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ヤキモチも美味しい秋編 2 狭くて可愛いこの気持ち
綺麗な人、だった。
可愛くて。
でも可愛いよりもずっと、綺麗よりもずっと、うん、やっぱり、可憐って言葉が一番しっくりくる感じの人だった。
素敵な意味ばかりがぎゅっと詰め込まれたような「可憐」が一番似合う人だった。
あの人はきっと、和磨くんの過去の恋人だって、なぜだろう、なぜかそう思えた。
「めっちゃ、腹いっぱいになったぁ。肉、美味かったね。佑久」
「うん」
「秋刀魚も美味かった。秋刀魚の混ぜご飯とか、俺天才じゃん? って、焼いた秋刀魚と生姜の千切り混ぜただけだけど」
「うん」
あんなに可愛らしい人が、和磨くんの過去の恋人。
「…………あー」
「?」
溜め息混じりの、声。
「やっぱ、気になる?」
それから、その声に顔を上げると和磨くんがお皿を洗いながら、じっとこっちを見つめてた。
「ぇ? あ……」
ジャーって、勢いよく流れる水の音が一瞬、驚くほどキッチンに響いて、和磨くんが水を止めると、ドキッとするほど部屋の中が静かになった。
「さっき、スーパーで会った」
「! あ、あのっ、あのっ」
「あれは、まっ、ふぐっ、っぐっ」
「あのっ、あのねっ」
思わず、和磨くんの口を両手で塞いじゃった。
違うんだ。
いや、違うのではなくて、和磨くんの言うとおりでとても気になっていたけれど。いたんだけれど。
「ぼ、僕から訊きます! えと」
大慌てで君の口を塞いで、先を言わせまいとした。
だって、わかっていたことだから。
「えと……あの人は、和磨くんの以前の恋人、さん……です、か?」
恋人が、女の人の恋人がいたことは和磨くん自身から教えてもらってる。
けれど、だからではなくて、こんなに素敵で、こんなにキラキラピカピカで、こんなにかっこいい人に恋人がいなかったわけがないって思う。目の前に現れたら、誰だって好きになってしまう。捕まえたくなるに決まってる。だって、そういう人だもの。
だから、僕とこうしてお付き合いをする前に、たくさん恋人がいて、きっとその恋人さんにすごくすごく好かれていただろうって、充分にわかってる。
「そのっ、えと」
ただ、あんなに可愛いらしい人だと思わなかったんだ。過去に恋人がいたのはわかっていたけれど、どんな容姿なのかまでは知らなかったから。だから、あんなに可憐な人だなんて思いもしなかったんだ。
「そ、オオカミさんで歌をアップする前に付き合ってた」
そう、なんだ。
僕の知らない、僕が知ることのできない、動画で見ることのできない和磨くんを知っている人。
「んで、歌い始めて、しばらくしてから、別れた」
じゃあ、あの初期の、あのオオカミさんはあの可憐な人と交際していたオオカミさん、なんだ。
「急に、でもないけど、向こうがなんか、まぁ、ギクシャクし始めて、一緒にいても、ってなって」
「……」
「その時はちゃんと好きだったけど、今は気持ち、ないよ。未練とかも一ミリもない」
「!」
「今日、偶然会ったけど、それで何かがどうなるとかもない」
僕を見て、真っ直ぐ、何よりも真っ直ぐにそう教えてくれる。
「俺が好きなのは佑久だよ」
「!」
真っ直ぐ、真っ直ぐ。ただただ、真っ直ぐに。
「まだ、不安?」
そう訊きながら、コツンっておでこをくっつけてくれた。
「! ぁ、全然っ、不安じゃない、ですっ」
「本当に?」
「う、うん」
「本当にぃ?」
「うんっ」
体温を測るみたいにくっつけて。そこから僕の考えてることが和磨くんへ流れ込んでいく、みたいに。
「本当、だよ」
けれど、そうじゃなくて、僕がちゃんと自分の口で言わないと、訊かないとって思うんだ。君が僕に気持ちをいつもまっすぐに伝えてくれるように、僕もしないとって。
「あんなに可憐な人が和磨くんの以前の恋人って知って、びっくりしちゃったんだ」
「……可憐」
「うん。チャーミングで、素敵な人だった」
「……」
僕なんか、全然だ。あんなに綺麗な笑顔はできない。そもそも感情が表に出ない、表情が乏しいから、何考えてるのか、何を思っているのかちっとも周囲に伝わらないくらいだったんだ。彼女に敵うわけがない。だから、僕は勝手に焦ってしまったんだ。
もしも彼女が今でも和磨くんのことが好きで、今回、偶然に出会ってしまって、その想いが再び動き出してしまったらって。
「なんか訊きたいことあったらなんでも言って。話すから」
「えと、じゃあ、その、交際してた時も、その彼女さん、だった、彼女はショートカットだったの?」
「ううん。長かった」
「そ、そうなんだっ、じゃあ、イメージ変わってたんだね」
長いのもすごく似合いそうだよね。僕は男性だから長いのは似合わないや。
「あとは、えと」
もしも彼女が今でも和磨くんのことが好きで、こうして再会して、もう一度、君と交際したいって思ってしまったらって。
「……ぁ」
取られてしまうんじゃないかって
「……」
だって僕はあんなに可憐じゃないし、長い髪も似合わないし、あんなに素敵な笑顔もできないし、身体だって、声だって、全部……その。
「多分、今、佑久が何考えてるのか、わかる」
「えっ!」
それはちょっと困ってしまう。僕の心の狭さとか、自信のなさとか、焦りとか、知られてしまったら、呆れられてしまいそうで。僕が男性なのも、表情が乏しいのも、不器用なのも、全部含めて僕を恋人にしてくれたのに、その気持ちを疑うなんてって。
「俺が何考えてるのかも、佑久に伝わればいいのにね」
「……ぇ」
「佑久が一番、カレン、だと思うけど」
「……えぇっ?」
そんなわけ、ないよ。
「っ、ン」
そう言いたかったけれど、それはキスで言えなくて。
「あっ」
代わりに。
「一緒にお風呂、入ろっか」
抱き締めてもらえた僕は。
「うん」
と、返事の言葉を口にした。
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