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和磨視点 第114話 友人

 スタジオ前にはでかい街道がある。片側だけで三車線もあるようなでかい街道で、行き交う車も遠慮なしにスピードを出して走っていく。もうけっこう夜遅いのに、それでも構わず車は途絶えることなく次から次に市木崎の背後を流れていく。市木崎は歩道のチェーンを留めている支柱のポストに腰を下ろして、髪をかき上げた。  良い奴だし、良い男だなって、思うよ。 「好きだって、言ったから」  こいつに好きって言われて有頂天にならない奴っていないんじゃん? って思うくらい。 「佑久さんのそばにいない和磨が悪いんだろ」 「……」  優しいし、視野広くてさ、考え方も大人だし。俺よりずっとバランス感覚良くて、なんでもできて、頭良くて、ダメなとこを探すのが難しいくらい。 「……いつ?」 「……言わない」  俺がさ、もしも、若葉とかさ。俺と市木崎両方を知っている誰か側だったとしてさ。佑久さんがいて、どっちかを選ぶことになったけれどどうしようって相談、されたとすんじゃん?  俺は絶対に市木崎を薦める。市木崎といたらきっと、すげぇ幸せになれそうじゃん。完璧でさ。大学でだって人望すげぇし。  逆に俺は、すげぇ不器用で、下手くそで。  佑久さんに寂しい思いもさせてるし、ぶっ飛ばされたってしょうがないって思うし。けど。 「もうフラれたから」  けど。 「腹いせにそのことについてはこれ以上教えてやらない」 「!」 「訊きたければ、佑久さんに訊きなよ」 「……」  市木崎はじっと俺を見つめて、小さく笑った。笑って、足元のコンクリートを数秒眺めてから、スタジオ前のでかい街道、そこを行き交う車の方へ視線を向けた。向けたっつうよりも、一つ、大きく深呼吸をして、また視線を俺へ向けた。 「ぶっちゃけ、俺の方が佑久さんのこと幸せにできるよ」  知ってるよ。わかってる。 「お前、無駄にモテるし、みーんなに優しいし。いっつも思うけど、それ本当に優しいの? って。俺は佑久さんにだけ優しくする。それさ、何より、お前、ノンケじゃん」 「……」 「今は佑久さんのこと好きでも、そもそもの恋愛対象は女の子でしょ」 「それは、佑久さんだって」 「けど、俺はそういう意味で佑久さんを裏切ることはないよ」 「……」 「絶対に」  俺の恋愛対象は確かに女の子で、それはきっと変わらない。別に今だって男相手にそんな気は起きそうにないし。 「今回、一緒に歌う、あのアーティスト、和磨の事狙ってるでしょ。美人だし、元モデルでしょ? 言い寄られてる? 実際、佑久さんのとこ、来たよ? 別れろって言いに」 「!」 「知らないでしょ。そういうとこだよ。お前の悪いとこ。良くも悪くもも、目の前のことにすっごい集中するの。佑久さんのこともそう」  別れろ、とはっきり言われたことはない。けれど、別れるべきだと遠回しに言われたことは何度かあった。プライベートで得られる幸せ以上の興奮と幸福感がステージにあるって何度も言われた。夢中になるって。 「佑久さんが我慢してることも、色々言われて、ものすごく悩んでたことも、お前が芸能人みたいに忙しくしてるのを、遠くで応援することにすごく寂しそうにしてるのも、全部、ちゃんとわかってない」 「……」 「電話、来た? 佑久さんから」 「……」 「来たっぽいな。……なぁ、和磨」 「……」 「本当に、佑久さんのことを思うんなら。別れたほうがいい」  エアコンで冷え切って、なおかつ湿気なんてないカラッカラの場所はあえて蒸気が欲しいくらいでさ。夏らしい湿気混じりの風は逆に新鮮で、懐かしかった。大学の芝生んとこで、他愛のない話をしてた時とかを思い出す。  まだ、佑久さんとは感じたことのない季節。  まだ、佑久さんとは、春の柔らかい風に穏やかな日差ししか知らなくて。  花火も、海もまだ。秋も冬の寒さも、まだ一緒に味わってない。 「今は悲しくたって、この先、まるで違うだろ。お前がいるところと、佑久さんがいるところは」  夏の暑さに困った顔のあの人が見てみたい。  秋の紅葉に負けないくらいに真っ赤になって照れるあの人が見たい。  冬に凍えるくらい寒くたって抱き合ってさ、あったかいって、言わせたい。だから――。 「いやだ」 「!」 「佑久さんとは別れないし、離れない」 「……」  はっきりと、一番、きっと届く声で伝えた。  わかってる。歌、で生きてくってなれば人の目に晒されることだって多くなる。きっとそんな場所は佑久さんには居心地最悪だろ。全部からはきっと俺は守れない。そこまでできた人間じゃない。どっちかって言えば、全然、何もできてなくて、市木崎みたいに完璧なんかじゃなくて足りないとこばっかで。 「佑久さんだけは、離さない」 「……」  そんな俺でも、俺はやっていこうって思えたんだ。  俺よりずっと上手い奴がいようが、俺の歌なんて必要なかろうが、それでいいって思えたんだ。  佑久さんが俺を好きになってくれたんなら、俺は俺を好きなれるし。  佑久さんが俺の歌を好きになってくれたんなら。 「絶対に、離さない」  俺は、俺の歌が好きなんだ。 「…………ったく」  市木崎は、笑いながら一つ溜め息を溢した。 「自分にはもったいないって思って別れろよ」 「いやだ」 「あんな人、最高に幸せにしてやらなくちゃいけないんだから」 「あぁ」 「お前がこっぴどく振って、俺が佑久さんを支えて、絶対に忘れさせて、絶対に幸せにすんのに」 「あぁ」 「…………言ってたよ」 「?」  何を? って、誰が? って、顔を上げたら、腰を下ろしてた支柱から立ち上がって、市木崎が大学のカバンを肩にかけ直した。 「離れちゃったから、大急ぎで追いかけるって」 「!」 「あの人のこと、こっから先、少しでも寂しい思いはさせんな」 「頑張るよ」 「…………ったく」 「俺、お前ほどちゃんとしてないし」 「だから別れろって言ってんの」 「いやだ」 「……」 「寂しい思いはさせるかもしれない」  ――和磨くん。  やば。  しばらくあの人、山? かは知らないけど、こもるっつってたのに。 「けど、一生、あの人が飽きるまで、歌う」  今すぐ会いたい。 「いくらでも、歌う」  いつになったら籠るの終わんのか訊いとけばよかったな。 「それは」 「?」 「俺にはできそうもないやつじゃん」  そう言って市木崎が笑った。笑って。 「……ったく」  今日、何度目かの溜め息をついた。 「じゃあ、俺帰るわ」 「……」 「けど、いつでも佑久さんのそばにいて、見張ってるからな」 「!」 「泣かしたら、ぶん殴る」  市木崎が暴力とか、想像できなくて俺も笑った。 「じゃーな」 「あぁ」  市木崎を見送りながら、久しぶりに大学の片隅で話してるみたいな気軽さに、力んでた肩から力が抜けた気がした。

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