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第118話 ただいま、まで
帰りの車は行きとは正反対に、若葉さんと小説のお話も少しできるくらいにのどかなものだった。
久しぶりに、小説のことを話したなぁって思いながら、その、もっと前は小説のことを誰かに話すことがなかったっけ、とも思って、つい笑っちゃった。若葉さんは、僕ら共通で気に入ってる恋愛小説家のエッセイの話の途中で僕が笑ったりしたから不思議そうにしていた。
「えっと……」
月日でいえば、そう長くはないはずなのに。
「……お、お邪魔、します」
和磨くんの部屋に来たの、すごく、すごーく久しぶりな気がする。
「……」
でも、僕がよく遊びに来ていた頃とちっとも変わってない。忙しかったはずなのに、部屋散らかってない。
あ、ご飯とか用意、しておいた方がいいのかな。挨拶だけして、帰ってくるって言ってたけど。本当にそうならそんなに遅くにならないで帰ってくるよね。
じゃあ、ご飯の準備。
「お米、あ、チャーハン、いいかも」
うん。それなら温めたらすぐに食べられるし。野菜、いっぱい入れてあげよう。アスリートじゃないけど、栄養バランス大事だよね。ハム、とか、かな。卵、あるかな。
「あ、あった」
卵は、あったけど、ハム……ないみたい。野菜は……。
「空っぽ」
なんだか居残りでもしているみたいに、申し訳なさそうに人参と玉ねぎだけがコロンって転がっていた。
じゃあ、お買い物してこよう。
ハム、買うついでに、残ったハムを明日の朝、パンに挟んで食べるといいかもしれないからパンも買おうかな。
「! あ、いやっ、違っ」
一人で言い訳をしてしまった。頭の中にふわっと再生された朝食の様子に。買ってきたロールパンにハムとレタスと卵を挟んだワンプレートが二つ、あそこ、リビングのテーブルに並んでいるイメージ映像。つまり、僕は、脳内で勝手に今夜はここに泊まって、そのまま朝ご飯を一緒に食べるっていう設定で出来上がった脳内イメージ画像。それを一人で想像して、一人で慌てて言い訳してた。
だって、まだ今日は泊まるとか決めていないもの。
明日の和磨くんの予定だって知らないもの。
もしかしたら明日の朝は早くから何か仕事があるかもしれない。月曜日だし、大学に行くかもしれないのに。
でも、実は明日僕はお休みをいただいてしまっていたりして。今日も、お休みいただいていたりして。でも、これは、そのお盆時期で結構まとめて取る人がいるから、僕もそんな感じで取っただけの話で。泊まるとかを勝手に決めて休みを取ったわけではなくて。そもそも、今ここにいること自体がなんというか予定してなかったわけで。だから決してお泊まりを考えていたわけでは。
「………………」
なんて、一人で照れていたり。
「か、買い物! だ!」
そしてはぐらかすように、さっき脱いだばかりの靴をもう一度履くと、つま先をトントンって鳴らして、外へと飛び出した。
ここのスーパーマーケットも和磨くんとよく来てた。
あ、ここのお家、ひまわりが咲いてる。すごい大きい、僕よりも背の高い、そして僕の顔よりも大きなひまわり。でも、もう夜だから少し退屈そうにしてる。
ここのスーパーに二人で来るの楽しかったっけ。
行きと帰り、少し歩くのだけれど、その歩く間もおしゃべりが止まらなくて。珍しいことに僕がよくおしゃべりになるんだ。近藤さんとか、図書館で一緒に仕事をしている人が見たらびっくりすると思う。おしゃべりな僕に。
そうたいして面白いことが言えるわけでもないし、早口になったり、説明が下手だったりするだろうけれど。
――へー、じゃあ、いつかその小説読んでみたい。
そう言ってよく笑ってくれてた。
スーパーマーケットの中に入ると、店内はひんやりとしていて、夜だろうと暑さが残った外にほとんどいた僕にはとても心地良く、思わず、ホッと溜め息が溢れた。
買い物は、ハムと、野菜と、パン。あと、お酒、とか? あったら乾杯、できるかなぁって、ほら、お泊まりじゃなくて帰るのだとしても僕は電車移動だし、飲んでいても大丈夫でしょう? ライブ、お疲れさまと、それから。
「……」
歌、素敵でしたってお祝い。
うん。そうしよう。
一人での買い物はしょっちゅうしてる。楽しいとかは思ったことない。けれど、今、同じように一人で買い物をしているのに、なんだかとても楽しくて、なんだか、自然と足取りは軽かった。
何時くらいになるかな。
卵勝手に使ってしまったけれど、大丈夫かな。買い物してきたのだから、卵もついでに買っておけばよかったかな。ね、卵も買っておけばよかったね。
「っと、わわ、お米」
お米がフライパンから飛び出してしまう。あとでちゃんと片付けるけれど。チャーハンって難しいんだね。チャーハンの素っていうのを買ってよかった。これを入れれば簡単チャーハンに、って謳っていたけれど、全然、そんなに簡単じゃなくて。それならばこのチャーハンの素を使わなかったらどれだけ大変なんだろうって。
「はわわ」
ちょっと焦げちゃった。こういうの、和磨くんの方が上手なんだよね。
――ただ炒めてるだけだし。
そう言ってるけれど、僕が思うにこういうのも運動神経とか器用さとか関係あると思うんだよ。運動神経僕はないもの。でも、和磨くんあるでしょう? 手首の使い方とかね、きっと僕より上手なんだよ。うん。絶対に。
そんなことを考えながら、味が馴染むようにチャーハンを炒めながら。
『君を笑わせる。それが僕の一番だ』
まだ和磨くんは帰ってこないようだったから、鼻歌を歌った。
『君を楽しませる。それも僕の一番だ』
誰にも聞かれないからいいよね。僕は何度も何度も部屋で歌ってみたんだ。字余りになってしまうからすごく難しくて、何度も何度も、メロディに合わせて歌って、言葉を選んで歌って、確かめて。
『君を幸せにすためなら僕はなんだってするんだよ。だってそれが僕の一番大事なこと』
やっぱり和磨くん上手いなぁ。僕が歌うとちっとも素敵じゃないけれど。和磨くんが歌うと、すごく素敵だったもの。緊張、ちょっとしてたかな。すごいよね。歌詞僕の言葉が歌になってしまった。
歌いにくくなかったですか?
素人の歌詞じゃ大変だったでしょう?
気に入ってくれましたか?
『ねぇ』
「ただいま」
「!」
飛び上がってしまった。
まさかこのタイミングで帰ってくるなんて思ってなくて、僕は案外気持ち良く歌を歌いながら、チャーハンを。
「…………は、はわっ」
「…………」
「お、おかえり、なさい」
炒めてました。
「っぷは、ただいま」
案外ご機嫌で歌っているところに、和磨くんが帰ってきて、僕はぎゅぎゅっと急ブレーキで歌を止めた。
そんな僕の慌てた様子に、和磨くんが、すごく楽しそうに笑っていた。
それは僕の一番、です。
「佑久さん」
君を笑わせる。それが僕の一番だ。
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