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第85話 頑張ろう。
――おはようございます。拝聴しました。とても、とってもすごかったです。なんて言ったらいいのか、わからないのですが、こんな貴重なものを聴かせてもらえて、とても光栄でした。感激しています。
朝、電車の中で、そう和磨くんに感想を伝えた。
もうスマホだって上手に使いこなせるようになったんだ。ほら、音楽を、というかオオカミサンの歌を聴きながら、別のこと、たとえば今みたいにメッセージを送るのだって、上手に、でき。
「……ぁ」
つい、声出ちゃった。
間違えた。
メッセージ送るのに、ちょっと操作を間違えて、昨日の夜からずっと繰り返し聴いている和磨くん、オオカミサンがアーティストさんとコラボして、試しに歌ってみた「ハル」の画面を閉じてしまった。
僕はそれを大慌てでまた開いて、三角の再生ボタンを押した。
プロの人、女性で、全然、優しくてふわふわした声なのに。
和磨くんの方が声しっかりしていて、力強いのに。
声量、全然負けてたって言ってた。
今、聞いていると、うーん、そうかな。そうなのかな。
僕には和磨くんの声の方がクリアに聞こえるけど。
そういうことじゃないのかな。
マイクがそちらの人の方が近いのかなって。もしくは音量を調節してあるのかと思った。確かに、うーん、大きい? かな?
どうだろう。
僕の耳は少し特別仕様になっているから、かもしれない。
「……」
ほら、和磨くんの声だけ僕には、まるで一色違うお花が混ざり込んでいるみたいに鮮やかなんだ。すぐに聞き分けられるんだよ。もしも和磨くんの声当てゲームがあったら、僕は優勝できるんじゃないかな。
あ、でも、少しだけ緊張しているのかな。
高音が弱点と言っていた和磨くんの高い声がいつもよりも掠れて聞こえた。
けれど、歌っているところが想像できる。
目を閉じれば、すぐにだって――。
「!」
ふと、目を閉じた瞬間だった。
おーい、寝るなよ。
そう告げるかのように、手に持っていたスマホが小さく振動した。
実は、昨日、この内緒で僕にだけ送ってもらえた秘密の配信を何度も何度も聞いていたせいで、夜更かしてしまったんだ。ちょっとだけ寝不足で、ちょっとだけ眠くて。
だから今も聴きながら、つい寝てしまうところだった。
振動したのは和磨くんがメッセージに返信をしてくれたから。
にっこり笑顔のスタンプが押されていて。
――あはは、拝聴って初めて遭遇した単語だ。一瞬、どっかお寺とか神社とか行ったのかと思った。丁寧すぎて笑っちゃったじゃん。
そんなメッセージ。
でも、僕にしてみたら、オオカミサンの超がつくほど激レアな歌を僕限定で聴かせてもらえたのだから、「拝聴」って言葉が一番ぴったり来るんだ。
――今、ボイトレ行くとこ。
そうなんだ。朝早くから、お疲れ様です。
じゃあ、どこかで電車に、僕みたいに揺られてるのかな。座れてますか? ボイストレーニングのあと大学でしょう? 忙しいから、ちょっと心配。
――電車激混み。
そうなんだ。それは大変。
ボイトレってどんなことをするんだろう。お腹から声を出す、とかするんだっけ。なんだかそれはとても大変そうで、難しそうだ。不器用な僕は上手にできる気がしないけれど。
――頑張るよ。
お腹からたくさん声が出ますように。
「……」
君が頑張るから、僕も仕事、頑張ろう。
そうだ。眠いなんて言ってる場合じゃないよ。
もう六月になるのだから。
七月に入ったら、多忙な夏休み期間に入るのだから。
そしてその前、六月中に夏休みの宿題向けになりそうなものを考えておかないと、です。小学生でも読めそうな本格小説も考えておこう。それから中高生向きの小説も。読みやすい純文学とかもオススメしてみたい。
僕は夏休み、図書館に入り浸っていたから。きっと、そんな僕みたいな子もいるかもしれない。そんな子が夢中に読み漁っても、まだまだこんなに楽しそうな本があるんだと思ってもらえるくらいに揃えておこう。
僕には素敵な歌は歌えないけれど。
結構、読んだ本の多さだけなら、人に自慢することができるから。
だから、君が歌を頑張るのなら。
僕は仕事を頑張ろう。
そして、僕は笑顔マークのスタンプを彼へと送った。
それから、頑張って、って言葉を送った。
あと。
――たくさん声出ますように。
そう伝えた。
「……」
電車の外へと視線を向けたら、真っ青な空の色が目に飛び込んできた。
今まではずっと電車の中でも本を読んでいたから気が付かなかったけれど。ちょうどこの辺りは住宅密集地で、陸橋の上を電車が走っているから、ずらりと家屋の屋根が見える、ちょっと不思議な場所。
飛行機からじゃ高すぎる。
ちょうど、そうだな、鳥はこんな感じで僕らのことを見下ろしているのかもしれない、なんて。
春、彼に出会った頃よりも日差しが強くなってきた。その日差しが敷き詰められたような家屋の屋根を強く照らしてる。
そして、空は春とは違う、青色の濃い爽やかなスカイブルーをしていて、ちょうど、その敷き詰められた屋根との境目に、夏らしい、入道雲があった。もくもくと。
―― あ、アイスも食べる? 佑久さん。
そう言って、不器用な僕の代わりに作ってくれたアイスクリームみたいに、真っ青な空へと立ち上がっていた。
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