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メリークリスマス編 6 スパイ大作戦

 春に出会えた僕らは夏の青い空にはしゃいで、秋の紅葉に季節が変わっていく様子を楽しんだ。どの季節も楽しみだよ。  君と過ごせる全ての季節が、僕はとても楽しみなんだ。  もちろん、冬だって。  そして、冬には、とってもとっても楽しいことがあるでしょう?  世界中が笑顔になっちゃう、あのトナカイが大忙しになるあの日。  大事な人にプレゼントを渡したりできる日。  僕は初めてなんだ。好きな人と一緒に過ごすの。好きな人にプレゼントを渡すの。  だから、すごく、すごく、楽しみなんだ。  君が喜んでくれるんじゃないかって、想像しただけで、僕の方が嬉しくなれる。  君へのプレゼントなのに、僕がプレゼントをもらったように嬉しくなれる。  きっと、そんな一日になると思う。 「ふぅ」  まずは手を、指を揉む。 「んむ」  揉む。  揉む揉む、揉む。 「んー」  それからぎゅっと握って。 「……」  パッと広げて。  もう一度、ぎゅーっと握って、パッ。 「熱心ですね」 「!」 「指の柔軟体操」 「あ、いえ」  毎日続けてる。先生に教わってから、毎日。他に机でできるものも教わった。指がしっかり動かせるように遠くの鍵盤を何なく弾けるように。  けれど内緒なんだ。だから君に見つかってしまわないよう、君がお風呂に入っている間だったり、君とランチデートの待ち合わせの時、お仕事中は……ちょっとだけ。毎日、君の目を盗んで着々とやっている。  僕の極秘任務は君には絶対に知られてはならない。  ちょっと頼りないけれど、気分はまるでスパイにでもなったよう。世界中を飛び回り暗躍する影のスーパーヒーローにでもなった気分。  今、僕に課せられている任務は――。 「それじゃあ、レッスン、初めていきましょうか」 「は、はいっ」  一ヶ月で、「オオカミサン」の「タスク」をピアノで演奏できるようにする。  一曲でいい。  その一曲だって、両手で華やかに、なんてできそうにない。僕は不器用で、本をたくさん読むくらいしか、人より秀でたものなんてないから。  けれど君はきっと喜んでくれると思う。  そしてね。それをクリスマスにね。 「よろしくお願いします!」  君に贈りたい。  上手になんてならないけど。  本ばかり読んでいる不器用なスパイだけれど。  一生懸命練習するから、だから、僕の演奏で、君が歌ってくれたらなぁって。  君へのプレゼントが僕のピアノ。  だからそのお返しに。 「ラストスパートですね」 「は、はいっ」  君の歌を僕に一曲、一度でいいからもらえたらなって。 「頑張ります」  思うんだ。  一生懸命に頑張る。なんて、あまりしたことがないかもしれない。 「うんうん。すごく上手になりましたね」 「ほ、本当ですか?」 「はい。この短期間にすごいと思います」  わ。やった。 「お家でも練習を?」  先生がにこやかに微笑みながら首を傾げた。 「あ、えっと、はい。指の準備運動は毎日欠かさずやってます。あと、それから、ちょっと、恥ずかしいんですけど、しょ、職場の同僚に手伝ってもらって、ピアノの鍵盤を紙で作ったんです。それを広げて、指の運び方の練習も」  近藤さんにお願いした。ちょうど、秋くらいだったかな。彼女は児童書の担当で、児童向けの読書おすすめコーナーの作成をしているのを手伝った時に、ピアノの鍵盤を描いて飾っていた。音楽隊をモチーフにした児童書をたくさん選んで企画したらしくて。児童エリアにある一般的なテーブルよりもずっとずっと低い、小さな子でもすぐに手に取れる高さの丸テーブルの上に、動物たちの音楽隊を画用紙に描いて、その鍵盤の上を歩いているように、立たせて飾ってあった。すごいなぁ。僕にはこんなのできそうにないなぁって、すごく感心した。  その近藤さんにちょっとだけ手伝ってもらって、紙で作った鍵盤。  音はでないけれど、やらないよりはやった方がマシでしょう? 「すごい、そんなことまで」 「はい。ぁ……の、僕、とても不器用なので」  以前の僕が今の僕を見たら、目を丸くして驚くだろう。  だって、ピアノの短期集中レッスンなんて頼んでしまったんだ。それで上手くなれるわけがないと、きっと以前の僕なら最初に諦めていた。もちろんそんな短期間だけのレッスンで、弾けるようになるわけない。だから、指の体操も毎日、紙でできた音のならない鍵盤での練習も毎日。紙だもの、くるくるって巻物みたいにしてしまえば持ち運びができる。見つかったらとても恥ずかしいけれど、図書館で仕事の休憩中にだってやっていたよ? 休憩は一人ずつ時間差で取ることになっているから、基本、見つからない。そわそわして仕方なかったけれど。突然誰かが入ってくるんじゃないかって、気になっちゃったけど。 「今日で最後のレッスンですね」 「はいっ」 「あ、そうだ。二十五日、時間取れました」 「!」 「ちょっと、遅い時間になっちゃうんですけど。夜の九時」 「! ぜ、全然、大丈夫です!」 「じゃあ、その日、ここの教室の枠取っておきますね」 「よろしくお願いしますっ」  本当。  以前の僕が見たら、目を白黒させて驚くに違いない。  ピアノの教室に飛び込む勇気に。  毎日コツコツ続けた自主練習に。 「頑張ります」  そう、誰かと話をするのがとにかく苦手だった僕が、頑張る、なんて言ってしまう様子に。  すごくすごく驚くだろう。だって、今の僕ですら、こんなことができるなんてとたまにふと、驚いているのだから。

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