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第89話 僕らは振り回されている。

 ――今度デビューするかもなんだって。  近藤さんが、ワクワクした顔で教えてくれた。  そのワクワク顔に反比例するように、気持ちが、下向きになってく気がした。  そうなんだ。  ちっとも知らなかったな。  というより近藤さん、オオカミサンのファンになってたのも、知らなかった。銀髪の人、有名な歌い手さんなんだって気がついてから、ちょっと気にかけて見るようになったのかな。  ――すごいよね。やっぱりサインもらっておけばよかったよー。  そんな話、したよね。ちょっと前に。  僕はその時、オオカミサンと知り合いなんだよって教えてあげなかった。彼のこと、独り占めしたかったんだ。  意地悪、だったよね。  意地悪をしたから、意地悪をされたような気持ち。  ううん。  近藤さんに、じゃないよ。  なんというか、神様に、こら、ダメでしょう? と、諭された感じ。 「お先に失礼します」 「あ、お疲れ様」  オオカミサンが歌手デビュー、っていうのを公表したのは今度のコラボをする女性アーティストの人だった。  いや。  ううん。  まだ、オオカミサン、とははっきり言っていない。  けれど、誰もが「その人」はオオカミサンなんじゃないかって予想してる。  自身でプロデュースしてみたいアーティストがいるって配信で話してたんだって。それとこの前の、レコーディング風景の動画。帽子を深く被って顔はあまり見えない角度での撮影だったけれど、男性。  その帽子を深く被っていて顔はよく見えないけれど、銀髪。  ね?  オオカミサン、でしょう?  シルエットだけなのがきっと余計に聴く側の人の興味をそそる。  僕ら読み手が、この素敵な文章を綴る作家はどんな人なのだろうと思いを馳せるように。  それが売り出し方の戦略とかなのかもしれないけれど。  僕は音楽界のこととか芸能界のことに関してはものすごく疎いからちっともわからない。  よく、知らない。 「……」  あの時、意地悪、しちゃったからかな。  近藤さんにオオカミサンのこと、和磨くんのこと教えてあげなかったからかな。  だから、今、僕も、あの帽子を深く被った「その人」がオオカミサンだって、和磨くんだって、教えてもらえないのかな。  遠くて、少し寂しい気持ちが大きくなる。  会いたくて、どうしようって、気持ちが動きたがる。 「佑久さん」  彼にどうにかして会えない? って。 「……」  図書館を出て、いつも通り駅へ向かおうと思ってた。駅へは図書館から直通でロータリーが繋がっている。地上階へは降りる必要がなくて。カフェへと、続く階段があるんだけど、そこに、人がいた。 「急にごめん。連絡したんだけど」  帽子を深く被ってて。今日は早番で、その、まだそんなに暗くなっていないから、その声をかけてくれた人の帽子から銀色の髪が見えた。 「……ぇ」  和磨くんだ。  本物の。  連絡って。 「……ぁ、あ! ごめんっ、なさいっ」  スマホ、見てなかった。  なんというか、見たく……なくて。  通知を設定してるから。  SNSの。  僕がフォローしてるたった一人の人。  和磨くんの。つまりはオオカミサンの発言はその都度、通知で簡単にわかるように設定したんだ。そういう機能があったから、いつだったか、それをするようにしてたんだけど。  だから、僕は今日、あまりスマホを見てなかったんだ。  オオカミサンがプロデビューする。  それを僕は和磨くんから聞いてないから。  近藤さんに隠したくせに。  自分も知らされないというのは、とても寂しい気持ちになるから、だから、スマホ。 「ス、スマホ、見てなくて」  ほら、ポケットにすら入れてない。慌ててカバンから取り出そうとしたら、こんな日に限って、真っ黒な鞄の中から見つけ出すのに手間取ってしまって。和磨くんが優しい声で大丈夫と呟いて、僕の方へと階段を一つ、二つ上がって来てくれる。 「むしろ、ごめん。急だったし。俺が勝手に佑久さんの都合とかも訊かずに勝手に会いに来たんだ」 「あのっ」  ほら、和磨くんだ。  マスクもしていて、帽子も深く被っているけれど。 「もしかしたら知ってるかもしんない」 「……」 「佑久さん」  あのね。僕、好きだよ。 「今日、ちょっとネットで噂っつうか。その」  和磨くんに「佑久さん」って呼んでもらえるの、好き。 「今度、まだ、あ……これ、言っちゃダメらしんだけどさ。契約上の、みたいな。まだ正式にしてるわけじゃないから。けど、向こう、ほぼ俺確定になる感じで言ってるし、それなら、俺も、佑久さんには知らせたいっつうか。知らせてなくて、どっかで他の人から言われて知るとか、なんかビミョーっつうか、だから」  僕は、好き。 「……和磨くん」 「?」 「会いたかった、です」 「……」  君のこと全部、すごく、好き。 「和磨くんに、すごく」  どこもかしこも好きです。指も、その指にしてる指輪も。もしかしたら、君が着ている服の端っこでも、好きかもしれない。  そのくらいなんです。  何もかも。  だから。  笑っちゃうんだ。  ついさっきまで寂しくてたまらなかったのに。 「やば……」 「……」  こうして顔が見られただけで、さっきまでの寂しさが吹き飛んじゃう。  こうして。 「あの、和磨くん」  君にぎゅっと抱き締めてもらえるだけで。 「今日はこの後、打ち合わせとか、あったりしますか? あと、なんだろ、ボイストレーニングとか」  さっきまでどうにかなっちゃいそうだったくらい寂しかった気持ちがどこかに飛んで、消えてしまうんだ。 「っぷは、ないよ。なんも」  恋は、本当に。 「なんもこの後、ないよ」  笑ってしまうくらい単純で。  笑ってしまうくらい、僕のことを振り回すんだ。

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