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第71話 歌声
耳が、驚いている。
聞いたことのない大音量に驚いている。
イヤホンで音楽に触れることに慣れ親しんだ僕の耳は音の大きさに、驚くばかり。
本の虫はゆっくりゆっくり外の世界を散歩して、今、生まれて初めてライブを見ている。
これはすごいことだ。
とてもすごいことなんだ。
たった一人の人の歌声にこれだけの人が見惚れているなんて。
あんなにたくさんの人が彼の歌を楽しみにしているなんて。
刺激がいっぱいで、ワクワクが溢れるほどで、見るもの全てが星が瞬くように眩しい。
和磨くんに出会ってから、僕の世界は少しずつ、少しずつ広がって。
今、また広がる。
足元だけを照らしていた光の丸がこんなに大きくなるなんて、僕自身ですら想像していなかった。
ほら、僕は今、足元ではなく、前を見つめてる。
君が歌っているステージを見つめてる。
すごい。
それしか言えないくらい。
オオカミサンの歌を聴きたいと思っているたくさんの人たちのうち、今、ここいるのはそのうちの何分の一か、だろうけれど。
なんてすごいのだろう。
お祭りのラストはオオカミサンの屋外ライブ。
夕陽は沈みかけていて、空にはその陽の名残が滲んでる。どこか夏の気配すらする夕暮れ時、夜がやってくる方向からしっとりとした薄紫広がっている。あの日の、桜の下で歌ったあの時は、朝日の薄紫。今は夕暮れの薄紫。
あの日は和磨くんの上に桜が満開に咲いていた。
今日は――。
今日は、星が一つ、瞬いている。
淡くて、でも優しく明るく、そして、夏のように強い日差しのおかげでまだ明るい、初夏の空の色にも負けない。
確かな星の光。
和磨くんの銀色と一番星。
キラキラしていて、目が離せない。
ものすごい大音量が鼓動を揺さぶる。リズムに合わせて心臓も音楽みたいに踊ってる。
一曲目は、僕が初めて聴いたオオカミサンの歌。
和磨くんの大事な金色のイヤホン越しに聴いた声は、今日、この空の下でももっとずっと伸びやかで揺るがない強さがある気がした。
二曲目は僕の好きなアップテンポの歌。
これを聴きながら通勤すると、歩調が音楽に合わさるから、すごく速くなるんだ。おかげでちょっぴりだけれど早く職場に着くことができるんだよって言ってたら笑っていた。
三曲目はアカペラがとても素敵な歌。
和磨くんの声の魅力がたくさん聴けて、僕はとても好きな一曲なんだ。特にラストの掠れた感じはたまらなくて。何度かそこを聴きたいがために巻き戻ししてたくらい。
「じゃあ、次でラストです」
あぁ、もう終わりだなんて。
ほら、きっとみんなもそう思ったよ。えぇ、って残念そうな声がたくさん聞こえてくるもの。
もっと聞きたいよって嘆いてる。
もちろん僕も。
「大事な人に聴いてもらいたいって思いながら歌うんで」
あ、もしかしたら。
もしかしたらなんじゃないかな。
ほら、ね、きっとそうだ。
聴いている人、みんなが今、目を輝かせた。
もしかして、と。
ラストは。
「ハル」
歓声が沸き起こったと同時、耳に馴染んだ序奏が空高く広がった。
何回聴いたかわからないよ。そのくらい聴いたんだ。
きっとそれはここにいる観客の人たちもそうだったんだ。
ほら、タイトルを言った瞬間歓声が沸き起こったもの。
イヤホンでいつも聴いていた音が今、外から聴こえてくる。
わぁ。
わぁぁ。
大好きで、僕にとって大事な歌。
「!」
いいの、かな。
「……」
和磨くん。
「……」
僕を見つめながら、歌って、いいの?
「……」
和磨くんが何度か僕を見つめながら、僕らにとっても大事な「ハル」を歌ってる。
僕はステージ袖、一般の人は入ってはいけないとこでそっと眺めてていいって、チケットをもらえたから、そこにいる。
だから、僕の方を見ていると、横を向いてることになっちゃうのに。
他の人も……いる、のに。
大事な人に、と言って。
僕を見つめて、歌ってくれた。
音楽が届きますように。
歌声が届きますように。
気持ちが伝わりますように。
そう願うように、優しい声が歌ってくれる。どこにいても聞こえるくらいに伸びやかな声で。どこからでも見つけられるほどの眩さで。
見惚れていたら、和磨くんが笑った。
僕はおかしな顔をしていたのかもしれない。
もしかしたら、口をポカンと開けてしまっていたかもしれない。
君が笑って歌って。
銀色の指輪をたくさんしている温かい手が僕に、まるで触れるように伸びて。
「……」
曲が終わったと同時、君が嬉しそうに笑った。僕に。それから、観客に。
「!」
いつの間にか夜の色に変わった空は深い深い青色をしていて、その空にパパパパって、花火が打ち上がった。和磨くんの頭上に光の花が開いて、散って。
あの日は、朝焼けだった。
今日は、夕焼けから夜の空だった。
あの日は、桜が空いっぱいに咲き誇っていた。
今日は、夜空いっぱいに花火が咲いた。
「ありがとうございました!」
大学祭とオオカミサンの初ライブが終わったと同時、わぁっと上がった大歓声。
たくさんの拍手。
空にいた月と、その月のアクセサリーのように輝く星にまで届きそうなほど空高く、その拍手が舞い上がっていった。
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