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第二章 8

 階段を上り切る前に人影が見えた。 (おおーっ。トワみーっけ)  吹き抜けのすぐ左。おそらく『サロン』として使われてたと思われる部屋。そして、ユエの根城。  その部屋の扉の前に一人の男の、項垂れた後ろ姿が見えた。  途端にウイの足取りが軽やかになる。  黒から青へのグラデーションカラー。水色の毛先がひょこひょこと揺れる。肩につくかつかないかの長さの髪は、疎らに長い髪が混じっていてそれがぴんぴん跳ねている。 「トワくーん、何やってるの?」   真後ろに立って声を掛けると、はっとしたように振り向いた。  別段音を立てずに忍び寄ったという訳でもないのに、声を掛けるまで気づかなかったらしい。 「ウイ……」  ウイも背が低い方ではないが、メンバー(いち)背の高い男から見下ろされている。しかし、ミルクティーブロンドのさらりとした前髪が目を隠し、どんな表情をしているのかわからない。 「どうした? こんなとこで。中に入んないの?」 「…………お前にやる」 「え……っいたっ」  ちくんっとした痛みがウイの掌に走った時には、トワはもう背を向けて階段を上がり始めていた。    ウイの手に残ったのは、一本の深紅の薔薇。  その棘に傷つけられ肌からは、薔薇の色と同じ紅い血が流れる。トワの手にも紅い線があった。 「こんな、手を傷つけてまで」  棘のない場所を指で摘み、くりくりと回す。 「これ、ユエにやるつもりだったんだろーーほんと、不器用なやっちゃなぁ」 「ボクちゃんが渡しといてやるか」  扉に向かい合うと、もう既にほんの少しだけ開いていた。 「あ……あー」  上向いて自分の目を片手で塞ぎ、そっと扉を閉めた。 「もう……っ。この部屋鍵ないんだから、気をつけてろって」  ちらっと目に映った、ソウとユエが口づける姿は、見なかったことにした。  深紅の薔薇を大事そうに持ち、ウイはその場を離れた。 ★ ★  そっと鍵盤に触れ、音を奏でる。 『黒薔薇の葬送』のメロディ。『黒薔薇の葬送』はショパンのピアノ・ソナタ二番をモチーフに、ユエが作詞作曲をした。  ユエをメンバーに加えた当初彼は歌う時以外は、ぼんやりとしていた。そんな彼にピアノを教えたのはソウだった。  彼の目に少しずつ光が宿り、少しだけ笑みを浮かべるようになった。  ユエの作った曲も、BLACK ALICEの曲目の中に加えられるようにまでなった。 (なんだか、もう、遠い昔のことのようだ)  ソウは曲を途中で止め、ソファーに近寄った。  ぐっすりと眠るユエの顔を見る。  何処かの寝室からユエが持ってきていた毛布を、裸の身体に掛けてあげていた。 (今度は夢も見ずに眠れてればいいんだが)  特に苦しげな様子もない、穏やかな寝顔だった。  もう既に彼らーーBLACK ALICEの世界は変わり始めており、それはまだこれからも続くだろう。  そんな予感が、彼ら全員の胸の中にあった。  

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