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第100話 慌ただしい朝

 眠れないなんてこと、本当にあるんだ。 「……」  初めて知った。 「……っ」  朝、いつもどおりの起きる時間に、カバンの中でスマホのアラームが鳴っているのを聞いて、のそりと起き上がった。  一晩、僕に放っておかれたスマホの画面には和磨くんからの着信があったとお知らせがいくつも届いてた。 「……」  いくつも、届いてる。  僕が十時から十一時までの間に電話をすると言っていたから、和磨くんが僕に電話をかけてくれたのは十一時すぎから。  十一時。  それからしばらくして、もう一回。  もう一回。  もう……一回。  もう――。  無視、しちゃった。  そのことに胸のところがぎゅっと絞られるように痛む。  僕は彼のことがとても好きだから、傷つけたくはなくて。  どうしよう。  返事しなくちゃ。  彼女の言ってた言葉は、確かに和磨くんの「将来」を思うならば。確かにその通りで。  でも、僕は和磨くんが好きで。  和磨くんも僕のこと、思ってくれていて。  なのに、手を離すなんて、とも思う。イヤだって、思う。  けれど、彼の「将来」の邪魔になるのも僕は悲しくて。  確かに僕と会う時間を作るのが今すごく大変そうなのもわかっているんだ。  どうしたらいいんだろう。  五つも年上なのに。  わからない。  和磨くんのためにどうするのがいいのか、わからない。  ――おはようございます  とにかく無視したくなくて、とりあえず、そうスマホで打ち込んだ。 「……」  会わない方が和磨くんのためなのかな。  大学行く時間と、アーティスト活動の時間、それからご飯食べたり、眠る時間、はとても大事だから。  ――昨日は新しい本の入荷がたくさんあって。  彼のことを大事にしたいなら。  ――電話できずに熟睡しちゃいました。  今はきっととても悲しい気持ちにさせてしまうだろうけど。でも「今は」だから。  ――しばらく、すごく忙しいかもしれないです。  少ししたら、大丈夫になる、んじゃないかな。  ――和磨くんも、歌の活動頑張ってください。  前に市木崎くんが言ってたよ。和磨くんは彼女ができるとすぐにわかるって。彼女がいない時は女の子と遊びに出かけるけれど、彼女ができると他の女の子とは遊ばなくなるって。だからすぐにわかるんだって教えてくれた。僕と付き合ってくれた時もそうだったって。  言ってたよ。  ね? 和磨くんはすごく優しくて誠実な人なんだ。付き合っている相手のことを大事にする。僕も、そうでしょ? そうしてもらっていたでしょう? 「……これか、ら、も……」  その時付き合っていた人をとても大事にする。  今の僕もきっとそう。  その時付き合っていた人をとても大事にするけれど、でも、別れてしまった。  だから僕もきっと、そう、なれると思うよ。  ――応援しています。頑張って。  僕もとても大事にしてもらったけれど、いつかは別れて、いつかはまた新しい大事にしたい、他の子が見つかる。そして、また遊びに行ったりせずに、その子のことだけ優しくしたいって、そう思える相手が見つかる、よ。  今までみたいに。  僕と過ごしたみたいに、いつか、誰かと。  また。  その時の人は芸能人かもしれない。あの、ハルを歌った彼女かもしれない。誰かはわからないけれど、その時の和磨くんがちゃんと幸せに過ごしながらデートできる相手なんじゃないかな。  楽しく一緒に過ごしたいって思える人なんじゃないかな。 「………………」  送信、押すの、ためらってしまった。  別に、別れの言葉が織り込まれているわけじゃないのに。気持ちが、メッセージの言葉とチグハグだからだ。  送ったら、和磨くん、気がついちゃうんじゃないかって。  だって、他の人はちっとも気が付かないのに、彼だけはいつだって僕の表情から僕の気持ちをわかってくれる。だからもしかしたら、僕のメッセージから、僕が今、何を考えているのかわかってしまうかもしれない。 「……っ」  僕は君の邪魔になっているんじゃないかな。  ううん。今は気がつかないかもしれないけれど、いなくなったらわかるんじゃないかな。  僕との交際は、今の、これからの君にとって邪魔になるものだったんだって。 「……あ」  送信ボタンを押して、スマホを閉じようとして、ふと……SNSを開いてしまった。つい、いつもみたいに、指先が勝手に動いちゃって。僕はその画面に慌てて、閉じて、カバンにまたしまった。 「……朝の支度」  今の僕と今の君はもう違うんだ。 「しなくちゃ……」  過ごす時間の速さも、世界も、全く違うんだよ。 「……今日は、そうだ、来月のおすすめも考えなくちゃ」  ね、和磨くんは覚えてる?  あの大学祭の打ち上げの後、僕に半年間歌えなかった理由を教えてくれたことがあったでしょう?  あの時僕はこう言ったんだ。  世界は変わらないかもしれないけれど、僕の世界は変わったよって。  和磨くんの歌で僕の世界は変わったんだって。  でも、もうあの頃と違うでしょう?  ――オオカミサン、メジャーデビュー楽しみ!  ――もっとオオカミサンの歌が世界に届きますように!  ――マジで天才だから!  ――世界が感動する! 絶対!  ね?  今の和磨くんは僕のだけじゃない。  僕の世界だけじゃないんだ。  ――天才すぎん? 世界中の人に聞いて欲しいんだけど!  もっとたくさんの世界を変えているんだ。さっきチラリと見てしまった「オオカミサン」のSNSに届いていたたくさんの、すごくたくさんのメッセージ。「オオカミサン」の歌が世界に届くことが嬉しいと喜んでいるメッセージ。  だから僕は慌ただしいふりをして、テレビのない静かな自分の部屋で、わざとたくさん賑やかにして。  初めてだ。  テレビ、今、ちょっと欲しいよ。  だってテレビがあったら賑やかでスマホの振動音なんて気がつかないで済むでしょう? けれど静かな部屋は困りもので。  静かだと、気になってしまうんだ。  僕の返信に君が返信をしてしまうかもしれない。  電話をかけてきてしまうかもしれない。  だから一生懸命に気が付かないように、静かな部屋でずっとおしゃべりをしながら、朝の支度をすました。  こんなに賑やかで、騒がしくて、慌ただしい朝は初めてだった。

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