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第102話 わかんの。
「ここ! 開けてってば!」
びっくり、した。
あの子、和磨くんのファンの女の子、だ。
彼女がガラスの扉を壊してしまいそうな勢いでバンバンと叩いて僕を呼んでいる。
「ちょっとってば!」
「! は、はいっ」
驚きすぎて、ぼーっと見ていた僕は大慌てで、図書館の正面玄関の扉を開けた。その途端に、今日も曇り空のせいで、日差しが数日なかったことですっかり冷めて肌寒くなった空気が一気に流れ込んできた。そして、一晩、誰もいなくて、じっと静かに止まっていた空気をかき混ぜた。
「あ、あの……」
まだ、開館には時間がある。えっと、開館は九時だから、まだ二時間くらいは。
「あんた! 和磨に何言ったの?」
「……ぇ」
「何言ったのっ?」
「あの……和磨くん、どうか」
「どうかしたなんてっ、あんたが何か言ったんでしょ! 配信あったのっ! 昨日の夜に! ライブやるって、今度、コラボで屋外の、すごい大きな会場でライブするって。配信あったの! けど、全然元気なくて!」
「!」
「元気なフリ、してんの、私にはわかるの! ずっと、和磨のこと見てたんだからっ、元気なふりしてるけど、めちゃくちゃ元気ないってわかんの!」
彼女はそう怒った鋭い声で言い放つと、僕をキッと睨みつけた。
ライブ、するんだ。
僕は今はスマホ全く見てないから、何も知らなかった。
「ハル、歌うんだって」
「……」
「屋外の特設ステージ、プロのアーティストが十組とか出演するライブに和磨もラインナップされてて」
「……すごい」
それはなんてすごいことなんだろう。
プロの中に、だなんて。
本当にすごいな。
大学祭のライブであんなに感動したんだもの。きっとプロが歌うステージならもっとすごいのだろう。驚いてしまうに違いない。和磨くん、楽しみに――。
「なのに、ちっとも楽しそうじゃなかった」
「……」
「みーんなおめでとうとかコメント言ってたし、和磨も笑ってた。ありがとうって、楽しみだって言ってたけど……わかんの」
「……」
「ずっと和磨のこと、見てたもん」
「……」
「全然喜んでないって、見たらわかんの……」
もうプロの仲間入り。これからは歌をたくさん歌えるステージが和磨くんを待っている。その屋外の特設ステージだけじゃない。もっとたくさん、色々な場所で、たくさんの人が彼の歌を。
「どうせ、あんたが和磨に言ったんでしょ」
「……」
「別れたほうがいいとか、僕がいたら邪魔になるとか」
「……そ、れは」
「あんたがいたから、和磨、歌えるようになったんじゃん」
「……」
「一曲を大事に聴こうよって、和磨の歌、一曲ずつ大事だよって、あんたが和磨に言ったんでしょ。大事にしたんでしょ。だからまた歌えるようになったんじゃん」
「……」
「和磨」
「……」
「あんたに聴いてもらいたいんだってば。プロになるとかじゃないんだよ。大勢に聴いてもらいたいんじゃないの。あんたにっ」
―― 大事な人に聴いてもらいたいって思いながら歌うんで。
「聴いてもらいたくて、また歌始められたんじゃん」
「っ」
「だからっ! あんたが! 聴いたげないと、ダメでしょ!」
「でも、僕が」
「あの女が、あの、コラボの女! あいつがどうせ、忙しい和磨の邪魔するなとか、これからデビューするのに恋人がいるのはビミョーとか、男同士なんて、とか言ったんでしょ! そんなのあるわけないじゃん!」
怒ってる。僕に。ものすごく、怒ってる。
「和磨が忙しいからってパンクするほど弱いわけないじゃん! デビューするアーティストに恋人がいるのアウトとか、何時代のアイドルだっつうの! 男同士が、とか、今時言ってんな、ババアって言ってやれ!」
「!」
「気なんか使うな……」
彼女の声が震えていた。
「和磨だけ、気使えよ。大事にしてあげてよ」
「……」
「私とか、他のファンとかじゃ、意味ないんだってば」
「……」
「大事にすんの」
「……」
「あんたじゃないと、意味、ないのっ」
ポロリと彼女の瞳から大粒の涙がひとつ、落っこちた。
「和磨の歌、聴いたげてよ」
聴く、よ。
「ここでじゃなくて、隣でだからっ!」
僕の気持ちが彼のそばにいられるようにと、上からぎゅっと押さえつけるような、そんな声。隣にいなさいって、諭すように、厳しい声。
「ずっと和磨のファンだったんだから」
「……うん」
「ずっと聴いてたんだから」
「……うん」
「あんたのせいで聴けなくなったら、マジでっ」
「……うん」
「あんたに会ってからの和磨の歌、すごく好きだったんだから」
「!」
「そんだけ」
そして、最後にまた僕をキッと睨んで、彼女は駅のほうへと。
「あ、あのっ」
「……」
「ありがとう」
「…………あんたみたいな最近なったファンじゃないのっ。私はずっと前からなのっ。うるさいっ」
あの時も、そう言われたっけ。ずっとずっと彼のファンだった人にしてみたら、僕はすごく最近ファンになったミーハーな人なんだろう。
「……うん。僕は最近だよ」
僕はあの時と同じようにそう答えて、怒りながら、少し肌寒い外を気にすることなく半袖で立ち去る彼女を見送った。
「……」
気、なんか使うなって、言われてしまった。
和磨くんが忙しいからとパンクするわけないだろうって怒られてしまった。
デビューする時に恋人がいたらダメなわけないだろうって。男同士、だからなんだって。
たくさん怒られてしまった。
「っ」
生まれて初めてだ。
怒られて、嬉しいなんて。
すごく怒鳴られたのに、怖くないくて、嬉しくて、笑顔になるなんて。涙が溢れてくるなんて。
そして、こんなに力強く、地面に踏ん張って立ってるのも。
「和磨くん」
僕は、初めてだ。
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