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第64話 僕の初めて、君の、初めて

 水族館に行ったよ。カラオケにも行った。和磨くんといつもよりも長い時間一緒にいられた。  本当に楽しくて、つい、近藤さんにたくさん話してしまったくらい。  僕にとって初めてこんなに楽しいゴールデンウイークだったんだ。  僕にとっては、ワクワクがたくさんだった。  ――水族館行ったの? へぇ、楽しそう。混んでなかった?  ――混んでた。ものすごく。あんなに混んでると思わなくて、ちょっとびっくりした。  ――ぇぇ? そうなの? 混んでるよー。ゴールデンウイークだもん。椎奈くん、人混み苦手だから、そういう大型連休とかも普通のシフトにしてるんだと思ってた。  カラオケで初めて歌ったことも話すと、近藤さんは少し驚いていた。近藤さんはカラオケが好きらしい。読書会が好きだから、何かそういう声に出して話をするのが好きな人なのかもしれない。でも僕は初めてで、とてもかなり緊張したと話すと笑っていた。  何点だったの? なんて訊かれてきょとんとしてしまった。  カラオケにはどうやら採点機能っていうものがあるらしい。和磨くんは特に点つけたりしなかったからわからなかった。僕はそもそも初めてのカラオケで、アイスクリームの皿への盛り付けすら上手くできないくらい、右も左もわからない超初心者だし。  じゃあ、今度、地区図書の忘年会の時は二次会カラオケにしようって言うから、大慌てで、大丈夫です、遠慮しますって断っておいた。  人前でなんて絶対に歌えそうもないから。  ――でも、混んでても楽しかったならよかったね。  近藤さんはニコっと笑って、今度の夏は他のスタッフみたいに二日とか三日、くっつけて休んでみたらって言ってくれた。みんな帰省だったり家族旅行で夏にお盆とその前後に少し長い休みを取っている。僕は別に予定もないから、取ったり取らなかったり。指定されている日数分をどこかで取ればいいだけで、別に夏だからと有休を使うことはなかったけど。  でも、夏。  いいかもしれない。  和磨くんの予定を訊いて、それで一緒に、とか。  今度、訊いてみようかな。 「あの、すみません。本探してるんですけど……」 「あ、はい。どの本ですか?」 「コンピューターで検索してみたら貸し出し中とかじゃないけど、でも、棚にないっぽくて」 「はい。どの本ですか? タイトル伺えたら調べますよ」  貸し出し中じゃないのに棚にないのなら、きっと別の場所に紛れ込んでしまったんだろう。  高校生、だ。  ここの近くの高校の制服を着ている。  ここは僕の地元ではないけれど、職業体験で司書を選んだ高校生のお世話係りをしたことがあった。その時の生徒さんと同じ制服を着ているから。  問い合わせをすることに少し緊張しながら、彼女は僕のすぐ隣でコンピュータの様子を覗き込んでいる。 「多分、近くにありますよ」  そう言ってから、その棚の近くをじっと見つめた。  探している本のタイトルの字面を頭の中で思い浮かべながら。そしたら。 「はい。これですよね」  ほら、見つかった。 「あ、ありがとうございます」 「いいえ」  彼女のお目当ての本を手渡すと、ちらりと僕の方を見上げて、またパッと視線を伏せて、急足で立ち去ってしまった。 「出た。佑久さんの魔性パワー」 「!」  びっくり、した。 「和磨、くんっ」  突然、背後から聞こえた、僕がきっと一番たくさん聴いた声に驚いて振り返ると、胸の辺りまである背丈の低い、新刊用の本棚の向こう側に肘を置いている和磨くんがいた。 「なっ、どう」  なんで? どうして? って言葉がつっかえるくらいにびっくりした。 「今の子、ぜーったいに、佑久さんの魔性にやられた」 「な、何言って」  帽子を深く被って、マスクもしているけれど。 「思ってる以上だから、マジで」 「和磨くんだけだよ、そんなこと思うの」 「……」 「あっ! 違、そう思うとしたら和磨くんくらいだよ」  ちょっと驚いたように目を見開いて、じっと見つめられて、僕は大慌てで訂正した。なんだか、和磨くんには僕の、その魔性とやらがあるって思ってもらえてるみたいな言い方になったから。僕は持ってない。その自覚があるからと、ちゃんと伝えて。はい、この話題はここで終わりですと、くるりと会話の方向性を急展開させるため、大学がもう終わったのかと尋ねた。  だって、今、まだお昼だよ? ほら、時計。そして今日は会う約束はしていない。もちろん、会う約束がなくても全然会えるのは嬉しいよ。でも、それでも僕は今日、遅番だから、まだずっとずっと終わるの後だよ? なのに。  なのに、もう君がいる。 「大学、まだ午後もあるよ。けど、今、昼だったから、すっげぇすっ飛ばして来た」  何か、あったのかな。午後もあるなら、その講義が終わった後にしないと、また大学に戻らないといけないのにわざわざ? どうして? 「佑久さんに一番に言いたくて」 「?」 「俺、今度、プロのアーティストとコラボする。初だよ。プロとなんて」 「…………」 「ハル、歌ってるプロの人のマネージャーさんから連絡来た。あの、ハルの動画見たらしく、本人が今度、一緒に歌出さないかって」 「…………」 「言ってるって」 「…………えぇぇぇぇっ!」 「ちょっ、シー!」 「! ごめっ」  司書なのにとても大きな声を出してしまった。  僕の人生初で、こんな大きな声を出したかもしれない。しかも静寂でなければいけない図書館で。 「っぷあはははは、すっげぇ、驚いてもらえた」  驚くよ。 「佑久さんに一番に言いたかったんだ」  驚くに決まってる。  水族館に行ったこと、カラオケで歌ったこと、ゴールデンウイークがとても楽しかったこと、それから図書館で大きな声を出したこと、僕の人生初の出来事。他にも、和磨くんに出会ってからたくさんあるけれど。  でも、そんなたくさんの新しいを僕にくれた和磨くんの人生初は、もっとずっとすごくて。もっと驚きがあって、もっとドキドキするものだった。 「びっくりした?」  したよ。とてもした。 「あはは。まだ少し先だけどね。今、新曲作ってるっつってたから」  声が出ないほど驚いた僕がコクコクと急ぎ足で頷くと、和磨くんは春を通り過ぎて、まるで夏の太陽みたいに明るく楽しそうに笑った。

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