂にはいってしまえば、一日が終わってしまうのに、でも、そしたら、僕らは――。
「……」
僕は君と、その。
「あ、和磨くん」
ゆっくり終わって欲しいけど、早くちょっとだけ時間が進んで欲しいとも思う。
「……ぁ、の」
お風呂に入って、その。
「ヤバ」
君と、その。
「ど、しよ」
どうか、したの?
「佑久さん」
「ン」
どうしようと言われてしまったから、どうしたの? と問うために和磨くんをじっと見つめて様子を見てあげようと、思った。
「ンン」
けれど、深く口付けられて、近すぎて、よく見えない。
「その顔、めちゃくちゃ可愛い」
「……ぁ」
「佑久さんも、したい?」
「っ」
きっと。
「ね。佑久さん」
世界で一番、今、君の近くにいる。そう思えた。和磨くんの小さな呟き声すらよく聞こえるくらいとても近くにいるから、そっと、僕も小さく呟いた。
「ぅ、ん……」
したいです、って、僕の急ぎ足な鼓動も聞こえてしまいそうなほど、とても近くで、そう、小さな声で呟いた。
「シャンプー、わざわざ若葉んとこで買ってきたの?」
「あ、うん」
お風呂場に和磨くんの声がたくさん響いた。
泡立ちがすごくいいこのシャンプーで頭を洗っていた僕は、振り返って、頷いた。一緒にお風呂入ることにしたけど、僕はさっきからドキドキしすぎてのぼせてしまいそうだ。
「いいのに、仕事の後、行ったの? 遠いじゃん」
「ううん。ついでだったから。ぁ、あの、ついで、って言い方があれだけど、その今日のデートのために服とか買いに行った」
「そうなの?」
「どこも、お洒落すぎて僕、入りにくくて。とりあえず若葉さんのお店に」
僕みたいな地味な人が入ったら、ダサいと笑われてしまいそうで、萎縮していたんだ。
「和磨くんの部屋に泊めてもらった時、シャンプー、借りて」
ふわふわサラサラになった。
「僕の髪、気持ちいいって、言ってくれたから。またそうなりたいなって思って」
「……」
「そしたら、和磨くんとは髪質違うからこっちを勧めてもらって。その時、言われたんだ」
「……」
「その、今のままで大丈夫って」
「……」
「あ、お洒落っていうのは最先端の服を着ることじゃなくて、自分のこと可愛いって思えるかどうか、で、あ、キレイ、もそうで。だから、今日は、若葉さんに言われた通りに髪を乾かして、昨日もしたけど寝たらいつもに戻っちゃったから」
これは今日、最初に話したっけ。
「それで、服は、自分が持ってる中で一番気に入ってるのでいいと教えてもらって。あのTシャツ、僕、気に入ってて」
「……」
「全然高いのじゃないし、人気のお店で買ったとかじゃないけど、肌触りが気に入ってるから。あれ着るとちょっと気持ちがスッキリするというか。なので」
「……」
「そ、それで、僕は自分のことダサいって思うし、地味だなって思うけど」
「そんなこ、」
「でもっ」
でもね。
「和磨くんに、可愛いと思ってもらいたくて」
ふわっと、ふわっと、そう朝唱えながら丁寧に髪を乾かした。
あ。
それも、人生初だ。
「思って、もらえた……みたいで。さっき、あの、可愛いって食器拭きながら言ってくれたから」
人生初、あんなに丁寧に髪を乾かした。
「よかった、です」
「マジで困る」
「?」
「まだ、髪洗ってる最中なのに」
わ。
シャンプーの泡をシャワーで洗い流してしまった和磨くんに見つめられて、心臓が、跳ね、た。
「今すぐ、佑久さんとしたくなるじゃん」
濡れ髪がとてもかっこよくて。
僕も困り、ました。
「コンディショナー、これからなのに」
「ン……和磨、くん」
あわあわな頭なのに、今すぐ、君としたくて。
「佑久さん」
僕も困りました。
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