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第84話 ワクワクしている。
餃子屋さんは居酒屋さんだけど、飲むのがメインじゃなくて餃子がメインのレストランに近い飲み屋さんだからかな。
お店の閉店時間が早くて。
お腹ぺこぺこな和磨くんが頼んだところでラストオーダーになってしまった。
前もそうだったっけ。
その時は僕らが楽しくなりすぎて、話に夢中で、気がついたら、あっという間にラストオーダーだった。
「少し一緒に歌わせてもらったんだ」
「えぇ、すごい」
「スタジオで録音、ちょっとしてみたりしてさ」
「すごい」
市木崎くんは一足先に帰ってしまった。
ようやく三人揃ったと乾杯をして、頼んだ餃子を少し食べたところで、実はまだ課題のレポート残ってたりして、と言って。和磨くんは珍しいこともあるんだなって言ってた。課題とかいつも和磨くんよりもずっと早いのにって。でも、大学祭があって、忙しかったらしくて、打ち上げの幹事もしていたから、自身の課題に時間を十分に割けなかったと。
だから、市木崎くんはあまり和磨くんと話せなかった。
僕らに気を使ってくれた、のかなぁ、なんて。
だから、今、二人っきり。
お店を出て、ゆっくり、のんびり、駅までの道を散歩みたいに歩いてる。
「あー、そんでさ」
「?」
「その、今日、録音した音源データ、もらったんだけど、いる?」
「……え!」
「これ。家にPCある?」
「あ、ううん。ないんだ。タブレットしかなくて」
本読むのに基本紙なんだけど、それだとそのうち部屋の底が抜けてしまうかもしれなくて。絶対に紙で欲しい! と思ったもの以外は電子にしてる。と言っても、絶対に手元に紙で欲しいと思うものばかりだけれど。でも一応読書用にタブレットだけ持っていた。PCはなくても不便さを感じなかったから。
「あー……じゃあ、俺があとで佑久さんにだけ送る。変換して、スマホで聴けるように、俺んとこのチャンネルにあげる」
「え、でも」
「指定ユーザーにだけ見られるようにしとくから」
「わ。いいの?」
「つか、佑久さんが喜ぶかもって、思ってもらってきたから。むしろ、全然いいよ」
「ありがとう」
丁寧に、丁寧に、そう言ったら、和磨くんがまた黒いマスクの鼻先を指で摘んだ。
「どーいたしまして」
彼の照れくさい時とか、恥ずかしい時にやる仕草。
「あ! けど! あんま、声出てないから!」
ううん。
「やっぱプロってすげぇって感じでさ。ほら、ハル、あの曲って全然声、張らないと思ってたんだけど、つか、声張って歌う感じじゃないし。原曲女性の歌だから、そもそも声量いらんし。なんだけど、そう思ったんだけど、合わせたら声量負けた」
「すごいんだ。プロって」
「ハンパない。技術すげぇし」
「うん」
「声量、そこまで勝てないと思わなかったんだけどさ」
「うん」
「レベルちげぇって、ちょっと思った」
「うん」
「けど、こんなの慣れと練習だって言ってた。それにそこじゃない部分で、今回依頼したからって」
「うん」
「それと、ライブ、見てくれたらしくてさ」
「うん」
「全然、屋外で声、そこまで伸びなかった、とか、マイクの調節微妙だった、とか、色々あるんだけど」
「うん」
「でも」
「でも」
あ、声が重なっちゃった。
「でも、和磨くんが楽しそうで、よかった、です」
いつもの僕ならきっと「お先にどうぞ」って和磨くんに言いたいこと、先に言ってもらってた。
でも、今回は割り込んで、先に言わせてもらっちゃった。
どうしても言いたくて。
「…………やば」
?
「すっごい、嬉しい」
「和磨、くん?」
「今の、佑久さんの笑った顔、めちゃくちゃ可愛かった」
「……」
「ありがと」
優しい声が小さくそう呟いて、僕の指先がそわわって、くすぐったくなった。
ちょっと自分の指先の感触を確かめるように掌で触れて。
「あー、今日、佑久さん、連れ込みたいっ!」
「え、連れっ」
「っぷは。佑久さん、めっちゃびっくりしてる」
そりゃ、そう、でしょう。
連れ込みたい、だなんて。
「はー……このままマジで連れて帰りたい」
いいよ。どうぞ。
「けど、明日、朝、ボイストレーニングしようと思って。ちょっとそれの面談っつうか」
「そうなんだ」
「ほら、声量負けたし。相手、高い音域得意でさ。俺は苦手だから」
いつも言っていた。高い音を発する時は声が少し掠れちゃうって。僕はその少し掠れた感じも好きなんだけど。
「短期レッスンみたいなの、紹介してくれるっていうから。まずは、テストみたいなさ」
「うん」
でも、頑張れってすごく思った。
まるで、弾むボールみたい。赤とか黄色、爽やかな空のような水色、新緑のような緑色。見ると元気になれるカラフルで柔らかくて、よく弾むボールがポーンポーン、って、あっちこっちを飛び回っているみたい。
今日の和磨くんの表情はそんな感じがした。
笑って、楽しそうで、嬉しそうで。ワクワクした顔。ドキドキもしている顔。
「頑張ってね」
「ありがと」
僕は丁寧に応援の言葉を告げて、そわわってくすぐったくなった僕の指先をキュッと和磨くんの指先と結んだ。
君のことをたくさん応援しているって、伝わるように、キュッと繋げた。
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