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第94話 青色の宝物

 誰にも聴かせたことがないと、少し照れながら話してくれた。 「路上ライブで歌おうと思って作ったんだけど、歌詞が全然思いつかなくてさ。ボキャブラリー少なすぎて無理だってなって諦めた」  だから歌詞がなくて、適当に言葉を繋げたり、ただハミングで歌ってみたり、微妙だけれどって、優しい声が教えてくれた。  和磨くんの、オオカミサンになる前に作った、唯一のオリジナルソング。 「あ、あの、聴くの、ちゃんと服」 「無理! ちゃんとしなくていいし。つーか、マジで本当に誰にも歌ったことないから、今、歌わないと照れくさすぎて無理」  でも僕、まだ裸で。 「勢いないと無理」  君の歌はとても大事だからちゃんとした格好で聴きたいと思った。ほら、オーケストラの演奏とか聴く時はドレスコードがあるでしょ? そういうふうにちゃんとしたいと思ったけれど。  ベッドの上で、後ろから腕を回してくれた和磨くんが、そう言ってが僕をタオルケットごと、ぎゅっと抱き締めた。 「このまま聴いて」  すぐ後ろで和磨くんが深呼吸したのを感じた。  朝、四時、和磨の部屋の窓の向こう、空が淡い澄んだ青色をしているのがレースのカーテンから透けて見える。  本当に澄んだ青色。  その色が部屋の中にも染み込んでいた。  特別な時間だと、僕は思うんだ。  この十分前は夜の色をしていた。  この十分後には、世界が目を覚まして、光が真っ直ぐに広がり出して、空の色は明るく朝焼け色に変わってしまう。  今だけ、ほんのしばらくの間だけ、世界がこの青色に染まる。  静かで、澄み切っていて、特別な時間だと、僕は思う。  そして――。 「……」  和磨くんが小さな声で、僕にだけに聴こえれば充分な声でそっと耳元で歌ってくれた。  歌詞のない、メロディーだけの曲。ハミングで、たまに単語を混ぜて。  どれとも違っていた。  音は際限なく、その表現をいくとおりも作れるんだと感動するほど、今まで聴いたオオカミサンのどの歌とも違ってる。  彼が作り出したメロディを彼の声が奏るとこんなふうになるんだと感動した。  かっこいい曲。  楽しい曲。  そういうのとも違う。  和磨くんそのものの曲。  優しくて、温かくて、笑顔が似合って。  そして、少しだけ恥ずかしがり屋で、少しだけ、切なくて。  素敵なメロディ。  それはたった数分。  宝物みたいな。 「…………おしまい」  青色の時間。 「あー、やっぱ、恥ず……すごくね、これを高校生ん時作ってさ。技術とかないし、聴かせるための小技もないし。才能ねぇって今は思うけど。でも、高校生の時はさ」 「すごいよ」 「……」  照れくさそうに自身の作品を話してくれた。 「とってもとっても素敵な曲だったよ」 「……たす、」 「あのっ」  そっと、君がぎゅっと抱きかかえてくれたタオルケットの中で身体をひねって、君の方へと振り返った。  ちゃんと伝えたいんだ。  ちゃんと僕がとても感動したことを伝えたい。  青色の部屋の中で、銀色の髪は、あと数分しかないこの青を染み込ませていて、とても綺麗だった。  瞳は黒色が濃くて吸い込まれそう。  頬は……。 「聴かせてくれて、ありがとう」  温かかった。  触れると切なくて、恋しくて、抱き締めたくなる君の体温。 「一生の宝物、です」  君の歌と、君と過ごしたこの時間。 「そんな、大袈裟、」 「ううん」  最初から。 「本当に」  君が僕の掌に金色のイヤホンを手渡したあそこからずっと。  ずーっと。  全てがそうなんだ。 「本当に宝物です」  もっとたくさん素敵な感想が言えたらいいのにね。  ここがすごい。  ここも素晴らしい。  ここの音の並べ方がすごい。  そんなふうに音楽家のように伝えられたらいいのだけれど。  僕は音楽とても疎いから。 「ずっと、今日、聴かせてもらえたこと、大事にします」  拙いことしか言えないけれど。 「…………やば」 「?」 「泣くかと思った」 「!」  和磨くんがぎゅっと僕をもっと強く抱き締めた。 「すげ、ありがと」  スンって、和磨くんが鼻を鳴らした。  僕の拙い感想で君に伝えられただろうか。 「佑久さん」 「……」  僕が今どれだけ嬉しくて幸せで、どれだけ感動しているかって。 「愛してる」 「……ぁ」  どれだけ君のこと。 「俺みたいなのがこれ言っても、キャラ合わなくて、ビミョーだけどさ」 「ううん」  低く、ポツリと呟くその声は、聴いてるだけで泣いてしまいそうだった。 「僕も、愛して、ます」 「……」  だから僕も君に精一杯ぎゅっとくっついて、君から少しも離れることのないよう、僕らの間に隙間なんて少しもないように、くっつきながらそう告げた。 「やば」 「?」 「幸せで泣く」 「……」 「カッコわる」 「ううん」  大丈夫だよ。 「僕も泣きそう、です」  今なら泣いても、大丈夫。  今、この時間だけはね、部屋が、空が、世界が、青色だから。 「ふふ」 「っぷは」  涙も、宝石と間違えられるくらい、綺麗な澄んだ青色をしているから。  君から零れ落ちたその粒は、とても素敵な青色の宝石にしか、ならないよ。  その翌日だった。  オオカミサンが『ハル』のアレンジをコラボで配信することが正式に決まったというニュースが流れた。

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