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ヤキモチも美味しい秋編 10 僕の我儘

 ――俺、椎名に言いたいことがあって。  そう言って僕を呼んでくれた小山内くんは、薄暗かりの中でもわかるくらい、顔が赤いような気がした。  酔っている? 「あのさっ」  キュッと口元に力を入れて、眉間にもギュッと力を入れて。  多分、酔っているわけではないのだと思う。  たまに、放課後一緒に本の整理をしている時も同じ表情をしていたことを、ふと、思い出したから。なんだろうと、手を止めて、彼を見つめたけれど、いつも。  ――やっぱ、なんでもないっ。  そうやって、あははと笑っていたっけ。  いつも不思議だった。あのさ、の後に何が続くのだろうと。 「今度さ、また、会えないかな」 「……同窓会?」  そう尋ねると、首を横に振っている。僕と小山内くんの共通点は同じ学年だったことと、同じ委員会だったこと。部活動も一緒じゃなかったし、登下校も自宅が正反対の場所だったから一緒になることはなかった。 「いや、そうじゃなくて、プライベートで」 「……」 「二人っきりで」 「……あの」 「ダメ、かな」  プライベートで、二人っきりで、その言葉に特別な意味が込められているのは、疎い僕でもわかるよ。  今のその表情の意味も今の僕ならわかるんだ。  当時はわからなかった。首を傾げるばかりだった。言いたいことがあるようだけれど……と、言いかけてやめてしまう彼を不思議そうに見つめるだけだった。  以前の、和磨くんと出会う前の僕なら本当にわからなかった。  けれど、今の、恋愛というものに触れたことのある僕は。  恋愛がどういうものか、今、しているからわかっている僕には。  その言葉や表情の持っている意味がわかってしまう。  つまりは、その、僕に――。 「あのっ、僕、今」  お付き合いしている人がいるので、友人としてなら会えるけれどって、答えようと思った。 「佑久」 「!」  お断りしなければと思ったら。 「ぇ、和磨くんっ」 「あー、ごめん。迎えに来た。近くに来てたし。市木崎たちと飯食ってて。んで、二次会行かないっていうから迎えに」 「え」 「もう帰る?」 「あ、うん」  お付き合いしている人がいるので友人としてなら会えますって言おうとしたところだったのに。和磨くんが来てしまった。  えっと、どうしよう。お付き合いをしている人がいるって言おうとしてたのに、その相手である和磨くんが来てしまったら言えなくなってしまう。  小山内くん、芸能人だし。その、和磨くんだって――。 「え? あの、オオカミ、さんっ?」 「!」  有名な歌い手さんで、和磨くんは芸能人ではないけれど、でも、ちょっと精通しているところがあるからもしかしたら知っているかもしれないでしょう?  和磨くん、交際している人がいるのは公言しているけれど、やっぱり同業種の人に知られてしまうのは――。 「え? 椎奈ってオオカミさん、知り合いなの? え? マジ? 意外。どういう接点」 「あ、あの」  よくないような気がしたんだ。わからないけれど、交際している人が僕だって、知られて、何かちょっとでも、和磨くんの迷惑とかになってしまったら。 「あの、うんっ、えと、ちょっとイヤホンを落として。それで」 「イヤホン?」 「うん」  小山内くんは不思議そうに首を傾げた。 「えっと、仲良く……」  迷惑になったら嫌だから、ここは知人だと言うのがいいと思った。けれど、「仲良くさせてもらっている」という言葉を口にすることが、どうしても、胸のところが苦しくて。 「俺、ファイブスターっていうアイドルグループに所属してて、オオカミさんの歌、めっちゃ好きで」  あ、そうなんだ。 「もしよかったら、今度、コラボとか、させてもらえないですか?」  わ。それはすごい。 「あー……えっと……事務所とかにはちゃんと通しますっ」  すごい、けど。 「あの歌が最高で」  和磨くん、は、ちょっと困惑した様子で。  その、だから。 「タスク」  僕は、どうしたものかと。 「あの曲、コラボで、今度」 「それは、ダメですっ」  気がついたら、口が勝手に喋っていた。 「え?」  驚いたのは、小山内くん。  それに、和磨くんも。  それは、そうでしょう。  急に、一般人で、ちっとも歌の世界にいない僕が割り込んで、プロと最高の歌い手さんの会話に混ざったんだから。 「それは、ダメ、です」  すごく人気のアイドルグループだった。歌も、上手いって、小山内くんはそのグループの中でも実力があると褒められてた。そんな人気アイドルグループの中で歌唱力抜群の人と、歌が最高に素敵な歌配信者のコラボなんて、ファンは胸を躍らせるけれど。  僕も聴いてみたいけれど。 「その曲は、僕がっ、」  ファンに怒られてしまうかもしれないけれど。 「ダメ、です」 「……椎奈?」 「それから、誰かは言えないけれど、僕、お付き合いしている人がいるので、友人としてなら会えるけど、友人としてではないのなら、ごめんなさい。会えません」 「……椎奈」  こんな我儘よくないと思うけれど、それでもやっぱり、ダメなんだ。 「ごめんなさい」  あの曲は僕に届けてくれたんだ。  僕にとってすごくすごく特別な宝物なんだ。だから――。  僕は深く、深くお辞儀をした。身勝手だけれど、我儘だけれど、それでもこの我儘を突き通したら、クラクラするほど身体の芯から熱くなった。

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