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第四章 1

  真珠のごとき白い肌。   月のない夜のような黒髪。   深紅の薔薇の唇。   濃緑の瞳に映るのは。    愛か絶望か、それとも狂気か……。 ★ ★  薔薇の館に身を寄せてから数か月が過ぎた。  薔薇にも盛りの季節があると思うが、それを過ぎても変わらず美しく咲き誇っている。  一見平穏な日々を送っているようで、何かが狂っていると誰もが思っているが、誰もそれを敢えては口にしない。  この頃になると、部屋に閉じ籠り気味だったユエも少し気分が落ち着いたのか、時折庭に姿を現すようになった。 「……愛か絶望か、それとも狂気か……」  自分の胸辺りまで伸びている薔薇を(もてあ)びながら、ぽつんと溢す。  トワはその背に声を掛けた。 「『黒薔薇の葬送』……だな」 「トワ……?」  その背はゆっくりと振り返った。 「誰の耳にも届くことのなかった曲……」  夏の空を眩しそうに仰ぎ、自嘲気味に微笑んだ。 「俺たちだけが知ってる」 「うん」 「ユエ……血が」  白い両の掌や指先に幾筋も紅い傷があり、そこから血が滲み出ている。 「あれ、どうしたんだろ」  痛みを感じてないかのように平坦な声音。 「ずっと、薔薇を(いじ)ってたろ」 「そうだった?」 「ああ」  トワはだいぶ前からユエのことを見ていた。  ユエはここに来てからどういう訳か日に日に美しくなっていった。  そんな気がトワにはしていた。  薔薇の中に佇む彼は一枚の美しい絵画のようで、声を掛けるのを躊躇わせていた。  今は可愛らしい色の薔薇の中だが、もう少し奥の黒薔薇が咲き乱れる中であったら、更に、そう、もっと恐ろしい程に美しいだろう。  しかし一方で、自分の手を薔薇の棘で傷つけているのに、まったく気づかない異様さを壊さないといけないとも思った。  そこでやっと声を掛けたのだ。  案の定、真後ろに立つトワのことは疎か、自分の手が傷ついてることさえ気づいていなかった。 「しょうがないな……」  何かで押さえなければと思ったが、ハンカチなど持ち歩いている筈もなく、トワは自分のシャツで彼の両手を覆って止血するようにぎゅっと押さえた。 「トワ、血がついちゃう」 「気にするな」  ユエは暑い夏の日も長袖を着ていて、今日は袖を少し折っていた。その手首は細く、そして血管が蒼く見える程白い。  ひとしきり両手を押さえている間、その手首をぎゅっと握り締め引き寄せ抱き寄せたいという欲に囚われていた。  しかし。 「ユエ、これは」  袖からちらっと見えたものを見咎めた。  両手からは手を離し、すっと袖を上げる。  肘の辺りまで何筋もの紅い線が走っていた。薔薇で傷つけたものではなさそうだし、今ついたものでもなさそうだった。 「あ……エルザに引っ掻かれた傷」 「エルザに? おまえ何したんだよ、こんなに引っ掻かれて」  くすっとトワは笑った。  トワが見る限り、エルザはユエにかなり懐いていたようだったのだが。 「珍しい取り合わせ、と思ったけど、何あれ。仲良しじゃん」  ウイは独りごちた。  煙草を吸いながら、洋館の玄関から門まで続く石畳を歩き、途中で二人の姿を見つけ立ち止まった。

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