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和磨視点 第115話 タスク
歌は楽しいものだった。
だから難しい歌の方が好きだった。上手く歌えるのが楽しかったから。いつだって、難しそうな音運びの歌を探してた。
けど、俺よりもっと上手い奴なんて数えきれないくらいいて、俺より人気の歌い手だって山ほどいて。俺には歌えない難易度ハンパない歌もたくさんあって。けど、その難易度ハンパないのを歌えちゃう奴もやっぱいて。
そんで、俺は歌えなくなったりもした。
「このあと、おおとりに海外のビッグバンドがいるから、少しテンション低いかもだけど」
知ってる。俺、このバンドの歌、難しくて歌えなかったっけ。半端ない音域の広さと、リズムの取りづらいメロディラインに、目まぐるしく変わるテンポに、こんなの生で歌える奴いたら、頭おかしいって思った。
「俺、去年、このバンドのライブ見たんすよ」
「あら、そうなんだ。好き?」
「まぁ」
そんで、生で歌ってるボーカル見て、呆気に取られたっけ。生の方が人間味があって最高って、バケモンかよって。
「ハルを歌うには少し不向きな雰囲気かもね」
そっか。このバンドが立つステージに俺も立つのか。すっげ。一生に一度じゃん。そんなの。
「あ、あと、ハル、歌った後、少し、自己紹介の時間取ってもらってるから。MC」
「あ」
マジで、一生に一度だな。
「その自己紹介っつうか、MCってどのくらいの時間貰えるんすか?」
「そうね……五分ないかな」
「了解っす」
五分、か。
充分、だな。
「そういうの、時間まできっちり把握するタイプだと思わなかった」
「そうっすか?」
にこやかに笑って返事をすると彼女が楽しそうに笑った。今日のライブのために、なんだろう、少し普段よりも濃いメイクの彼女は、そのあと、ギラギラに装飾がほど越されたイヤホンを片方ずつ耳から外した。
「私、雑誌の取材が入ってるから」
「あ、はい」
「まだ少しあるからゆっくりしてて」
「はい……」
五分、か。
「……ふぅ」
歌は、楽しいもの。
だったんだ。
今までは。
歌は、上手い奴が歌った方がいいって思ってた。
今までは。
けど、今は、歌いたいから歌うって思ってる。
俺の歌を聞かせたい人がいるから、歌いたいって思ってる。
歌はたまに苦しくて。
歌はたまに幸せをくれる。
「…………」
あの人を幸せにしてくれるから、俺は俺の歌を好きになれた。
「?」
今の俺は、今までで一番、歌うことが好きになった。
「……何」
外が騒がしかった。ここ、屋外ライブ会場に作ったテントだから。
なんか、外の、スタッフ? よくわかんないけど、騒がしくて、なんだろうって。
「あー! ここ! こっち!」
この声。
「早く早く!」
これ、若葉の。
「和磨っ、くん!」
「!」
声。
「あ、あの、和磨くんっ」
「……」
なん、で、佑久さん。
「あのっ、こもってたの、終わりっました」
すげ、本物?
「こ、これっ」
走った? 顔真っ赤。
「これ、僕、からのラブレター、というか、あの」
ぎゅって、握ってるの、手紙?
「僕! 本が、好きなので!」
「?」
あー、佑久さんだ、って思う。こういうとこ。すげぇ柔らかくふわりって感じに話すけど、ちょっと興奮したりすると、言葉が頭の中で走り回ってそうな口調に変わる。たくさん伝えたいことがあってさ、それを伝える言葉たちが頭の中でにぎやかに駆けっこしてて、それを一生懸命一つ一つ捕まえて、ぎゅって抱っこしながら俺の前に持ってきてくれる、みたいな。
「僕が今まで触れたたくさんの言葉、全部、全部で、書きました」
キレーな字。
「和磨くんに、歌ってもらったでしょう?」
「……これ」
―― 君を笑わせる。それが僕の一番だ。
「僕、本当に和磨くんの歌、好きです」
―― 君を楽しませる。それも僕の一番だ。
「だから本当に応援して、ます。邪魔なんて、したくない、です」
―― 君を幸せにすためなら僕はなんだってするんだよ。だってそれが僕の一番大事なこと。
「でも、会えないの、寂しくて」
――ねぇ。
「でも! そんな時でもこれ、あれば寂しくない、かなって」
これは、俺のオリジナルにつけた、歌詞、だ。
ほら、読んでると勝手に頭の中であのリズムに合わせてる。
「歌って、欲しい、とかじゃなくて。和磨くんが作ったメロディに、僕の綴った言葉を乗せたら、僕はいつでも君と歌で繋がれるなって思って」
「……」
「そしたら、会えなくても、」
歌詞、だ。
「あ、あのっ、和磨、くん?」
強く引き寄せた。
「これ、書くために山にこもってたの?」
「あ……山にはこもってない、です」
っぷは。そーいうとこ、すげぇ好き。全部ちゃんと真っ直ぐ素直に答えるとこ。
「仕事も行ってたので。でも、本たくさん読んだりして、何度も何度もこの、録音したメロディ聴いて言葉を探して、ました。僕の伝えたい気持ちとか、和磨くんのことこう想ってますってこととか、全部詰め込みたくて。すごく難しくて。歌詞考える人はみんな天才だって思った。なので、全然、ちっとも、だけど」
「……」
「あのっ」
引き寄せて、その白くて華奢な長い指を捕まえた。
ぎゅって。
「あの……受け取って」
「……」
「もらえます、か?」
捕まえた。たくさん走った? いつもは前髪下ろしてるのに、風でふわふわに起き上がって、真っ黒な瞳がよく見えた。
「和磨くん」
その真っ黒な瞳に俺しか映らないように、何より、誰より近い場所で。
走ってくれた君のおでこに額をくっつけた。
「嬉しくて、溶けるかと思った」
「と、溶けたら、や、だよ」
そう言って君が、指を掴んでる俺の手をぎゅっと掴み返してくれる。
「ありがと」
「……」
「マジですげぇ嬉しい」
「……」
「ライブ、聴いてて」
「もちろんです」
いっつも、俺、こうして佑久さんのおでこにコツンってやるじゃん?
「ありがとう」
「和磨くん」
これさ、伝えきれないから、こっから、くっついたここから伝わないかなって思って、やるんだ。
すげぇ好きってこと。可愛くて困るんだけどってこと。佑久さんが俺の宝物だよってこと。佑久さんがいたら、俺はマジですげぇ幸せってこと。そんな気持ちのどれも俺の足りない頭じゃ上手に伝えられないから、こうしてこっから全部佑久さんに流れ込んでってくれないかなって思って、やるんだ。
「聴いてて」
「はい」
「最高のライブにするから」
「……はい」
貴方がいたら、俺は誰より何より最高の歌が歌えるって、思うんだ。
『ハル』を歌ったら、そのあと、アーティスト活動始めますんでよろしくって自己紹介。
時間は数分。
「あー、今日はありがとうございました。俺……」
歌は楽しいものだった。
だったんだ。
今までは。
歌は、上手い奴が歌った方がいいって思ってた。
今までは。
けど、今は、歌いたいから歌うって思ってる。
「すんません。俺、ただの歌い手なんで」
俺の歌を聞かせたい人がいるから、歌いたいって思ってる。
「話すことなくて」
歌はたまに苦しくて。
歌はたまに幸せをくれる。
「歌、歌います」
あの人を幸せにしてくれるから。
俺の歌で、あの人が幸せそうにしてくれるから。
「聴いてもらえたらって、思います」
今の俺は、今までで一番、歌うことが好きになった。
「タスク」
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