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第73話 彼のファン

 和磨くんに出会った日、僕は送別会に参加していたんだ。  送別会と大学祭の打ち上げでは目的は全く違うけれど、でも同じように大勢でお酒を飲む席だった。  僕は普段話したこともない人と隣で会話を続けるのがとても苦手で、やっぱり何度か聞き返されてしまうし。申し訳ないけれど早く帰りたくて仕方なくて。  そうそう。  送別会が終わってようやくお店を出た後、そこからみんなが動かなくて、僕は帰りますの一言も、挨拶もタイミングが掴めず、なかなか帰れなかったっけ。  そしたら、電車、各駅停車のに乗ることになって、その電車が安全点検とかで立ち往生して。  あぁ、今日はついてないって思ったんだ。 「す、すごいとこ……こんな場所あるんだ」 「市木崎が幹事だろ?」 「そ。ここなら大勢でも入れて、楽だったし。カウンターの中にいる人に言えば、ドリンクもらえるから」 「は、はい」 「あとで、大学祭の様子もあそこのスクリーンに出すから。和磨のライブも」 「は、はいっ」  レンタルスペースというものなんだって。  お部屋の中がまるでネオン街みたいに煌びやかで、長さがそれぞれ違うチェーン、かな。それで上から吊り下げられている裸電球の明かりがまるで球体のガラスの中に閉じ込められた線香花火みたいに綺麗だ。  壁はレンガ作り。床は白と青色の幾何学模様。壁つたいにずらりと敷き詰められたソファに、色とりどりのクッション。  ここ……、もしかして。 「あ! ここってオオカミサン!」 「あ、知ってる? 去年ここで動画撮ったんだよ」 「懐かしい」  和磨くんがそこであははって笑った。  知ってる。  覚えてる。  派手、っていう感じの歌で、僕みたいなボソボソした話し方をしているようじゃ、歌のリズムにあっという間に置いてけぼりにされてしまいそうな歌。あの動画、ここで撮ったんだ。  感激しているとまた和磨くんが笑って。 「あ、和磨ぁ、ドリンクはぁ?」 「あー」  僕が、まるでお上りさんみたいに周囲をキョロキョロしていたら、一人の女の子が和磨くんに声をかけてきた。  あ。  この人。 「取ってきてあげる」  あの雨の日、傘に入れてあげていた子、だ。 「いや、自分で取ってくるから。佑久さんは?」 「え? あ、えっと」 「いつもみたいにサワーでいい? レモンサワー」 「あ、あの、僕も自分で」 「カウンター混んでるからいいよ、ここで待っててよ」  僕が傘を持っていないと思って、大学まで傘を渡しに行った日に、いた。多分、和磨くんのこと……。 「市木崎は?」 「あ、俺も、椎奈さんと同じので」 「おけー、っていうか、お前は取りにいけよ」 「ついでだろ? それに、椎奈さんの護衛」  確かに、なんて言って笑って、和磨くんが席を立ち、彼女の横を通り過ぎた瞬間。 「!」  すごい、睨まれた。  ギッ、と目元を釣り上げて、すごく、睨まれた。 「ごめんね」 「へ? 市木崎くん?」 「あいつ」 「あ……」  市木崎くんの目線の先に、彼女がいた。 「……いえ」 「悪い子じゃないんだ。和磨が歌えなかった時、すごく心配してあげてたし。だから和磨もあんま言わないっていうか。まぁ、同じ大学の仲間内だし」 「いえ……和磨くんがとても優しい人なの知ってるので」 「あいつの良いところでもあるけど、優しいとこ。けど、椎奈さんはしんどいでしょ? もしもなんかきついこと言われたら俺に言って?」 「いえ……大丈夫です。それに僕、結構はっきり物事言います」 「本当にぃ?」 「ぼ、僕、もう社会人ですよ」 「あはは、そうだった」  市木崎くんは優しく笑う人だ。  そうだった、五つ、年上だったっけ、なんて言っている。  本当に、ちゃんとはっきり、今なら言えると思うんだ。きっと、今、あの日の送別会に参加していたのなら、僕はそろそろお暇しますって、ちゃんと言って、ちゃんと、疲れ様でした、大変おせわになりましたって言えると思うんだ。  和磨くんに出会って、たくさんの経験をして。  若葉さんに出会えて、たくさんのことを教えてもらえて。 「市木崎くん、心配してくれてありがとう」  ぺこりと頭を下げて、和磨くんの背中を眺めた。彼の隣を歩きながら、手を繋ぎながら、僕が触れたたくさんの音楽、景色、気持ちに、自然と表情が緩んでいく。 「……椎奈さんは、和磨が歌わなかった理由って知ってる?」 「え?」 「あ、いや、その辺、知ってるのかなぁって、ふと」 「実は、知らないんです」 「……ぇ」 「とくに和磨くんが話さないから聞いてなくて」 「……」 「でも、話してくれるのなら聞きますし、話さないのなら聞かないです」  どちらでも、ってわけじゃないんだ。ちらりとたまに耳にするそのことが気になってないわけじゃないんだ。でも――。 「和磨くんが今、楽しそうに歌ってくれるのなら、嬉しい」  今日のライブも楽しそうだった。桜の下で、演奏と一緒に歌っていた和磨くんも楽しそうだった。 「もしも和磨くんが今も歌を歌わずにいて、それでも、楽しそうにご飯食べたりしているなら、それはそれで嬉しいし」  一緒に不思議な組み合わせの餃子を食べたり、あっちこっちって色々なレストランに出かけたり。水族館も、映画館も、どこでも。 「なので、知らないんです」  僕は、和磨くんが楽しそうならもうそれだけで胸がいっぱいになるくらい、嬉しいんだ。

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