34 / 77
第六章 2
その鮮やかな『紅 』にーーその美しさに目を奪われ、すぐに気づけなかった。
投げ出した太腿の上に、紅く染まった『何か』があることを。
彼は『それ』の上に両手を乗せていていたのだ。
(これ……は……)
トワは口から叫び声と共に胃液が上がってくるのを、両手で押さえてどうにか耐えた。
太腿の上の『それ』は、紅く濡れそぼっているが、元は白いふさふさのーー。
そして、ユエの傍らにはーーペティナイフが。
「ユ……エ……」
掠れた声で呼び掛ける。
こんなに間近からだというのに、彼の耳には届いていないようだ。
「ユエ……」
ベッドの側に立ち肩を軽く揺すりながら、もう一度名を呼ぶ。
「え……なに?」
顔はこちらを向いた。しかし、ちゃんと自分を認識しているかは怪しい。
「ユエ、それ、どう、した?」
一言一言区切りながら。
ユエの手許を指差す。
「それ……?」
トワの指の先に視線を落とした。
「ああーー可愛いでしょ?」
その場にそぐわない笑みを湛え、血塗れの『それ』をゆっくりと撫で始めた。
その美しすぎる笑みにトワは全身を粟立たせた。
血に染まっていた手が更に紅くなっていく。
「ああ、血がこんなに」
滑らかに口から出る声はいつものユエの声より少し高い。
真っ赤な両の掌を自分の頬に当てするっと滑らす。
白い頬も紅く染まった。
「綺麗になった……?」
「……!」
「ほら……あなたも」
その声はもう既にユエのものではないような気がした。
片方の手がすっと伸びてきてる。
何をされるのか想像出来たが、身体は凍りついたように動かない。
ぺたっと頬に濡れた感触、それからすっと下に滑らせるように離れて行った。
「ほら、綺麗」
(誰だ……この女は)
ユエの微笑みは女の笑みのようだ。
彼はどちらかと言えば男らしいとは言えない。しかし、女っぽいわけでもないのだ。
無性別。男でも女でもない、そんな透明さ。
時には無機質ではないかと思わせる。
(これはユエじゃない。では、誰?)
媚びるような妖艶な微笑み。緑色の瞳。
がっとその女の両肩を掴む。
「ユエっ!!」
隠れた魂に呼び掛けるような切ない響き。
強く肩を大きく揺さぶった。
「……トワ」
表情が変わる。
彼の愛すべき、ユエだ。
しかし、本来の彼を呼び覚ますことは、彼自身を苦しめることにもなった。
トワの血のついた顔を見、自分の血に染まった両手を見る。そして、自分の太腿に感じる重みを。
血塗れのーー。
「ま、し、ろ」
ユエの口が大きく開(ひら)く。
声にならない叫び。
ユエが膝立ちで飛び退くと、ごろんと『それ』がベッドに転がった。
ともだちにシェアしよう!