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第116話 佑久

 僕のありったけで、君に伝えたかったんだ。  僕がたくさん、本当にたくさん思ったこと、考えたこと、君に出会う前の自分も含めて。  君のことがたまらなく大好きだと、伝えたかったんだ。  僕のものすごい我儘、なんだ。  君の作った唯一のメロディに言葉を綴って乗せる、なんて。  大それたことすぎるのだけれど。  少し先、そうだな、夏がすぎて、秋くらいかな。夏の暑さのせいだったんだ、正気じゃなかったんだって大慌てになるかもしれない。あんなすごい歌を歌える彼の曲に言葉を乗せるなんて、正気の沙汰ではなかったんだって、思うかもしれない。秋の落ち着いた陽気に正気を取り戻して、なんてことをって、なるかもしれない。  けれど、今の僕はどうしてもその正気の沙汰じゃないことがしたかった。  君のメロディに。  僕の言葉を。  笑われたっていいんだ。  叱られたってかまわない。  それでも、どうしても。 「いた! 佑久くーーーん!」 「わっ、若葉、さんっ」  長身の美人が大きく手を振ってると、周囲の人がその手を振った先にどんなかっこいい人がいるのだろうと、その目線を手を振る先を確認するように振り返る。  振り返った先に、彼女に見合いそうな男性俳優さんがいなくて申し訳ないのだけれど。 「す、すみませんっ」 「へーき! んもおお、びっくりした!」 「あ、あのっ」  そう、ですよね。本当に、こんな時ばかり、その、頼ってしまって。 「ふふ。ぜっんぜんっ! びっくりしただけ。それに任せて、これでもメイクアップアーティストとして結構有名なんだから」  はい。それは、もう、充分。 「待っててね」 「!」 「私が、佑久くんの王子様に会わせてあげるから」 「す、すみません」  すごく難しくて時間かかってしまった。僕が音楽の成績もう少しくらい良かったら、まだもうちょっと早く出来上がってたかもしれないけれど。何せ、音楽は不得意科目だったから。  和磨くんのライブ前には完成させたかったのに。  大丈夫と思ったんだけど。 「んじゃ、まずは変身ね」 「?」 「その格好じゃ一般人っぽいでしょ? もう少し小慣れたスタイリスト風じゃないと」 「は、はひ!」 「そんなわけで、はい! これ!」 「!」  ごそっと手渡されたのは大きな紙袋。中には服が。 「私が会場まで運転するから、佑久くんは後部座席で着替え!」 「え! 車の中で、ですか?」 「もう時間ないから! はい! 乗って!」 「わわっ」  小さな、可愛い桜カラーの車の中は、以前、朝焼けの中、桜のもとまで走った時とは違い、爽やかな夏の香りがした。  柑橘系の、喉奥がシュワシュワする、暑ささえも心地良いって思えそうな、爽やかな甘い香り。 「途中、混みそうだから急ぐよー!」 「は、はひっ」  わ。車の中で着替えるのって、人生で初めてかもしれない。丸見え、だけど。 「あ、あの」 「んー?」 「すみません。本当に」  今日が和磨くんが出演する屋外夏フェスティバルの日。 「ぜーんぜん」 「あの、本当に、我儘で。その」  チケット、送ってくれたんだ。和磨くん。でも、そのチケットで入れるのは観客席までで。それじゃ、君のところに届けに行けなくて。だから、若葉さんに相談しちゃったんだ。どうしても君の僕から届けたかったから。  和磨くんが、オオカミサンとして出るのは今日だけ。順番はとても有名なバンドの前。  ギリギリになってしまったから、もう直接会う機会は作れなくて。  けれど会って、この作ったばかりの下手だろう歌詞を手渡したかった。手渡すだけなら数分で済みそうだけれど、手渡したいって言ったらきっと和磨くんは時間作ってくれると思うけど。でも、そんな数分ですら邪魔はしたくなくて。  だから僕から届けに行きたくて。  何万人という人たちの前で歌うのだから、きっとたくさん練習を重ねてきたでしょう? それをわざわざ中断なんてできっこないもの。 「ふふ……」 「? 若葉さん?」 「いや、あの日、思い出すなぁって」 「桜の……」 「そう、あの時さぁ、もうドキドキしちゃって」 「……」 「恋が素晴らしいものって、あの時、本当に思ったんだよねぇ」  それは、僕らの。 「あんなふうに歌う和磨は初めて見た」 「……」 「あんなふうに可愛くなれるんだって、佑久くんにすごく驚いた」 「……」 「恋って、すごいんだって、思ったの」  桜がとても綺麗だった。  朝焼けの空は、ずっと見つめていたくなる色だった。  あの歌声は、言葉を失うほど素敵だった。 「だから、今日、若葉ねぇさんはすごくラッキー」 「……」 「二人のこと応援できて」  若葉さんがちらりとこっちへ視線を向けて。 「ふふ」  そう、とても楽しそうに笑ってくれた。  僕は、僕らは、こんなふうに応援してもらえるんだって思ったら、少し涙が滲んで、嬉しくて、口元がふにゃふにゃになっちゃったんだ。 「こっち! 佑久くん!」 「はいっ」  若葉さんはこういう場所になれてるんだろう。僕にはライブスタッフがしてくれた道案内を辿っていく、最初の一歩で間違えてしまいそうだったけれど、間違えることなんてなく、どんどん進んでいく。  すごい。  屋外の控え室はまるでテントの群れみたい。そのあっちこっちに大物アーティストさんとか、スタッフがいて、それぞれの仕事をしてる……のだろう。この中に和磨くんのいるテントもあって。 「あー! ここ! こっち!」  若葉さんの言葉に心臓が飛び跳ねた。 「は、はいっ」  ここに和磨くんがいる。 「早く! 早く!」  大きく手を振ってこっちだって教えてくれる若葉さんの頭上、空は、そろそろ夜に変わりたそうに、色を変え始めてた。  会える、んだ。  やっと、君に。 「和磨っ、くん!」 「!」  わ。僕、声ひっくり返っちゃった。 「あ、あの、和磨くんっ」 「……」  わ。君がすごく驚いてる。 「あのっ、こもってたの、終わりっました。こ、これっ」  久しぶりだけれど、メイク、かな。そうだよね。ライブに出るんだもん、メイクとかするよね。  なんか、ちょっと普段と違ってて、まるで芸能人みたい。  そうだよ。  これからここで、すごくたくさんの人の前で歌うんだ。でも、うん、そのくらい君の歌は素敵だから。  頑張れーって思う。  たくさんの人に届けって思う。  きっと彼の歌はこれからもたくさんの人を感動させて、僕みたいに誰かの世界を激変させることができる。  でも、でもね。  僕はちっぽけだけれど、それでも、君が大好きで、君のそばにいたくてたまらないんだ。でも、ずっとそばになんていられないでしょう? だから書きました。僕のありったけを込めて、書きました。溢れて止まらない零れて広がって僕の中いっぱいになる君への気持ちをかたどった言葉。それをたくさん繋げたんだ。 「これ、僕、からのラブレター、というか、あの、僕! 本が、好きなので!」 「?」 「僕が今まで触れたたくさんの言葉、全部、全部で、書きました」  何よりも強い繋がりをもらいたいんだ。 「和磨くんに、歌ってもらったでしょう?」 「……これ」 「僕、本当に和磨くんの歌、好きです。だから本当に応援して、ます。邪魔なんて、したくない、です。でも、会えないの、寂しくて。でも! そんな時でもこれ、あれば寂しくない、かなって」  ―― 君を笑わせる。それが僕の一番だ。  ―― 君を楽しませる。それも僕の一番だ。  ―― 君を幸せにすためなら僕はなんだってするんだよ。だってそれが僕の一番大事なこと。  ――ねぇ。  これは、和磨くんの作ったメロディに、僕が乗せた歌詞。  前に、覚えてないかもしれないけれど、前にね。小説書いてみたらって言ってもらったんだ。もちろん、僕には文才なんてものないから小説なんて書けないんだけど。でも、そう言ってもらえるくらいに本を読んでいるから、頑張ってみたかった。 「歌って、欲しい、とかじゃなくて。和磨くんが作ったメロディに、僕の綴った言葉を乗せたら、僕はいつでも君と歌で繋がれるなって思って」  君のメロディに、僕が言葉を乗せたかった。 「そしたら、会えなくても、」  僕らのを一つにしたかった。 「あ、あのっ、和磨、くん?」  わ、ぁ。近い。 「これ、書くために山にこもってたの?」 「あ……山にはこもってない、です」  っぷは、って君が笑ってる。 「仕事も行ってたので」  久しぶりに君のその笑い方を見られた。 「でも、本たくさん読んだりして、何度も何度もこの、録音したメロディ聴いて言葉を探して、ました。僕の伝えたい気持ちとか、和磨くんのことこう想ってますってこととか、全部詰め込みたくて。すごく難しくて。歌詞考える人はみんな天才だって思った。なので、全然、ちっとも、だけど」  とっても嬉しいや。 「あのっ」  だって、君がそう言って笑ってくれる時は僕のこと、好きって、可愛いって思ってくれた時だから。  僕の指を君が捕まえてくれる。  ぎゅって。 「あの……受け取って」 「……」 「もらえます、か?」  ずっと離れていたけれど、今触れただけで、ホッとする。世界で一番幸せだなって思う。  本当だよ?  本当に、君に触れただけで幸せ。 「和磨くん」  ここにずっといたくなる。君の近くに。 「嬉しくて、溶けるかと思った」 「と、溶けたら、や、だよ」  ずっとそばにいたいって、指先でキュッと掴まった。 「ありがと」 「……」 「マジですげぇ嬉しい」 「……」 「ライブ、聴いてて」 「もちろんです」  頑張れーって、伝わるように、おでこから君に、ピピピッて伝わるように。 「ありがとう」 「和磨くん」  伝わりますように。 「聴いてて」 「はい」 「最高のライブにするから」 「……はい」  頑張れーって。  空は綺麗な色だった。夏の空。  不思議だよね。  昼間はあんなに青色だったのに、夕暮れは、空はオレンジ色。そこから今度は濃くて深い夜の青色。  ほら、『ハル』を歌った時は、まだオレンジ色の方が多かったのに。 「あー、今日はありがとうございました。俺……」  一瞬一瞬、空の色は違ってる。  今が一番綺麗。  でも、五秒後はもっと綺麗かも。  今、雲を照らすオレンジ色の夕陽はたまらなく素敵。  でも、一分後はそんなオレンジ色の雲が夜色に染まり出すかもしれない。 「すんません。俺、ただの歌い手なんで」  一瞬、一瞬を、覚えていよう。  和磨くんと出会ってからの一瞬一瞬を。 「話すことなくて」  そして、きっと五秒後にはもっと君のことを好きになって、もっと幸せを感じてると思うんだ。 「歌、歌います」  君と出会えてからの全部が初めてで、全部が僕の宝物。 「聴いてもらえたらって、思います」  空も、空気も。君も。この気持ちも。 「タスク」  僕の宝物。

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