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第81話 悪い虫と本の虫

 幸せを生まれて初めて、手にとっているように感じられた。  和磨くんに抱き締められると、たまらなく幸せで、離れがたくて、何度も何度も抱き合ってしまった。 「……わ」  夢中すぎて、全く知らなかった。  大変だ。  どうしよう。  全く本当に気がつかなかった。  屋外、だったから、かな。 「佑久さん? 俺も一緒に風呂入るからちょっと待って」 「え、あ、待って」 「いや、危ないでしょ。腰、やばいじゃん。って俺のせいだけど」  待って待って。  本当に待ってください。  どうしよう。タオル。タオルを。  曇りガラスの向こうに和磨くんがいる。あ、脱いじゃってる。  でも、ちょっとダメです。  本当にダメです。 「待、待って!」 「さっき、佑久さん入ってきたじゃん、おあいこだし。つーか、本当に足に力入らないでしょ?」 「大丈夫! 元気! だから、待っ」 「入っちゃったし」  バスルームのガラス扉越しに聞こえていた声が、直に聞こえて、バスルームの中に響いた。と、僕は大慌てで自分の身体をどうにか隠したくて、というよりも首とか、胸の辺りとか、あ、ここも。太ももも? 半ズボン履いてなかったのに。長ズボンだったのに、こんなところもなんて。  なんで。  こんなところ。  痛くないし。痒くないし。  だから蚊じゃないみたいだ。  他にこんなに刺す虫はなんだろう。 「気、気がつかなくて、その」 「……」 「虫にたくさん刺されちゃって。あの、塗り薬を後で借りてもいいですか? その首の辺り、たくさん、ある、ので。赤いの」 「……」 「も、とびひなのかな。いくつもあって。恥ずかしい。というか、僕、さっきは服着てシャワー浴びてて気がつかなかった」  そのあとは君と結ばれることに夢中すぎて鏡とかちゃんと見てなかった。それでなくても、僕、自分の容姿に一ミリも自信がないから、あまり鏡を注視する習慣がそもそもなくて。あ、でも、最近は少しマシになった。和磨くんに少しでも魅力を感じてもらいたくて、頑張って髪をブローしてみたり。  でも、さっきは本当に気がつかなくて。  あ。  あぁ!  もしかして、ううん、そうだ。僕、こんななのに、和磨くんと裸で、たくさん。 「ひゃああ」  こんななのに抱いて、もらって、しまったり、しちゃったんだ。 「あぁ、ごめんなさい」 「…………もしかして」 「あぁ、や、じゃなかった? あの、虫刺されだらけで」 「佑久さん、それ虫刺されだと思ってる?」 「?」 「赤いの、首とか、太ももとか、胸のとことか」 「? はい。虫刺され。と、とびひ、が」 「……」  たくさん真っ赤に残っている痕。  痒くはないです。  痛みも、ないです。 「っぷ、あははははは」 「?」 「いや、それ、違っ」 「?」  なんだろうと、首を傾げたら、和磨くんがぎゅっ口元を結んで笑うのを堪えて。  ブーン。  そう、呟いた。  なんだろうって僕はその様子をじっと見つめていて。 「ここ」 「?」  和磨くんが指差したのは何も赤い虫刺されのない、なんの変哲もない、肌のところ。 「はい、ぁっ……っん、あっ」  そこに和磨くんがキスをした。胸の、平べったいところ。その唇がとても気持ち良くて、さっきまで君がいた身体の奥がキュンって反応した。  またもう一度? と、まるで期待するみたいに。 「……あ」  ちゅ、と音を立てて唇が離れて。 「わ」  和磨くんの唇が離れたら、そこに赤い痕があった。 「悪い虫です」 「!」 「虫刺されだと思ったの?」  だって、赤くて、何かと。 「屋外ライブ、和磨くんの歌に夢中だったから」  半袖だったし。だから気がつかないうちに虫に刺されちゃったんだと思った。 「その間に刺されたのかと」 「これ、キスマーク。聞いたことない?」  そう言って、和磨くんがバスルームに全身を映すことのできる鏡の前に僕を立たせ、その背後に立って、手をついた。僕は鏡の中の自分とぶつかってしまうくらい近くで、マジマジとその赤い印を見つめる。よく、ちゃんと見ると確かに虫刺されというよりも鬱血に近い感じだった。 「あ……る……けど」  これが、キスマーク。  キスの印。 「俺が夢中すぎてセーブできなかったのと、佑久さんのこと、独り占めしたくて」 「……」 「たくさん付けちゃったんだ。ごめん」 「……」  和磨くんが僕を独り占めしたくて、つけた印。 「……」  これ、全部。 「ね、佑久さん」  ど、しよう。 「そういう顔すると」  嬉しくて溶けてしまいそうだ。 「また悪い虫に襲われるよ?」  僕は和磨くんのこと独り占めしたいんだ。あんまりそんなの言うべきじゃないのに、僕はさっき夢中で君にしがみついて離さなかったでしょう? 「う、ん」 「……佑久さん?」 「僕は」  振り返って、そっと、和磨くんの胸に口付けた。 「虫は虫でも、本の虫だから、あまり上手じゃない、や」  赤いの、がうっすらと付いただけだった。 「でも、僕も和磨くんに印、付けても、いい?」  独り占めの印。  君は僕のものっていう印。  僕の唇が、和磨くんの唇がここに触れたっていう、印。 「ダメ」 「え、えぇ?」 「またしたくなるじゃん。俺、今、佑久さんの風呂邪魔にしに入ったわけじゃないのに」  僕らが好き合っているっていう。 「邪魔しちゃうじゃん」  その印をつけてと、笑いながら、キスをした。

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