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第87話 君に、彼に

 ――今日、急遽なんだけど、作曲家の人と打ち合わせすることになった。ハル作った人。  もう夜遅いのに、これから打ち合わせなんてことあるんだ。大変そうだ。  でも、わぁって、なったよ。そうなんだ。それはすごいって。  だから、わぁ、ってなった方だけ、すごいって方だけを文字にして送った。  ――佑久さんは? 今、部屋?  ――ううん。今、図書館の下のカフェに来てるよ。若葉さんと。  ――え? なんで? はい?  ちょっと慌ててそうなメッセージがおかしかった。  ――本の虫同士で小説の話してるよ。  ――混ざりたいんだけど!  うん。ぜひ、混ざってください、なんて思っちゃった。でも、それを文字にしていいのかが僕にはわからなくて。  僕は会話を続けるのがとても苦手だから、その返事にどう今度は返せばいいのだろうと、指がぴたりと止まってしまう。一緒にご飯を和磨くんと食べていても、僕はとくに上手に会話を続けられるわけじゃない。きっと文字をこうして打って返すのでも、面と向かって話をしている時だったとしても、同じように返事をどうすればいいのか迷って、この会話はここで途切れてしまう。けれど、面と向かってなら、ここで和磨くんと向かい合わせでご飯を食べている最中だったとしたら、多分、気にならない。  ううん。  きっと、絶対に気にならない。  でも、こうして文字にしてやり取りをしていると、すごく会話が止まってしまったのがわかる。 「……」って、なってしまったのがすごくわかって。  だから、うん、って返事をした。  とても下手な返事だなって自分で思うけれど、他にどんな素敵な返事があるのか、わからなくて。  なんだか。 「お待たせー」 「ぁ、いえ」 「ご飯適当に頼んだ?」 「あ、一応」 「ありがとー」  ふぅ、と溜め息混じりに若葉さんが椅子に腰を下ろしたところで、お店のスタッフさんが若葉さんにはカクテルを僕にはレモンサワーを置いてくれた。 「それじゃあ、乾杯」 「ぁ、乾杯っ」  若葉さんはカクテルをまるで一気飲みのビールみたいにぐびっと、グラスの半分ほど飲み干すと、っぷはって、まるで水面から飛び出したみたいに息を吐いた。  そして、テーブルに肘を置いて、唇の端を上げて微笑みながら、お店から見える外の景色へ視線を送った。 「面白いね。カフェなんだと思ってた。アルコールも提供してるんだ」 「あ、なんか、夜だけらしいです」 「へぇ、そうなんだ。ここのカフェには和磨ともよく来るの?」 「いえ、そういえば来たことないかも」 「へぇ」  待ち合わせ場所にはしてたんです。外だけど、って外の、ちょうどここからだとあまり良く見えない辺りを指さした。  早番の時、そこに和磨くんが立っていて、僕は彼を待たせてしまっているからと大慌てで図書館を飛び出して、階段を駆け降りていく。 「……」  それで、僕が来たことを見つけると、ニコッて和磨くんが笑うんだ。  そっか、ここからはちっとも見えなくなってる場所なんだ。 「最近、忙しそうだね。和磨」 「あ、はい。あのプロのアーティストさんとコラボするって。ボイストレーニングもしてるんです」 「らしいねぇ」 「打ち合わせとかもあるらしくて」 「みたいだね」 「頑張ってるの、すごいなぁって思います」 「……」  今日、これから打ち合わせって言ってたけど、ご飯食べたかな。忙しそうだけれど、ご飯、ちゃんと食べてるかな。お腹から声を出すのでしょう? そしたら、お腹、ぺこぺこじゃ声出ないだろうから。 「……」  和磨くんは今日の夕飯何食べたんだろう。 「……けど、佑久さん、ちょっと寂しい?」 「……ぇ……あ」  覗き込むように若葉さんが少し首を傾げた。  柔らかい若葉さんの視線で僕の胸の内を透かされて見つけられてしまいそう。 「はい……ちょっとだけ、やっぱり」  最近、ちっとも会えてないから。  今日、和磨くんがどんな服を着ているのかもわからない。どの指輪をしているのかも知らない。何を、晩御飯で食べたのかも。もちろん、別々の人間だもの。全てを知るなんてことできないのはわかってる。  わかってるけれど。  なんだか、ちょっと。 「……」  SNSでオオカミサンの話題がたまに浮上してくる。  コラボのこと、まだ公表はしていないけれど、どこからか漏れるものらしくて、それが憶測だから、なんか、ちょっと。  オオカミサン、ってかっこいいよね。  歌ってる時最高。  今度コラボするらしいって。  美男美女、じゃん。  絵になりすぎ。  動画アップ待ってられん。  あっちこっち、僕には広すぎてよくわからないネットの中、オオカミサンについての話が行き交っている。  それを目にする度に、和磨くんが遥か遠くにいるように感じられる。  たくさんのネット上を行き交う言葉たちに僕は押しのけられて、無限に広がるネットの世界で無限に遠くに。  手を繋いで、横歩いていた僕らの間に、色々な言葉が入り込んで、手が離れてしまった、ような。 「……佑久くん」  それは寂しい。  ものすごく寂しいです。  和磨くんのことを思う時、いつだって、「君に」って話しかけてた。  けれど、今は遠くて、「彼に」ってなってしまう。  彼は今日はどこにいるのだろう。どんな話をしているんだろう。  彼に。 「大丈夫? 佑久くん」  会いたいな。 「はい」  寂しいな。 「大丈夫です」  そう、大丈夫。  会いたくて、寂しいけれど。  大丈夫。 「僕、オオカミサンの歌、大好きなんです」  彼にたくさんの気持ちを教わった。  好きも、触れたいも。 「いくらでも、ここで待ってられます」  寂しいも、会いたいも。  彼が僕の宝物だからかな。 「ご飯、食べましょう!」  彼からもらえる全部が、本当に全部が、僕にとっては宝物なんだ。  この寂しさすら、昔の僕にはなかった気持ちで、今の僕にとっては宝物の一つなんだ。

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