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第104話 市木崎くん
スマホの充電なくて、だから、和磨くんに連絡できなくて。
僕は仕事を終えると大急ぎで図書館を飛び出したんだ。
「……市木崎、くん」
そしたら、彼がいた。
図書館の扉の近く、手すりに寄りかかるようにしながら。
「仕事、終わるの待ってたんだ」
「ぁ……ぅ、ん」
いつも彼と会う時、目が合うとニコッと親しみやすい笑顔を向けてくれていた。その市木崎くんが、僕を見つけて、笑わずに、真っ直ぐな眼差しを向けて。
「あいつ、来たでしょ?」
「……」
「朝」
「あ、うん」
誰のことかと思った。彼女のことだ。朝、僕を叱ってくれた。
「大学の、和磨くんの、」
「あいつも学科一緒なんだけどさ。朝、来たら、泣いた後って顔してて」
うん。泣かせてしまった。
「すぐにわかった。多分、佑久さんとこ、行ったんだろうなって」
僕が大馬鹿者だから泣かせてしまったんだ。
すごく感謝してるんだ。彼女が朝、ああして怒ってくれたから、僕は動けた。今、こうして、大急ぎでスマホ、充電しなくちゃって思えた。
だから、本当に。
けれど、どうして、市木崎くん。
「スマホ、電源切ってるの?」
「あ、バッテリーなくなっちゃって、その」
「貸そうか?」
「え?」
「和磨に連絡したいんでしょ? 電話」
「……ぁ」
「佑久さん」
「あの」
市木崎くん、どうして、あの、僕のこと「佑久」って、さん、付けで。
「……ね」
スマホを差し出した市木崎くんが僕が受け取ろうと伸ばした手にスマホを置く直前、そこで手を止めた。
「俺に、しない?」
「え?」
何、を?
「俺じゃ、ダメ? 佑久さんの恋人」
「……何……言って」
「和磨じゃなくて、俺じゃ、ダメ?」
「……あの」
びっくり、した。
いつも、いつだって、人見知りで、話すの苦手な僕みたいなのでも話しかけやすいほど、優しく笑ってくれる市木崎くんが真剣な顔で、そんなことを言った。
僕の恋人にって。
「俺、最初に言ったけど、ゲイ」
「……ぁ、でも」
「佑久さんが和磨のこと話す時、気持ちを話してくれる時、いっつも思ってた。俺も佑久さんにそういうふうに思ってもらえたらなって」
「……」
「真っ直ぐ、和磨だけを見てるでしょ? 羨ましかった。いつだって、和磨だけを見てて、よそ見なんて少しもしなくて。いつでも、あいつを見つめては笑ってる」
「……」
「俺も、貴方にそう思われたい」
「……」
「俺じゃ、ダメ?」
「……」
「俺といて、楽しいこともあったと思う」
「……ぅ、ん」
楽しかった、です。すごく、穏やかで。すごく和やかで。市木崎くんといると、気持ちが丸くなってくる。のんびりできるんだ。
「それじゃダメ? 俺はすごく楽しかった。最近、ちょくちょく会ってたの、本当は忙しくて会えなくて寂しいだろうから、とかじゃないよ。俺が貴方に会いたかったんだ」
「……」
「絶対に、和磨みたいに遠くになったりしない。いつだってそばにいる。佑久さんのことだけ見てるし、優しくするのは佑久さんにだけ。全部、貴方に」
「……」
「だから、俺じゃ」
「あの、ありがとう、ございます」
僕はお礼を言った。
ちゃんと、怖い顔も、つまらなそうな顔もせずに、気持ちが伝わるくらいに笑顔になれてるといいのだけれど。
僕は気持ちを顔に出すのが上手じゃないらしいから。
「市木崎くんに好きになってもらえて、すごく嬉しいです」
「!」
「でも、市木崎くんが好きになってくれた僕は、和磨くんと出会えてなかったらいなかった僕、です」
「貴方は、貴方だ」
「ううん」
僕はもっと自分ばかりの人間だったよ。人と話すの得意じゃない、声が聞こえにくいんだって。だから、話したくなくて。だから、いつだって少しつまらなそうな顔をしていたんだ。無愛想で、引っ込み思案で、すごく勝手。
今、笑ったり、市木崎くんがいいなって、僕のことを思ってくれたくらい、真っ直ぐ気持ちを伝えるようになった僕は、和磨くんが作ってくれた僕なんだ。
彼と出会えて変われたんだ。
市木崎くんに好きになってもらえるような僕に。
「一年前の、和磨くんに出会う前の僕を見たら、きっと、好きになったりしないよ」
街ですれ違ったことも気がつかないんじゃないかな。好き、好きじゃない、とか以前だよ。きっと君の目には僕は映らないと思う。
「和磨はもう遠いとこだよ」
「……」
「もう別の世界」
「うん」
「佑久さん」
「僕」
今、君の瞳に映っている僕は、和磨くんに出会って、和磨くんの歌を聴いて、若葉さんにお洒落ってなんだろうって教えてもらって、映画を見て、デートをして、近藤さんと一緒に仕事を頑張ろうって思えて。和磨くんのファンの女の子にオオカミサンの歌を大事にしようよって言えた僕なんだ。その僕は、和磨くんと出会えなかったら、いない僕なんだ。
「僕は和磨くんが好きです」
「……」
「離れてしまいそうだったら、頑張って、追いかけます」
「……」
「足、遅いけど。頑張って追いかける」
「そんなふうに、想ってもらいたいんだけどな。俺も」
「ごめんなさい」
深く、お辞儀をした。
「……ね、前に、俺がすごいなって言ったの、覚えてる? 大学祭の時、俺、一緒にライブまでの時間潰してたでしょ? あの時」
「うん」
覚えてるよ。和磨くんのことすごいなって。
「こんなに夢中に想ってもらえるなんてすごいなって思った」
「……」
「羨ましいって。俺もこの人にこれだけ想ってもらえたら、いいのにって」
「……僕は、そんな」
欲しがってもらえるほどの何かを持ってる訳じゃない、けれど。
「スマホ、いる? あいつ、すっごい落ち込んでるっぽいよ」
「あ」
「そのまま別れて俺とくっついてくれたらよかったのにな」
「えっと、あの、やっぱり、大丈夫、です。スマホ、帰って充電して、それで連絡してみる、ので」
そこで、ニコッと笑ってくれた。
「会えないかもよ? マジで忙しいし。俺らも全然会えてないくらい」
「うん」
「椎奈、さん?」
君がいつも通りに僕を呼んでくれた。
「大丈夫」
少しドキリとしてしまう。市木崎くんはすごくカッコいいから。それに、そうやって僕を呼ぶの、和磨くんだけだから。
「和磨くんが忙しくて、電話すぐに出られなくても、僕、いくらでも待ってるから」
今度は僕が笑ってそう答えた。その顔に、市木崎くんが少し驚いて、じっと見つめて、また笑って。
「やば……ホント、あいつ羨ましすぎ」
そう言って口元を隠した市木崎んの柔らかそうなブラウン色の前髪を風が揺らした。カラリとした、雨の匂いがしない、心地いい風。僕の最近、どんより雲と湿気のせいで上手にふわふわにならなかった髪も揺らしてくれる爽やかな風。
ちょっと、くすぐったくて、けれど、心地良くて、気持ちが少し跳ねるような、そんな風だった。
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