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第82話 新しい季節、風に揺れた。

 幸せって感じる瞬間とかならあるだろうけれど、確かに触れたりできるものではない、でしょう?  幸せの形、なんて、映画か小説のタイトルにでもありそうだけれど。  でも、幸せに明確な形はない。  けれど。 「ゼリー食う?」 「うん。食べ、ます」 「リンゴ? マスカット?」 「二つも買ってきたの?」 「一応」  けれど、僕は昨夜、和磨くんと抱き合いながら、確かに僕らの間に「幸せ」があって、なんというか、その、うまく説明できないけれど、その「幸せ」に触れられたような気がしたんだ。  触れ合って、結び合った僕らの間に確かに「幸せ」があって。 「それに僕、風邪引いてはいないから、普通の朝ご飯でいいのに」 「いーから!」 「うん。いただきます」  きっとそれは和磨くんも感じたことで。  ―― すげぇ、幸せだ。  そう言って抱き締めてくれた和磨くんもきっと触れられたような気がしたかな。その、僕らの「幸せ」に。 「いただきます」  元気なんだけどな。  むしろお腹がとても空いていて、ぐーぐー鳴っているくらい。体調は全く問題なし。元気ハツラツ。けれど、まるで風邪でも引いているときみたいに、和磨くんがずっと僕のお世話をしてくれていた。  朝食は野菜がたっぷり入った卵とじのおうどんに、ゼリー。  ね? ほら、まるで風邪を引いている人みたい。 「佑久さん? どう、あ! どっか痛い?」 「ううん」  笑ってしまっただけなのに、昨日無理をさせたからと心配してくれる。 「くすぐったくて」 「? なんで? 腰? それとも」 「ち、違うよっ、そういうのじゃなくて、なんか」  ただ君が優しくて、笑っちゃっただけだよ。 「……」  ただ君が僕をとてもとっても大事にしてくれるから、くすぐったくて笑っちゃって。嬉しくなって、もっと笑っちゃって。 「嬉しいなぁって思っただけ」  口元が緩んで仕方がないから、キスをしたいだけなんだ。 「ふふ」  だからキスをして、みました。 「…………」 「ご飯、ありがとう。いただきま、」 「だから、あんま煽らないように! 佑久さん! 俺、今、佑久さんの方いただきたいんで」 「!」 「じっとして食べて! マジで! 今日、佑久さん! 早番なんでしょ!」  まるで「お母さん」みたいに叱る和磨くんが可愛くて。 「っぷ、あは、はい。そう早番です」 「んじゃ! ちゃんとじっとして!」  楽しくて。 「はい。了解です」 「マージーで!」  やっぱり、ここに「幸せ」があるのが嬉しくて、笑っちゃっただけなんだ。  和磨くんは大学祭で今日は振替休日だよね。  そしたら、おうちにいるかな。  今朝まで一緒にいたのに、また、ってなるかな。  打ち上げ、途中で切り上げさせちゃったし  他の友だちにも会いたいだろうし。  僕も、昨日、部屋帰ってないから、帰った方がいい、よね。洗濯物、部屋干しだけど干しっぱなしだし。 「そこの素敵な司書さん」 「!」 「お茶しませんか?」 「……ぇ、あ」  びっくりした。  そんな冗談。 「市木崎、くん」 「こんばんは」  和磨くんみたいだったから、そうかと思って、思い切り振り返っちゃった。 「あはは、なるほど。それですごい勢いで振り返ったんだ」 「ご、ごめん、なさい」 「いやいや。っていうより、和磨と同じ冗談センスっていうのが俺的にはすごい問題というか」 「えぇ?」  市木崎くんが軽やかに笑った。  でも、同じだったんだもの。和磨くんも同じような冗談をよく言うから。僕はてっきり和磨くんかと思ってしまったんだ。 「一応、約束は七時なんだけど、あいつ、来れるかな……そっこうで終わらせるとは言ってたんだ」  その和磨くんは今、今度、コラボすることになったプロアーティストの方と打ち合わせなんだって、市木崎くんが教えてくれた。大学は休みだったから、夕方その打ち合わせが入っていて、でも、夜は予定ないから、打ち上げを三人でやり直そうって、市木崎くんが和磨くんを誘った。  そして、和磨くんが打ち合わせをしている間に、僕がちょうど仕事を終えるから、迎えに来てくれた。 「あんまり遅くなるようなら、また今度に」 「あ、僕は大丈夫」 「明日休みなんだっけ?」 「あ、うん」 「けど、昨日だって帰り遅くなったでしょ? 一日中慣れない中だっただろうし、疲れてるんじゃない?」  僕は昨日の賑やかさが不慣れな感じだっただろうし、市木崎くんもライブ成功をお祝いしたかったけど、やっぱり幹事さんは色々忙しくて話す時間すらなかったからって。  確かに昨日はとても忙しそうだった。レンタルスペースだからこそ、普通のレストランで食事をするのよりもずっと大変だったんだと思う。あっちこっちって、色々な人に話しかけている様子をちょくちょく見かけたから。 「あ、あの、昨日はありがとうございました。先に帰っちゃって」 「楽しかった?」 「あ、うん。とても」  それならよかったって、また笑ってくれた。 「いや、ああいうところ、椎奈さんは苦手かもって心配してたんだ。ほら、和磨は交友関係広いからずっと椎奈さんのそばにいられるかわからないし。俺も主催側だったからなかなか忙しくて」  優しい人だなぁ。 「だから、今日は打ち上げをしっとりやり直そうかなって」 「ありがとう」  いえいえ、そう言ってくれる市木崎くんの柔らかそうな、少しクセのある前髪が初夏の風にちょっと乱れて、それをすぐにかき上げた。 「あ」 「? 忘れ物? 椎奈さん」 「ぁ、えと……打ち上げのやり直しと、それから」  昨日はたくさん頑張ったなんだと思う。だって、こんな僕でも楽しめた。案外、あの色鮮やかで若者向けのレンタルスペースに怖気付くことなく過ごせたのは、きっと、主催に市木崎くんがいたからだと思う。  なんて言ったらいいんだろう。  彼のいつでもどこでも優しいところが、あの打ち上げ会場の雰囲気を柔らかく、僕なんかでも居心地の悪くない場所にしてくれた気がする。だから。 「市木崎くん、幹事、お疲れ様でした」 「……」 「の会にも、したほうがいいよって、思ったから」  市木崎くんのことも労ってあげたいなって、思ったんだ。

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