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第124話 本当は知っていたぞ。

 大学卒業して、図書館に就職が決まった時以来だなぁ。  住む場所の役所とかは変わらないから、その分は少し楽かな。色々な解約手続きがたくさんあるけれど。 「あ、あの、主任、すみません。交通費の申請手続きをお願いしたいんです。それと、住所が変わるので、職員名簿とか……」 「あら、引っ越すの?」  主任が不思議そうに顔を上げて、メガネを外した。  不思議、だよね。だって、今、夏だもの。四月ならまだしも、この時期じゃ契約更新とかでもないし、わざわざ夏の? 暑い時に? って。 「はい」 「交通費の申請と、ほか、住所の変更届ね。あとでファイルで渡すわね。一週間以内に入力してメールで返信してくれるかしら?」 「はい」  お辞儀をして、主任がいたカウンターを離れ、自分の持ち場である小説、文学部門エリアへと階段を登っていくところだった。  階段に本のモンスターがいるのかと、思った。 「わ、大丈夫?」 「? 椎奈くん?」  近藤さんだ。本の虫、じゃなくて、本のモンスターみたいになって、本を何冊も重ねて両手に抱え、よろけながら運んでいる最中だった。そのめいっぱいに積み上げた本のてっぺんからかろうじて顔を出して、前を確認している。 「運ぶの?」 「うん。そう。あの新しくできた図書館、あるでしょ? そこに」 「あ、地区貸し出し?」 「うん」  地区貸し出しという制度がある。地区で一つの図書館、みたいにしてる。コンピュータで検索して自分がよく行く図書館にはないけれど、隣のエリアの図書館にならある本を、日付指定で借りることが可能なシステム。普段はあんまりたくさんじゃないけれど、きっと夏休みの宿題のおかげなんだろう。  読書感想文。  それを書くために本の、特に読みやすく小学生も大丈夫そうな児童向け小説がよく貸し出しされていた。 「たくさんだね」 「ふふふ」 「? 近藤さん?」 「こんなにこっちから貸し出すなんて、新しい図書館よりも品揃えがいいってことでしょ? 勝ったね」  品揃え……お店、ではないのだけれど。 「っぷ、そうだね」  でもすごく自慢気に勝ち誇った顔の近藤さんが面白くて笑いながら、彼女が持っていた本の半分以上を持ってあげた。あっちこっちからかき集めたこの本たちをさっき主任がいたメインカウンターまで運んで、それから厳重に丁寧に箱詰めをして、できたばかりの図書館へと発送する。  きっとその時も近藤さんは「勝ったわ」なんて勝ち誇った笑みを浮かべながら箱詰めをするんだろう。  案外、近藤さんは負けず嫌いで、ポジティブというかアグレッシブな人なんだと最近知った。 「椎奈くんは今出勤?」 「ううん。主任の所に用事があって」 「……へぇ」  なんだか返事に不思議な間があった。 「あ、今度、引っ越すからそれで」 「あ、そうなの? なんだ」 「?」 「ここ、辞めちゃうのかと思った」 「ええええ? どうして、急にそんなことに」  びっくり、した。図書館に響き渡る声を上げてしまった。  その声がやまびこでも聞こえてきそうなほど響き渡って、半分以下に本の重さが減った近藤さんが、また大慌てで「シーっ」って、割と目立つ声で僕を諭した。 「や、辞めないよ。なんで、急にそんな」  また、あの癖が出てしまったのかと思った。楽しいのに楽しくは見えない表情。夢中で頑張っているのに退屈そうに見えてしまう表情。  本に関われる仕事はとても気に入っているのに、イヤイヤ仕事をしているようにしか見えないのかと。 「だって、作詞家に転向するのかと」 「ぇ……………えぇぇぇぇっ?」  何、作詞家って。 「オオカミサンのオリジナルソング、タスク、ってあれ、作詞、椎奈くんでしょ?」 「えっ!」  なん。なんで、それ。あの。 「わかるよー。言葉使いがそうっぽい。それにオオカミサンだし」 「なんっ」 「椎奈くん、オオカミさんと付き合ってるし」 「んなっ」 「それに曲名、タスクって、椎奈佑久、くん、繋がるじゃーん」 「ななっ」 「あははは」  近藤さんの観察力に、僕は本を全て落っことすところだったよ。 「気がついたのは、結構前だよー」 「そんっ」 「いつだっただろ。あ、でも大学祭に行きたくてお休み交代してあげたでしょ? あの時」 「ひへ!」  そんな前、から? だって、そんな。  そこで僕の言葉にこれっぽっちもなっていない返事がおかしかったらしくて、近藤さんが、あはは、って楽しそうに笑った。  僕は、彼女にオオカミサンのこと、ちっとも話してなくて。  だから、その。 「楽しかったぁ。椎奈くん、一生懸命隠すんだもん」 「!」 「わざと意地悪してオオカミサンのこと訊いちゃったりして」 「!」  有名人だったなんてって言ってた。サインもらっておけばよかったって。あれは、その。 「っっっっ」 「あはは、ごめんね」 「!」 「だってあんな目立つ人と椎奈くんだよぉ? たまに早番の時、デートしてたのも知ってたし」 「えぇっ」 「いや、私も早番で偶然見ちゃって、待ち合わせてるとこ。で、表情見て分かっちゃった感じ」 「ひょっ」  どんな顔をしちゃってたんだろう。そんな付き合ってるって分かってしまうくらいに? 僕? こんなに  わかりにくい表情しかできないはずの僕が? 「オオカミサン、マッサージって感じ」 「?」 「んとねー。なんというか、ガッチガチに固まってた椎奈くんの表情筋をほぐした、みたいな」 「……ぁ」 「オオカミサンの前で笑った顔、すっごいいい感じだったよー。逆も然りね。オオカミサン、怖そうだけど、椎奈くんの前だとすっごく優しそうだったし」 「あ、あの、優しいよっ、すごく、怖くなんてちっともない」  前に誤解されてたっけ。なんだか怖い人に僕が絡まれてたって。本当にそれは誤解だからってどうしても言いたくて。 「だからっ」  その時だった。  ――コホン。  一つ、小さく、咳払い。主任が僕らの私語にちらりと目配りをした。 「ふふ、さ、地区ナンバーワン図書館目指して頑張ろ」 「う、うんっ、あ、あと」 「?」  本当に優しい人だよ。優しくて、一緒にいると楽しくて。 「和磨くん、っていうんだ」  時間があっという間に過ぎちゃうんだ。 「澤井和磨くん」  本当に素晴らしい人なんだよ。 「澤井くんか。よろしくって言っておいてね」  近藤さんがニコッと笑ってくれて、僕はなんだか、ちゃんと近藤さんに和磨くんのことを言えたのも嬉しくて、少し口元を緩ませながら、うん、って答えた。  気持ちがパッと青空のように晴れ渡るのを感じた。

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