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和磨視点 第111話 恋をしている

 あの日、飲み会の帰り、なんで俺は佑久さんに歌、聴かせようとしたんだろ。  確かに飲み会でその話題は出たけどさ。聴いて欲しいって思ったりは――。  佑久さんの掌にイヤホンを置いた。あの時と同じように、その手の中に金色のイヤホンを。  コロン、って。  佑久さんがそのイヤホンをじっと見つめてる。  あの時のこと、思い出した? 俺は覚えてないんだけどさ。  なんであの時、佑久さんを飲み会に来た女の子と間違えて話しかけたんだろ。なんで、音楽聞かせたんだろ。  わかんないけど。  くさいかもしんないけど。  もしかしたら、思ったのかもしれない。  真っ黒な髪が綺麗だなぁって。  真っ黒な瞳も、綺麗だなぁって。 「……自分の歌、目の前で聴いてもらうの、はっず」  照れ臭くて、ものすごい緊張した。  アカペラにしたの、ビミョーだったかな。けど、アレンジするより、俺の声だけで聴かせたかったんだ。表現できるだけの技術なんてないけど。  ちょっとミスったんだよ。  これ、一発じゃなくて、何度か撮り直してさ。俺、高い音は苦手なんだ。 「ここ、ちょっと音ギリギリ……声、出てねぇ……ほら」  あ。  けど。  自分でわかる。  俺、すげ、楽しそう。  こんなだっけ。  歌うのって、こんな感じなんだっけ。  そう。  こんな感じだったんだ。  歌、勝手に気持ちが歌い出して、それが声になって、音作ってく。  懐かしい気がした。  高校生の時、とにかく歌うのが好きでさ。自分の声が音楽の芯を作っていくのがたまらなく楽しかったんだ。歌声があって初めて、満足感のある一つの作品になるのが最高でさ。 「……あ、ここも、やっぱ高い音苦手なんだよな。掠れる」 「好きです」  佑久さんの優しくて淡いブルーグレーみたいな、夜から朝へ切り替わる瞬間の、ほんの数分だけ見られる空の淡い色を想像させる声が、静かにそう告げた。 「オオカミサンの、少し掠れる声、好き」 「ありがと」  丁寧に、指先で撫でられてうっとりと目を瞑る猫みたいに、俺はその声を聴いていた。 「あと、あの、優しくて、僕なんかとも楽しそうに話してくれるとこ、好きです」  静かで、穏やかで、温もりのある手に撫でられてるみたい。 「あと、僕が小説のこと全然上手に伝えられなくても、映画を観に行った時だって、お喋り下手なのに、ちゃんと聞いてくれるところも、好きです」  いつも少し慌てて話す佑久さんが、一つ一つ、ゆっくりと、丁寧に。 「好き」  ラブレター、みたいに。 「……です」  真っ白な便箋に綴られる、少しだけ、ちょっとだけ紙に染みて、滲む、言葉みたいに。 「好き、です」  佑久さんの声だけ、特別に聞こえる。  ―― あ、あの、どうぞ。座れますよ。 「……あの、僕……本当、ですか?」  そうだ。あの時も、特別に聞こえた。 「あの、僕、は、和磨くんの」 「……」 「好きな人って、あの」  その時だった。俺の照れ臭くなるくらい久しぶりに歌ったアカペラの『ハル』が終わって、一つ、深呼吸をした。 『半年ぶりに歌ってみたんですけど……楽しかった』 「次、聞いてて」 「は、ぃ」  笑えるよね。  佑久さんに届くかわかんねぇのに、先に全世界配信でさ、告白してるし。けど、初めてだった。  今まで、たくさんの人に聴いて欲しいって思ってた。俺の歌を「みんな」に聴いて欲しいって。  初めてだよ。  俺はこの時、マジで、ただ、好きな人に伝わるように願って歌ったんだ。あの日、映画を一緒に観た佑久さんに歌った。  一緒に飯食いに行った時の笑顔が可愛かった。  案外、しっかり食べるとこがすげぇ可愛かった。  好き嫌いがなくて、けど、意外な組み合わせのものには最初怖気付くとこも。  本を勧める時にさ、目輝くの、知ってる? キラキラって、まるで夜空に瞬く星みたいに、マジでキラキラしてるんだ。  そんで、本を読む時は、静かで、時間、止まってるみたい。その横顔は綺麗で、本当に時間止まっても永遠見てられるとか、思ったりして。  とにかく、佑久さんのいろんな表情のどれも、好きだよ。 『好きな人と聴いてもらえたら嬉しい……かな』 「というわけです」  すげぇ、好き。 「聴けたなぁ……って」 「……」 「好きな人と聴けた」 「……ぁ」 「佑久さん?」 「あの」  あ。 「ありがとう、ござい……ます」  その顔も好き。  真っ赤になって俯くの。  そんな時に、佑久さんの頭ん中がさ、俺のことでいっぱいだったらいいのにって思ったんだ。最高なのにって。 「こちらこそ、でしょ」  佑久さんが俺のこと、好きになってくれたら最高なのにって。  俺の頭の中は君のことで頭がいっぱいだ。  佑久さんは笑っててよ。  もう、笑えるくらいそればっか。  そんであわよくば、俺の隣で、笑ってて。  ずっと、できることなら、ものすごく、ずーっと。 『だから、待っててね』  佑久さんの声だけが特別に聞こえる。  その声が、今までで一番はっきりと真っ直ぐにそう告げてくれた。 『それじゃあ』 「佑久さん」  佑久さんは笑っててよ。 『?』 「……好きだよ」  けど、今は、なんか、キリリとしていそう。  ホント、表情が変わるんだ。本人はあんまりそう思ってないみたいだけど、楽しいとか、嬉しいとか、寂しいとか、切ないとか。あと、恋しいも。  全部、まるで言葉にしているみたいに伝わる。 「……はぁ」  目を閉じて、今、君がどんな表情なのかを想像した。 「っぷ、何、ちょっと音信不通になるって」  きっと抱き締めたくなるほど可愛い顔をしている気がした。しばらくどこかに篭っちゃって連絡つかなくなるらしくてさ、何してんの? って、思わず笑った。  久しぶりに、笑った。

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