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第八章 9

 顔は綺麗だった。  しかし、上掛けに隠れた部分には数え切れない程の傷があった。  彼女の気に入っていたネグリジェも、肉体と一緒に切り裂かれていた。 「アリス……っっ」  ソウは天を仰いだ。  目を覆った掌の下から水滴が流れ出ていく。 「ましろじゃなかった……っ。お前だったんだな、ユエが痛みを乞うた要因は……」  顔から手を離すともう涙は流れていなかった。 「早く気づくべきだったんだーーすまない、アリス」  ソウはアリスのその眠るような顔に向かって話し掛けた。 「ーーやはりハクトが提案してきた時に()めるべきだったんだ」  硬直の始まり掛けている身体を抱き起こした。  背中と太腿に手を当てて抱き上げる。意識を持たない物体と化した彼女の身体は思いの外重かった。 「顔が綺麗なのがせめてもの救いだな」  ゆっくりと歩き出す。  部屋を出て、しんとした廊下を歩く。  絨毯の上では足音もしない。 「ましろもあとで傍に行かせてやるから」   ぽつりぽつりとアリスに話し掛ける。  もう答えることも出来ないのに。 「すまない」  彼はもう一度謝った。  何度謝ったところでもう取り返しはつかない。  それに。 「それでも、俺はゆいを罰することは出来ないし、離れることも出来ないんだ……」    黒薔薇の(その)に繋がる扉の前で佇んだ。 「もう一度…………」  彼の願いは悲しく響きーー消えた。 ★ ★ (もうすぐ着く頃か……)  地図にも載らず、ナビにも出ない。  誰かの夢の中のような狂った世界。  そこはいつも木々の間から現れる。  新たな住人を受け入れず、再び四人の生活が始まった。  ユエは何処からか見つけてきた先人のものらしきドレスを着始めた。  そうしていると、益々あの肖像画の女に似てくる。  ウイとトワは。  彼らの関係がどのように変わったのか、それは知らない。  しかし、二人で一緒にいることが多くなったのは確かだ。  時折、ギターとベースの音が聞こえた。  BLACK ALICEの曲ではない。  新たな曲を二人で作っているのだろうと感じられた。  穏やかで優しい曲だ。  この血に(まみ)れた館内で、唯一救われるものだ。    ソウはそんなふうに思っていた。  が。  数日前からぱたりと止んだ。  それから一度、偶然トワに出会い「ウイを見なかったか」と聞かれた。  ウイはーー姿を消したのだ。 (そういえば……)  帰るべき場所が間近にあるのを感じながら、ふっと頭を(よぎ)った。 (同じ頃に……ユエがまた……)  助手席にウイの好きなキャンディを入れた袋が置いてある。ソウはそれをハンドルを握っていないほうの手で軽く撫でた。 『アメちゃんいるー?』  ウイの(おど)けた声が耳を掠めたような気がした。  やがてーー木々が(ひら)け、突然薔薇に囲まれた古びた洋館が現れた。  見慣れた洋館だ。  しかしーー。  いつもと違う空気に包まれているのを、ソウは感じた。  館の頭上は赤黒い雲で覆われていた。  強い風が薔薇の花びらを巻き上げ、散らしていく。  酷く歪んで狂った世界がそこにあったーー。      

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