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第三章 2

「エルザ」  ぼうっと見()れているとユエが言った。 「え? なに?」 「名前だよ。このコの」  今度は優しく抱き上げ自分の顔に近づける。 「おまえは今日からエルザだよ。よろしくな」  赤ん坊にでも話し掛けているようだ。 「エルザ? いったい何処から来たんだ、それ」 「ん?」  子猫の顔をじっと見ながら、うーんと考えている。 (なんだ、自分でもわからないんだ) 「なんか、閃いた」 「ふーん」 (そうことあるよな、ユエって。新曲のタイトルの時も……)  ベッドについていた手を少し後ろにずらすと、指先に何かが当たった。何だろうと振り返る。 「……世界の伝奇~悪女編~  ハードカバーの本がページを開いたまま伏せてあった。つい今まで読んでいたという風情だ。  表紙の書かれている文字をなんとはなしに口にする。それから手に取った。 「血の伯爵婦人ーーバートリ・エルジェーベト」  開かれたページの一行目を小さく声でなぞる。 「エルジェ……って」  顔を上げると、猫を見ているとばかり思っていたユエにじっと見詰められいた。  先程までとはまるで違う表情。薄く笑みを浮かべているが、何を考えているのか掴めない表情だ。  しかし、トワと目が合うとすぐにまた今まで話をしていた顔に戻る。 「あ……名前、それかも。さっきまで読んでだから」  トワはふうんと相づちを打った。 「ーーエルザベート・バートリだろ、吸血鬼伝説の元になったとか言う」  日本ではそちらの名のほうで知られていることが多く、それくらいの知識しかトワにもなかった。  しかも、そのこと自体ユエから聞いた話だと言うことを、ユエ自身は覚えているのだろうか。 『黒薔薇の葬送』  ツアーのラストを飾るはずだった曲は、その話からイメージを得て作ったのだとユエが言っていた。  PVはヨーロッパの古城で撮影され、ユエがその『女』を演じた。   「そうだねーー実はさぁ」  急にユエが声を潜めてトワの耳許に口を寄せる。 (近いな……)  ステージ上ではパフォーマンスとしてメンバー同士の接触はあるが、一旦下りればこんなに顔を近づけることはなかった。特にユエとトワの間には。  胸が甘く音を立てる。  しかし。 「この洋館の最初の持ち主ーーそのエルジェーベトの子孫らしいよ、ほらあの階段のところにある肖像画の女」  内緒話のように囁かれた言葉には、そんな甘さは皆無だった。 「え? ここってユエの親戚の持ち物とか言ってなかったか?」  ぱっと離れたユエは悪戯っ子のような顔をしていた。 「そうだよ。母方の遠い遠い親戚。まぁ真偽の程は定かじゃないけどーーもしかしたら、おれにもその血が流れてるかもね」  

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