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和磨視点 第113話 夏の風

「今日もおつかれさました」 「おー」  バンドの人たちが雑談を止めて手を振ってくれた。俺はぺこりと頭を下げて、リュックを肩にぶら下げるとスマホを取り出した。 「……」  佑久さんからの着信、メッセージは、なし。  まぁ、そうだよな。  音信不通になりますって宣言したし。つか、音信不通ってなに? どこに行くの? つーか、図書館行けば会えるんじゃん? 本当に山籠りはしてないだろうし。  でも、なんかしようとしてるっぽいのを邪魔はしたくなくて。  会いたいけど、応援もしたくて。  あー、こんな感じなのかな、とか考えたりした。 「澤井くん」  佑久さんが俺のこと、応援してくれてる時って。こんな感じに少し焦ったくてたまらなかったのかなって。 「……ぁ」 「お疲れ様。今日のリハ、参加できなくてごめんね」 「あ、いえ、つーか、アマチュアの俺なんかのためにバンドの人のスケジュールすいません」  本来はこの人のために演奏するのが仕事だろうバンドメンバーだから。  けど、彼女はいいのよ、ってにこりと笑って、メディアや映像からはわかんない、少し甘い香水を漂わせた。  若葉もたまに香水をつける時がある。大体はオフの日。仕事柄、美容師で、お客さんと至近距離で接することが多いから、普段は完全無臭を心がけてる。  それはこの人も同じなんだけど。普段はなんも香りがしない。けど、今日は甘い感じ。  若葉は休みの日、どーしてもテンションが上がらない時にはつけるって言ってた。自分に、ほら頑張れって応援も込めて。こういう甘いのじゃなくて、爽やかなグリーンっぽい香り。気持ちがシャンとするような清々しいのを若葉はつけてる。 「今は、アマチュア、でしょ」 「……あー……、そのことなんすけど」  そこは俺はこだわらないかなって言いかけた。けど、それを遮るように深く呼吸をして、俺が手に持っているスマホにちらりと視線を向けた。 「プロになれるだけの力がある。そしてプロになればいくらでも歌を歌える。ライブも今回は私とコラボって枠で出演だけど、そのうち単独だってできる。最高だよ? 歌えばわかる」 「……」 「何万っていう人の前で歌うのがどれだけ最高か」  満員の大会場で、ペンライトがきっと全て、「オオカミ」のブルーカラーに変わる。それが自分の歌声に合わせて左右に揺れる光景。歓声と拍手。どこまででも届きそうな自分の歌声。それから、どんな雑音も打ち消して、世界を自分と音だけにしてくれる大音量の演奏。  それはきっと最高で、一度でも味わえばもう絶対に手放せない興奮。  その後になんて、もう、一般人になんて戻れない。知っている人だけが、そこに立ったことのある人だけが、知ることのできる幸福。それは、観客も知らない世界で、一生、感じることのできない感動がある。 「だから頑張って」 「……」 「私はこの後、打ち合わせあるの。澤井くん、忙しいでしょ? 大学もあるんだし。少しでも時間がある時はちゃんと休んで。今はよそ見はするべきじゃないし」 「……」 「休息。それもプロの仕事の一つだから。それじゃ」  そう、っすね。  寝不足じゃ、腹に力なんて入らない。腹に力入らなくて、声なんて出るわけがない。歌は身体全部使って歌うんだ。  だから、休息もプロの仕事、だ。 「……プロ、か」  ――一度、ライブのステージに立ったら、もう降りたくなんてなくなるから。  そう勝ち誇るように、彼女だけじゃない、バンドの人も、みんな、そう、俺が今まで会ったことのあるどんな歌い手たちよりも目を輝かせて話してた。 「お、今日のリハ、終わり?」 「っす」 「頑張るね。お疲れ様」 「……」  この受付の人は見たことのない世界。  きっと大半の人は見ることの叶わない世界。  それを多分、俺は見られる。あの人が、あの人たちが、ライブの話をする度、まるでそこにそれがあるみたいに目を輝かせる。  その輝く瞳の先にはきっと、俺はまだ見たことのない光景が広がってるんだろうなって、そう思う。  思うけど。 「和磨」 「!」  少し懐かしい感じがした。もう最近、忙しくて大学行ける時にはちゃんと行ってるけど。ダサいだろ、芸能人っぽくなった途端忙しくて行けなくなったとか。中途半端になんの、ダサいから。だから行ける時は行ってる。けど、市木崎たちと今までみたいにのんびり話してたりする時間はあんまなくて。 「少しだけ、いいか?」  だから少し懐かしい感じがした。 「……あぁ」  懐かしくて、スタジオにいる間どうしたって、周りは全員プロで、俺はアマチュアで、ずっと力んでた肩が、その懐かしさにフッと力を抜いたのがわかった。 「よくここにいんのわかったな」 「……あいつ、和磨の追っかけじゃん」 「……」  市木崎がのんびりと歩いてる。その足元は涼しげなサンダルで、俺はスニーカーで、そっか、もう夏じゃんって。だよな、俺が出るライブ、夏フェス、だし。けど、スタジオ、大学、自分の部屋、なんかその三つくらいをぐるぐる回ってるばっかで。あ、あと、コネ作りも兼ねた食事とか。その合間で、宣伝兼ねたSNS用の写真とか動画撮って、あげて、コメントとか見て、なんてしてると、季節感ほぼなくなってた。 「言いたいことたくさんあるけどさ」  市木崎の背中、リネンのシャツに、確かに夏らしさのある少し湿度の高い風が入り込んだ。 「俺、佑久さんに好きだって言った」 「!」  俺は、市木崎が今日ここに来て、こうして呼び止めなかったら、きっとタクシーに乗って自分んちまで帰って寝てた。  この夏の風を感じる暇もきっとなかった。

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