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救世主現る編 1 救世主よ。
逃げなくちゃ。
「えっと……」
離れなくちゃ。
「っ」
近くにいちゃいけないんだ。僕は、もう。
「はぁっ、はぁっ」
君から離れなくちゃ――。
「椎奈くん、大丈夫?」
「……え?」
ちょっと、ぼーっとしてしまっていた。
突然、声をかけられて、貸出コーナーのカウンターから顔を上げると、急に頭がぐらりと揺れて、ちょっと驚いてしまう。
「なんか、顔、真っ赤だよ?」
「え? あ……」
そう、言われてみれば、頬が熱いかも。自分の頬に触ってみると、心なしか温かいを通り越して熱いような気がする。
「熱あるんじゃない?」
そう、なのかな。確かに、クラクラはしていたけれど。
「私、カウンター替わってあげる。控え室に体温計あるから測っておいでよ」
「でも」
「風邪引いてるのにカウンターで接客してたら、風邪移しちゃうかもしれないよー」
「!」
言われてみればそうだ。僕はよくても、ただ本の事を訊きに来ただけで、風邪を移されてしまったら迷惑だろう。
「ご、ごめん。行ってくるね」
「うんうん。気をつけて」
立ち上がると余計にぐらりと頭が揺れる。というよりも、頭の中心部分からおでこの辺りにかけて、怖い顔をしてしまうくらいに痛みが走って。
「ッ」
思わず頭を押さえながら、階段をのろりのろりと上った。
「はぁ、はぁ」
図書館で熱を測ったのが三時間くらい前のこと。
びっくりした。
熱、測ったら、三十八度もあったんだ。
こんなんで接客なんてしちゃ、もう絶対にダメでしょ。その場で早退することが即決定。僕は、痛んでひどい頭にずっとしかめっ面をしながら、お辞儀だけして帰ってきた。
和磨くんと今日はお外ご飯をしようと話をしていた。またカラオケ行ってくれるって言ってたのになぁ。
惜しいことをしてしまった。
――今日は、ごめんなさい。体調が悪いのでお仕事早退します。お夕飯をお外でするのも、また今度、お願いします。
そうメッセージだけ、電車の中で、ちょっとでも揺れると痛んでしかたない頭に、翻弄されながら、送信しておいて、どうにか帰宅した。
あぁ、残念だ。
風邪、引いちゃった、なんて。
なんてことだ。
最近、梅雨入りしたばかりで天気が不安定なこともあって、日毎に気温が違ってるせいもあるのかもしれない。
一昨日は肌寒かったのに、昨日は汗ばんでしまうくらいに暑くて。そして、今日は、雨が朝からシトシト降り続いてる。その気温差が激しいせいで体調を崩したのかもしれない。
あと、今日の雨のおかげで湿気が高くて。そのせいか、なんだか髪もちゃんとフワフワにならなくて。何度も髪を濡らしてはブローし直したりして。それでも結局、不器用な僕はちっとも素敵にセットできなかったけれど。それも原因の一つかもしれない。頭を濡らすと冷えて風邪を引きやすくなるって、前に読んだことがある。
「はぁ……」
頭、痛い……なぁ。
「……」
昔から、表情を作るのが下手だった僕は、体調が悪い時もよく誤解されたっけ。
もちろん、熱っぽいです、ダルいですって主張できるようなタイプじゃなかった。けれど、表情でそれを伝えるのも上手じゃなかった。
いつも、何? 機嫌が悪いの? と言われたり、学校でも、何か不満でもあるのか? と、確かめられたりしてた。ただ具合が悪いだけなのに。ただ体調が良くなくて、頭が痛いだけなのに。
あ……そういえば、さっき、近藤さんは気がついてくれたな。
「……っ」
ちょっと限界かもしれない。
少し横になっていた方が良さそう。
早く治さないと。和磨くんに迷惑かけちゃう。
「はぁっ」
頭も痛いけれど、なんだか背中も痛くなってきた。とにかくだるくて仕方がないし。
だから、ズルズルとその場にうずくまって目を瞑る。
こういう時はスポーツ飲料がいいんだって。熱が高くなると発汗が始まるから、その補給のためにも。
お腹は空いてないから、いいや。
薬はさっき飲んだんだ。その時に、買っておいたロールパンを一つ、どうにかしてお腹に押し込んだ。お腹の中が空っぽで薬を飲むのはよくないから。
あとは。
「っ」
あとは、大丈夫かな。
初夏の時期でよかった。これが真冬だったら、毛布一枚じゃ寒くて凍えてしまう。とりあえず、この物置スペースで体調が戻るのを待とう。
寝室でなんて眠れないよ。ベッドは一つしかないもの。そっか、こういう時にちょっと困ってしまうんだ。体調の良い日ばかりじゃないことを失念していた。
もう一つ、ベッド買おうかな。
けれど、同じ寝室で寝ていたら結局移してしまうよね? じゃあ、やっぱりこれが最善策だ――。
「佑久!」
え? 和磨くんの声?
「佑久、どこにっ……は?」
どうしよう。帰って来ちゃった。
逃げなくちゃ。
離れなくちゃ。
近くにいてはいけないんだ。
「なんで、ベッドにいないじゃん」
うん。だから今日は僕はそこでは寝ません。すみません。君に風邪を移してしまったら大変だもの。だから、今夜は――。
「は? ここにいた。なんで、こんなとこにっ」
「……ぁ」
「かくれんぼ? っていうか、ベッドで寝てよ」
いや、そういうわけには。
「ったく」
わ。ダメ、です。
「どうせ、俺のこと考えてなんでしょ」
だって、風邪、移っちゃうもの。
「すっげぇ、熱高いじゃん」
うん。三十八度あります。和磨くんが僕の額に触れて驚いてる。
「とりあえず、運ぶから」
ダメ、だよ。ベッドは君が寝てください。僕は風邪菌をたくさん持っているので物置スペースに篭ります。
「スポドリに毛布って……あのね」
ダメ、ダメ。そう思うけれど、僕の異様に熱い身体は、いつもどおりに温かい和磨くんの手に支えられてとてもホッと、落ち着けた。
あ、この前、読み終えた本に出てきた救世主みたいだよ。
世界を襲う恐ろしい出来事たち全てから、一瞬で、主人公たちを救い出してくれるんだ。小さな子どもも仲間にいた彼らは身を隠しているしかなくて。息を潜んで、災難が立ち去るのを待っていた。早く早くいなくなれ、通り過ぎろって。そして突然、隠れていた部屋の扉が開いて。あぁ、もうダメだ、と主人公が諦めそうになったけれど。
――大丈夫か?
そう声をかけてくれた救世主。
まるで君はそれのようで、僕は思わず。
「っ」
抱き付いてしまった。
だって、和磨くんの温かさは。毛布よりも、スポーツドリンクよりも、何よりも僕のことを元気にしてくれそうな気がした。
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