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第二章 5

 闇の中に薔薇は。  血のように深紅(あか)か、闇そのものの黒。  『(ユエ)』という、ステージ上に作り上げられた人物には、そちらのほうが相応しいかも知れない。  だが、今は。  夢を思い起こさせるものは贈りたくはなかった。  ソウがここに来てから摘み取るのは。  ピンク、白、オレンジ、黄色。  そんな可愛いらしい色ばかりだ。  少しでも癒されればいい。  そんな願いを込めて。  でも。  どんなに可愛らしくても、薔薇は薔薇。  触れれば指先を傷つける。  彼の心の柔らかくて弱い部分を傷つけるように。  「こわい……こわいんだよ、ソウ。また、何か恐ろしいことが起きそうで」  焦点はやっと、ソウの顔に結ばれた。 「それは……ただの夢だよ」  彼を宥めるように言い、肩の辺りまで伸びた柔らかな黒髪をそっと()く。  ()きながら。 「でも……ユエ。その扉は開けては駄目だ」  その言葉を聞いて、ユエがくすっと笑う。 「変なの。ただの夢だって言っておいて、開けちゃダメだ、なんて」 「……ああ、そうだな。可笑しいよな」  ユエに指摘されるまでもなく、自分でも可笑しなことを言っている自覚はあった。  ただの夢だと思っている。  しかし、胸の奥が引っ掻かれるような不吉な何かを感じて、そう言わずにはいられなかった。 「ソウ……」  か細い声が耳許を擽った。ユエはいつの間にか体勢を変え、両腕をソウの首の後ろに回し、緩く抱き締めている。 「ぎゅうって……して」  魅惑的な仕草に対して口調は何処か子どもっぽい。  そのアンバランスさが、危うく、そして妖しい魅力を醸し出している。 「ユエ……」  乞われるまま、ユエの背中に両手を回し抱き締める。  お互いをお互いの存在を確かめるように強く抱き締め合った。 「もっとだよ。もっと強く……おれを夢の世界に行かせるな……っ。(あお)!」 「(ゆい)」  ここからは共に音楽を奏でるメンバーではなく、恋人同士の時間(とき)に変わる。  (あお)は『なないろ』にいた時に使っていた呼び名で、これは彼の本名だ。『なないろ』を脱退した時に、次代の『あお』ーーそれは『蒼』かも知れないし『青』かも知れないーーの為に置いて行った。  そして、(ゆい)はユエの本名だ。頓挫したユニットでは『ユウ』と名乗る予定だった。  この二つの秘密は、BLACK ALICEの他のメンバーは知らない筈だ。  二人も本当にプライベートの、恋人同士に戻った時にしか呼ばない。 「あお……」 「ゆい」  ゆいの呼び声にもう一度優しく応え、自分の名を形作った唇に、自分のそれでそっと触れた。  

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