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第101話 つまらない
久しぶりだ。
移動の間、本を読んでるの。
こんなだったっけ。
なんだか、耳の辺りが、鼓膜の辺りが、スカスカしてる。
静かで落ち着かない。
イヤホンはカバンの中にあるけれど、スマホを開けないから、音楽聴けないんだ。
「……」
本、読む気にならないや。
音楽も聴けないし。
だって、和磨くんから連絡来てたら困ってしまう。どうしたらいいのかまだ分からないんだ。
どう……。
「……」
どう、さようならを言ったらいいのか、分からないんだ。
言いたくないから、言い方がわからない。
でも、さようなら、をするべきなんじゃないかって、朝、仕事に出かける準備をしながら、そう思った。
時間になって、起きて、いつも通り朝ごはんを食べて身なりを整えながら、この僕の平凡な朝と、今もきっとたくさん頑張っている和磨くんとの違いを考えて。
僕が一番、彼にしてあげたいことを考えて。
もう僕ひとりだけじゃない。たくさんの人の世界を変えていける彼の将来を思って。
僕は――。
「あれ? 随分、早いね」
「あ……うん。今日は、なんか早く出てきちゃった」
スマホがないってこういう時に不便なんだね。テレビがないから、娯楽は本だけ。それだと時計を表示できるものが一つもなかったんだ。普段はスマホが時計の役目を果たしてくれていたけれど、今日は、そのスマホを見られなかったから。
今だってそう、スマホはカバンの下の方に追いやってしまった。
そんなわけだから、朝、アラームで時間を知った後は、時計も見ないで準備を済ました。もちろん、遅刻するわけにはいかないから、時間が何時かわからないままとにかく急いで。
どちらにしても今日は着信音に気がつきたくないから、ずっと忙しなく朝動き回っていたし。
だから早くに着いちゃったんだよ。
駅に辿り着いて電光掲示板を見た時、随分早い時間で驚いたくらいに早かった。
「近藤さんはいつもこんなに早いの?」
「あ、ううん。ほら、今度、音読会やるでしょ? だから練習」
「あ、そっか」
来週、だっけ。
児童書が担当の近藤さんは子どもへの朗読会にも意欲的に参加していた。僕も以前に、朗読役やらないかって誘われたっけ。
声が独特で雰囲気があるからって。
「何回も練習しておけば、つっかえないしさ」
「うん」
「それに朗読会に使う、フリールームの中、結構広いでしょ?」
「あ、うん」
「だから声、ちゃんと出るようにしておかないと」
「そっか」
朗読会には図書館のロビーに作られているフリーの、何にでも使うことのできる場所で、たまに地元の人が投稿してくれた地元の風景写真を展示してみたり、近くの小学校の書道入賞作品を展示してみたり。この間のフラワーアレンジメントの講座に使用された時はここ最近で一番の会場入りになったんだ。
大賑わいだった。
「椎奈くんは?」
「あ……えっと、来月のおすすめ本何にしようかなって」
「そっか。八月の?」
「うん、そう」
八月、暑いかな。どうかな。
「今日は雨降らないっぽいけど、ジメジメしてるねぇ」
「うん……そうだね」
もう七月になるというのに梅雨がなかなか終わらない。お天気予報でも雨が長く続いていますって言ってた。梅雨明けはまだでしょうって。
「八月かぁ……」
「うん」
「あっという間になっちゃうんだろうね」
「そうだね」
八月、暑いかな。
夏真っ盛りで、きっと夏休み中の学生がたくさん来るから忙しいだろうな。読書スペースの管理が大変になるだろうし、そのスペースの定期清掃もしっかりしなくちゃ。夏休みの宿題で貸し出す本も多いし。貸し出す本が多いということは、いつか返却される本も多くなるわけで。
「じゃあ、僕、ちょっとフロアに出てくるね」
「はーい」
その頃には。
「……」
もうすっかり大丈夫なってるのかな。
大丈夫に。
和磨くんがいなくても。
和磨くんに会えなくても。
平気に。
和磨くんが歌手として歌っているのを見ても。
和磨くんが僕のことを忘れて、昔付き合っていた人として、思い出になっていたとしても。
平気に、なってるのかな。
一ヶ月もあれば。
彼の歌を今までみたいに楽しく、ワクワクしながら聴けるようになるのかな。
会いたいなんて思わずに。もしかしたら、そんな頃もあったっけって、思えたりして。ただの、いちファンとして、彼の歌を楽しめるのかな。
「何、オススメしようかな……」
想像もできないけれど、一ヶ月後の僕はどんなふう、なのだろうと。
そう思いながら、スマホを持っていないからか、ゆっくり、ぼんやり、誰もいない図書館の中を何も考えれられないまま、ぼんやりと歩いていた。
「……」
僕の仕事。図書館司書の仕事は本の貸し出し、本の整理、本の手入れ、などなど。
本好きにはたまらない仕事。少し平凡で、少しドラマチックなものが足りてなくて、ワクワクとかウキウキはないかもしれないけれど。安定していて、退屈かもしれないけれど。
でも、僕はこれからもこうして、退屈で平凡で、淡々と、日々を過ごしていくんだろうな。
プロになった和磨くんとは雲泥の差、なんだろうな。
今、何してるのかな。
元気に、活動を――。
「!」
ふらふらと図書館の中を歩いていたら、図書館の正面入り口でガラスを叩き割りそうな、何かが激突するような音がした。
泥棒? かと、思った。
もしくは――。
「……え」
もしかしたら、和磨くん、かと。
「ちょっと! ここ! 開けてよ!」
そこでガラスを今にも割ってしまいそうに叩いてるのは。
「ちょっとってば!」
あの子だった。
和磨くんのファンの。
「ここ! 開けて!」
あの子だった。
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