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第三章 1

 片腕に小さな黒い塊を抱え、片手を扉に当てたまま立ち尽くす。背の高い男なのに、その背は迷子の子どものようだ。  男は何度かノックしようとして止め、やっと遠慮がちに二回小さく扉を叩いた。  返事がなければそれまでにしようと。 「だれ?」  しかし、返事はすぐに返ってきた。 「俺……だけど」  トワは名を名乗らなかった。声を聞けばわかるだろう。 「入ってこれば」  くすくすっと笑い混じりの声が聞こえた。    この洋館にやって来てからひと月程が経った。  少し気分の落ち着いたらしいユエは、サロンの隣の部屋に寝室を移した。  中に入ると、天蓋つきのベッドの上の大きなクッションに凭れかかっていた。  この洋館の中の個室すべてに天蓋つきのベッドがあるわけではない。 (らしいが……らしくはない)  本来のユイが素朴な、少年のような男であることをトワは知っていた。しかしを知っていることを、誰にも話したことはない。    別段誰かがいて不都合というわけでもないのに、特にソウがいなかったことにはほっとしてしまう。そんな自分の器の小ささに呆れながら中程まで歩む。  絨毯の上に何枚もの紙が散らばっていた。ふっと小さく溜息を吐き、それを片手で拾い集めながらベッドに近づいて行く。  楽譜、詞を書き殴った白い紙。そんなものだ。  束ねた紙をベッドの上にバサッと置き、自分もベッドの端に座った。 「ソウは……一緒じゃないんだ」  然り気無いふうを装い訊ねる。 「別にいつも一緒ってわけじゃないよ……それより」  と、片腕に抱えた塊を指差す。 「ああ」  トワはその塊をユエの太腿の上に置いた。  それは、もぞもぞと丸い塊から丸い頭を出し、ぴょんと三角の耳を立てる。  二つの金色の瞳がユエを見詰めている。 「猫! トワ、どうしたの? この猫」  途端に彼の顔が明るくなる。ステージ上ではまったく見られない表情だ。  ここに来るまでは、素顔を見たことがないメンバーもいるだろう。 (俺は知ってたけどね。でも、もこんな表情は見なかったな) 「五日くらい前に庭に入り込んでいたのを見つけたんだ。凄く警戒してたし、飼い猫には見えなかった。俺の部屋で餌やりながら慣らしてたーーあんたの気晴らしになればいいなと思って」  トワはユエよりも二つ年下だが、自分よりも幼く見えるせいか会った時から敬語を使ったことはない。  ユエもそういうことはまったく気にしない。 「おまえ、野良ちゃんか」  ユエが子猫を上に掲げるようにして抱き上げると、子猫はにゃあにゃあか細い声で泣きながらじたばたし始めた。 「ユエ、優しく」  ユエはお腹の辺りに子猫を乗せ、そっと背を撫でた。 「綺麗な猫だよなぁ。真っ黒で目は金色。名前は?」  そう聞かれて名前もつけていなかったことに今更ながらに気づく。 「……つけてない」 「そうなんだ? なんて呼んでたんだ」 「ねこ?」 「あははは、トワらしい」  珍しく大笑いをする。   笑われた本人は。 (今日はいろんな顔するなぁ)  内心嬉しくて堪らない気持ちになっていた。

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