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和磨視点 第108話 月

 けっこう適当な人間だけど、けど、一個だけ絶対に守ってることがある。 「あ、和磨、こんなとこにいたんだ。……って、何、本? 読めるの?」  顔を上げると市木崎だった。 「お前なぁ」 「だって、珍しいとこで珍しいことしてるから」 「……いいだろ」  パタンと本を閉じると、その本が気になるのか市木崎の目線が俺じゃなく、本の方を向いていた。それを遮るようにカバンの中にしまって。って、あんまグイって押し込んだら本折れるよな。折れたらダメだろ。返すんだから。 「どうかした?」  そして、なんで小説なんて読んでんの? とか、興味を持たれる前に、俺から話を逸らそうと、俺を探していた目的を聞き出すと、あ、そうだ、と市木崎が表情を変えて、追いかけていた目線がパッと上を向いた。 「明後日なんだけど、飲み会、来る?」 「明後日は……」 「予定あり?」  明後日は、佑久さん、遅番だったろ。そうそう、遅番の曜日だ。その次の日が早番だから。  どこ連れてこうかな。晩飯。  佑久さん、辛いのダメかな。  あそこ、火鍋のとこ、美味いけど、ピリ辛でまぁまぁ大概の人は旨辛いってレベルだけどなぁ。あの人、辛いの苦手そう。ちょっとでも辛かったら真っ赤になってそう。けど、大丈夫かなぁ。好き嫌いはあんまないって言ってたし。あー、けど、この間の餃子んときはラー油かけてたから大丈夫なのかも。 「おーい、和磨?」 「! あ、わり」 「いや、全然」 「あー……飲み会」 「そ。この間一緒に飲んだ子がまた飲みたいってさ。俺、ゲイだよ? って言ったら、それでも大丈夫って言っててさ」 「じゃ、女の子いる感じだ」 「そ」 「じゃ、やめとく」 「はい?」  そんなに真面目な人間じゃない。  そうだな、夏休みの宿題は終わりに焦りながらテキトーにやるタイプだったし、学校サボって、同級生とカラオケ勝負とかしたこともあったし、女の子をナンパしたことも多々。成功率はまた、まぁ、ぼちぼち。  けど、浮気は絶対にしない。  好きな子ができたら、その子のことだけは絶対に何があっても大事にする。  マジで、何があっても。 「え? もしかして、カノジョできた?」 「あー……」 「へぇ、俺の知ってる子? っていうか、この前のその飲み会の」 「ばーか、ちげぇ」  好きな子ができたら、マジで、その子だけ。 「カノジョ、じゃない」 「? まだ付き合ってないのか。へぇ、ようやく?」  市木崎を伺うと、最後に付き合った子からけっこう時間空いただろって。そうネガティブになるような別れ方じゃなかったけどって。  まぁ、今回は確かに間が彼女いない時期長かったかな。  別に作りたくなかったとかじゃないけど、いいなって思う子がいなかっただけの話で。 「どんな感じの子?」 「カノジョじゃない」 「うん。だから、どんな子?」  あー……言うんじゃなかった、かな。こいつにはそういうの言っておくと、もう市木崎のとこで、こういう類いの誘いほぼほぼ断ってくれるからさ。カノジョがいるから飲み会来ないよ、とか、他の誘いとかでも。  気が利くつーか。  世話焼き、つーか。  だから、今も、前回も俺をあえて飲み会に誘ってくれてたんだし。  俺が、もう半年以上、カノジョ、を作ろうともしてないから。  そんで俺が歌を歌わなくなったのもほぼ同時期だったから。  多分、気にしてくれてるんだろ。  そういう奴だから、正直に言おうかなって思ったんだけど。 「……相手」 「うん」 「……男」  絶対に。 「あ、そうなん…………えええええええええっ!」 「ばか、うっせぇよ」  騒ぐから。 「静かにしろっつうの」  ほら、ここの司書さんがめちゃくちゃ睨んでんじゃん。佑久さんとは違うんだから。それでなくても、俺みたいなのがここにいる時点で浮きまくってて、ただ昼寝でもしに来たんだろって思われてんのに。 「は? ちょ、何、男って」 「だから、相手、男。同性」 「は? なん…………え? あ、もしかして本も、その人の、影響」 「……うっせぇ」  ほんと、勘がいいよな。お前は。 「他に言うなよ」 「言わない言わない。へぇ、すごいな。和磨完全ノンケなのに」 「……いーだろ、別に、今回たまたま相手が男だったんだよ」 「へー、会わせてよ」 「は? やだよ」 「えー、なんで? 毎回、カノジョに会わせてくれんじゃん」  そりゃ、大勢のほうが楽しかったりするだろ。だからってだけで。 「…………今回はやだ」 「なんでよ」 「……」 「あ! もしかして、俺の恋愛対象になり得るから?」 「うっさいっつうの」 「えー、まぁ、そうだけど」 「だから」 「まぁ、無理には言わないけどさ」 「なら」 「そっか。けど、そんなに可愛いんだ」  可愛い。顔とかじゃなくて、いや、フツーに笑ったからすげぇ可愛いけど。  肌が白くて、髪真っ黒で、目も真っ黒で。  けど、女の子みたいってわけじゃない。  ちゃんと、男だなって思うよ。手が骨っぽかったりさ。身体も別にふわふわ柔らかいとかってわけじゃないし、いや、触ったわけじゃないけど。 「じゃないと、ノンケが同性に落ちないでしょ」 「あー……」  喉仏だってちゃんとあるし。 「え……もしかして、ガチムキマッチョ系? それは」 「ちげーよ」  声だって低いし。  ―― あ、これなんか、どうですか? これは。  一生懸命、オススメの本教えてくれたっけ。  ―― 僕も気に入ってる一冊で、主人公の少年が騎士として……? あの、どうかしましたか?  声、いいなって思ったんだ。  それから、本の説明をしてくれる時に、すげぇ楽しそうで、少し笑ってたりなんかして。 「とにかくそういうことだから」  その表情が、可愛いって思ったんだ。 「もう女の子がいる飲み会は全部パスだから」  そんで、その時にはもう、フツーに好きだったんだよ。 「魅力的だと思う」  声がいいって思った。  落ち着いた声は耳によく馴染んで、佑久さんの声だけがうるさいくらいに賑やかな店の中、別物に聞こえる。  まるで、あれ。  飲み会で、騒がしくてうるさくて仕方ない繁華街を歩いてる時、ふと、上を見上げて見つけた月みたい。雑多で、雑然、そんな中、一つだけ静かで、穏やかに何も邪魔しないのに夜空に明るくてさ。人の邪魔を少しもしない静かな。  月みたい。  俺はそんな月みたいに穏やかなこの人が楽しそうに、一生懸命に本の話をしてくれるのを聞くのが好きだった。  好き、だった。 「俺の、歌?」  コクンと頷く、佑久さんの頬が赤くなった、気がした。 「う……ん」  信じられる? 「毎日聴いて、ます」  俺が歌った歌、この人、聴いてた。  毎日?  マジで?  半年前のだけど?  他にあんじゃん。  今の歌、すげぇ、上手い奴らが歌ってんじゃん。  アレンジかっこいいの、山ほどあんじゃん。 「すごく」  半年前の俺の動画なんて、そんな山ほどある、かっこいい新しいのが上にいくつもいくつも重なって積み上がって、引っ張り出す必要なんてないじゃん。引っ張り出さなくても、もっといいのがその上に幾つも乗っかってる。 「だから、感謝して、ます」  この人は、そんな上に乗っかってる全部の中から、一番下にいる俺のを引っ張り出して聴いてくれてた。  信じられる?  この人、が。 「歌、聴けて」  俺の歌、今日、聴いてたんだ。  俺の歌を今日も聴いてたんだ。 「ありがとう、ございます」  ねぇ、佑久さん。  信じられる?  俺、今、嬉しくて泣きそうなんだけど。  ありがとうっていうの俺の方なんだけど。  ねぇ、マジで。 「音楽、詳しくないから、何か、ちゃんとした感想とか、言えそうにない、けど」  嬉しくて、あの、月のとこまで。 「でも、ずっと、聴いてます」  飛んでいけそう、なんだけど。

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