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第88話 点、点、点
「はぁ、お腹いーっぱい!」
「僕もです。破裂しそう」
「…………」
「? 若葉さん」
なんだろう。僕のお腹の辺りをじっと見つめて、る?
「そのぺたんこのお腹はまだちっとも破裂しなそう」
「えぇ?」
「ほっそいよねぇ。ダイエットしてるの?」
「してないですよ」
そこで目を丸くされてしまった。いや、あの、本当にダイエットなんてしてないです。たくさん食べてるし。やっぱり女性の若葉さんよりもずっとたくさん食べてたと思うし。
「ダイエットしなくて、そんなに細身で可愛くて」
「かわっ」
「あと髪もさらっさら」
「あ、これは」
「ブローも上手」
若葉さんに教わったんだ。
「ふわっとって、唱えながらやってるんです」
確かにちょっと上手になった、かな。
そして、それを確かめるように指先でちょんって前髪を摘んで、その毛先を見つめた。
「ちょっ、きゃああああ! 可愛い」
「え、えぇぇっ」
「これは落ちるな」
「え?」
どこに? 落とし穴?
「ドボンよ。ドボン」
僕は急いで自分の足元に落とし穴がないかと探した。つい。あるわけないし、あったらとても驚くけれど。
「ふふふ」
若葉さんはその慌てた様子がおかしかったのか、笑って、もうすっかり夜になった空へと両手を伸ばした。
「また、一緒にご飯食べようね」
「はい。ぜひ」
「絶対だよー」
「はい。絶対です」
「あと、もしも、和磨と全然会えなくても、和磨は和磨だからさ」
「はい」
「だから、なんていうか、その」
僕の様子を見て、何度も若葉さんはほっとした表情をする。
「あの……」
「?」
「今日、ありがとうございます」
「……」
「僕、大丈夫ですよ」
「……」
心配してくれてるのだと思う。
「確かに、会えてないですけど」
「……」
「元気です」
応援もしてくれてるのだと思う。
僕らのこと、いつだって見守ってくれていたから。
僕らが今会えてないのもわかっていて、僕が一人でいることに不安になってやしないかって様子を気にしてくれてるんだと思う。有名な人で、とても忙しいはずなのに。
だから、しっかりとした声でそう伝えた。
若葉さんはそんな僕の様子をじっと見つめて、しばらくしてから、もう一度、安堵の溜め息を微笑んでいる口元からわずかに溢した。
「けど、なんかあったりしたら、相談してね」
「はい」
「遠慮しないでよ?」
「はい」
「絶対にだからね。お店、来てもらって構わないからね」
「はい。ありがとうございます」
そして、若葉さんとは駅のホームで別れた。僕は下りけれど、若葉さんは上りらしい。
元気に手を振る彼女はモデルさんみたいに手も足も長いから、ちょっと迫力あるんだ。隣を通った女性がびっくりしていた。
僕はそんな元気な若葉さんに、照れ臭さが混ざってしまった両手をちょっとだけ振ってから、頭を下げた。
電車の発着時刻を知らせる電光掲示板をみると、時間は夜の九時過ぎになっていた。
ちょっとご飯、と思ったけれど、結局最後までカフェにいた。ラストオーダーですと言われて、急いでお店を出て。
「……」
もう打ち合わせ終わったかな。
まだかな。打ち合わせしながら晩御飯だったりするのかな。そういうのテレビドラマとかで見たことある。
食事しながらの方がリラックスできて発言も活発になるんだって。
それなら、ご飯の心配なくていいけれど。
どうだったかな。
打ち合わせは好感触だったかな。
作曲の人って言ってたよね。
――もしも、和磨と全然会えなくても、和磨は和磨だからさ。
誰かに会えなくて寂しいなんて、気持ち、持ったことないよ。
会えるとあんなに嬉しいのだから。一日、彼と一緒に過ごせると、とても、とっても楽しいのだから会えなければ寂しいよ。
でも、つまらなくはないよ。
彼に次、会える時のことを楽しみにしているから。
それにね。
僕が言ったんだ。
僕が、和磨くんに教えてあげたんだよ。
和磨くんの歌声で、オオカミサンの歌で、世界は変わらないかもしれない。でも確かに僕の世界は彼の歌で変わったんだ。それは彼に会っている時だけのことじゃなくて。朝の通勤路も、お昼の休憩時間も、図書館の南を向いた大きな窓の向こうに見える空を見上げる瞬間も、どんな時だって僕の世界は音も感触も、いろんなものが変わったんだ。
今だって、そう。
僕は、和磨くんのおかげでたくさん変われた、今の自分が好きだし、今の賑やかで忙しい毎日も好き。
だから、和磨くんがそばにいなくても、ここでこうして、ちゃんとしていられるんだ。
「すごーい! ね、椎奈くん!」
「あ、近藤さん、どうかした?」
仕事の休憩にとスタッフ用控え室に入ると、近藤さんの弾んだ声が聞こえてきた。
「ね! オオカミサン!」
あ。
「あの人、やっぱ図書館きてた人、かなぁ」
「?」
「銀色の髪の人!」
「……」
「今度、デビューするかもなんだってぇ」
「……」
それは電撃ニュースだった。アーティストさんが、極秘で進めてたコラボ企画の全容が発表されて、『ハル』を二人のデュエットとして再リリース、するって。
そんなニュースがネット界隈で騒がれた。
そして、その夜は僕が遅番で、配架がたくさんで帰りが遅くて、彼からのメッセージが届いていていたことに気がついたのは翌日で。
――佑久さん、おはよ。
その朝は、忙しかったらしく、僕からのメッセージはずっと既読つかなくて。
――朝、挨拶できなくてごめんなさい。
電話も繋がらないままだった。
彼の声も、僕の言葉も、ちっとも繋がらない一日だった。
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