133 / 151
メリークリスマス編 2 出会いは突然に
とても、とってもいいにおいがしてきたんだ。
朝ご飯ならしっかり食べたはずなのに、午前中、和磨くんが新しい動画の打ち合わせと収録を一緒に歌う歌い手さんとしている間にお掃除と洗濯物を頑張ったからかな、とってもとっても食べたくなったんだ
けれど、そのいい匂いのカレー屋さんは、ちょっと入りにくそうな雰囲気だった。中があんまりよく見えなくて、今日はとても天気が良いからか、余計に店内が薄暗く感じられた。他のお客さんが入っているのかもよくわからない。すごく失礼だけれど、なんだかお化け屋敷に今から入っていくような、そんなふうにも思えて。以前の僕なら、あぁとてもいい匂いだな、カレー食べてみたいな、と思ったとしてもお店には入れなかった。
ちらりと横目で見て、そのままだったと思う。
「うまっ」
「うん。美味しい」
けれど、今の僕は入ってみたいなって思ったお店には入ってみたりするんだ。
冒険ができるようになったんだ。
君のおかげで。
「こっちも美味い」
入ってみたら、たくさんの海外製小物が並んでいて、あっちにはお人形が、こっちには絵皿が。店員さん、外国の人だったけれど、その人が世界中から集めてきたお気に入りがずらりと並べられていて、目が忙しくその一つ一つを観察してしまう。小さな世界博覧会にでも来たみたい。
千円ちょうどで、カレーのハーフアンドハーフに、つまりはご飯が、真ん中にあって、その両サイドに好きなルーを入れてもらえるという、一回で二つが楽しめる優れたカレーだなんて。とても素敵なお店だ。
「佑久のは」
「僕はチキントマトカレーとシーフードカレー。こっちも食べてみる?」
「やった」
あーん、って。
「ぁ、っ…………ど、うぞ」
歌が上手い君が口を大きく開けて待ってた。スプーンは僕のでいいのだろうか? でも、僕、もう食べてしまってるよ? これ、口つけてしまっていて。テーブルにはスプーンとフォークたちが備え付けの小さな長方形のカゴの中に入っている。新しいのを……使ったら、洗う食器が増えてしまうだろうし。それはお店の人に申し訳ないし。店員さん、フロアに一人しかいなくて、奥からもう一人誰かが声をかけていたから、きっと厨房にもう一人。そんな少人数なのに仕事を増やしてしまうのは申し訳ないよね。じゃ、じゃあ、これはこのスプーンで、あぁ、でも間接キスです。もうキスならしたことたくさんあるけれど、それはそれ。これはこれ。そして、なんだかとっても――。
と、色々考えながら、恐る恐る口元に運んであげたら、パクりとその大きな口が食べてしまった。
「うっま」
なんだかとっても、デートみたい。
「俺はバターチキンカレーとほうれん草のグリーンカレー。こっちがバタチキ」
「は、はいっ」
わ。わわっ。
あの。
えっと。
これ、僕が食べるの、かな。
食べていいの?
そうだよね。和磨くんがよそってくれたスプーンで、待たせたり、スプーンから落ちてしまったら大変だからと、急いで、パクリと食べた。
「んで、こっちがグリーンカレー」
「は、ははいっ」
続けて、慌ててもう一口。
「!」
バターチキンカレーはまろやかで、けれど僕が頼んだトマトチキンカレーに少し似ていて、けれどバターの風味がとても美味しかった。ほうれん草のカレーは少しさっぱりとしてたけれど、コクもあって美味しくて。
「美味しい」
そしてニコって、太陽みたいに笑ってくれる。
「マジでうっま」
和磨くんに、胸の辺りがポカポカした。
これも僕の中での大きな変化の一つ、だと思う。
まず、僕は自分の声、好きじゃなかったもの。
そんな自分が絵本の読み聞かせをしてみるのも、その読み聞かせをもっと上手になりたいと思うのも、僕にとっては偉大な一歩なんだ。それこそ、謎の美味しそうなカレー屋さんに一歩足を踏み入れたのと同じくらいに、偉大な。
偉大な一歩。
「講演って、なんかもっとすごいホールとかでやるのかと思った」
「そういうこともあるかもしれないけど、今回は違うみたいだよ。僕は、こういう講演かなって思ってたけど」
図書館のところにある小ホールでもよく講演を行っているから、そのイメージの方が強かった。学校の教室分くらいの広さの部屋の中には長テーブルが並べられていて、講演の資料が整然と三つずつ、そのテーブルに置いてある。
「つーか、俺もいていいの?」
「いいと思うけど、あ、でも、そのあんまり興味ないよね」
読み聞かせだもの。しかも絵本の。けれど、和磨くんの声で読み聞かせなんて、すごく素敵だと思うんだ。僕はちょっと聞いてみたい。
「でも、その」
「ううん。そういう意味じゃなくてさ。読み聞かせとかなんでも参考になると思うし。いいんだけどさ、じゃなくて、俺、浮いてない?」
君が難しい顔をした。
銀色の髪は、かしこまった四角い会議室とマス目みたいにピッタリと並び合う机と椅子の中で、日差しがないせいもあるかもしれない、少しおとなしくなってるような気がして、ちょっと笑ってしまった。
「大丈夫だよ。当日参加も可能って言ってたよ」
「いや、けど、俺の隣にいて、なんか佑久まで怪しまれたら」
「平気」
「……」
「僕は、外見だけでそんなふうに判断する人とはそもそも仲良くなりたいって思わないよ」
だから、もしも、この講演に和磨くんが少しでも興味があるのなら、自由参加なのだから一緒に聞こうよ。
「でも居眠りしたらダメだからね」
「! しないって」
「ふふ」
「しないっつうの」
顔を赤くした和磨くんににっこりと笑ったところだった。
「す、すみませーん、こ、講演始めまぁす」
そう、なんだかよろめくように辿々しい声が会議室に入ってきた。
「えっと、今日、初めて読び」
そして、今、噛んだ。
「よ、読み聞かせの講演会、講師を務めざ」
あ、また、噛んだ。
「務めさせていただきます」
とっても緊張してそうな、僕に似た声。
「講師、の、椎奈凛花(しいなりんか)と申します」
僕と同じ苗字。
「よろ、あ!」
僕も、今、すごくびっくりした。あんまり気持ちを顔に出すのh得意じゃないから、きっととてもわかりにくいとは思うけれど、すごくびっくりした。
「あれ? たっくん!」
だって、講師をするのだろう、その彼女は僕の従姉弟だったんだもの。
ともだちにシェアしよう!