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第2話

主は人の悪い笑みを浮かべながら「前払いでなら」と言った。 値踏みするような視線だとは思ったけれど、久しぶりの食事がお預け状態で頭がよく回らない。 だからその人の言っている言葉の意味も何故そんな風に主が言葉を返しているのかもよくわからなかった。 客人である筈の男の人は僕を見下ろす。 それから、僕の頭をなでる。 僕は“そういう”生き物なのだ。 思わず「あっ……」というもの欲しそうな声が出てしまい、舌打ちをしたくなる。 主に酷い嫌がらせをされること位分かっているのに、自分の体の反応を止められない。 頭をなでる手は、主に振り払われる。 他の人間に媚びを売るようにうつる行為を主が許すはずが無いし、事実主はその人の手を乱暴に振り払っていた。 「……東都グループの中に貿易会社が一つある。 中国へのパイプ付きでそれをくれてやる」 男は静かな声のまま言う。 「はっ……」 主が、吐息のような笑い声の様な変な声を出した。 僕の事を売り買いしようとしていることは分かっている。 僕の最初の値段は150万ほどだと、ショップのオーナーに聞いている。 せめてその位の働きはしろと馬鹿にしたような目で言われたことをちゃんと覚えている。 そんな話だとは思えない言葉が出てきているのは何となくわかった。 抱き合わせで別の何かの取引をしているか、それともいよいよ自分の頭が馬鹿になったのか。 それのどちらかでしかありえない話を二人でしている。 「念書……いや、会社の登記簿と両方だ。 今すぐ持ってこれたら、それで契約完了にしてやる」 「分かった」 会社というものがそんなに簡単に売り買いできるものなのかはよく知らない。 けれど、主がかなり無理を言っていることだけは見て取れる。 けれど、それでも、男は悩んだ様な素振りすら見せなかった。 男の返事に、主が唾を飲み込むのが分かった。 それから男はすぐにどこかに電話をしていた。 僕はオロオロとするばかりで状況が分からない。 150万という金額はサキュバスを買い取る場合の最低金額に近い。 主は立ち上がると僕を見下ろす。 「よく、こんなものが欲しくなるな」 吐き捨てる様に言われて、やはり先ほどまでの話は俺を買う話なのだと認識した。 こんなものと言われたことには何も思わなかった。 見目麗しい訳でも、性技に長けている訳でもない。 手入れの行き届いていない髪の毛と特に特徴のない顔、それに着ているものは余りもののワイシャツ1枚だ。 下は何も着ていない。 特に欲しいと思える要素が自分自身でも分からない。 電話を終えている男が、こちらを見る。 初めてちゃんと目があったのかもしれない。 その瞳は俺から離れない。 目がそれほど良くない俺でも分かる。 ギラギラとした目で自分が見られたのは久しぶりかもしれない。 淫魔の本能で、この男が自分に欲情していることが分かった。 「必要な書類は三十分以内に届く。このこの権利書と交換だ」 相変わらず静かな声だ。 とても情欲に駆られているとは思えない平坦で静かな声だ。 「マジかよ……」 主が舌打ちをした。 「浮いた話も聞いたことがなかったけど、こんなのが好みだとはな」 いいさ、くれてやる。 主が言う。 どこの誰かも分からない男に、俺はこれで売られるという事だろうか。 少なくともこの男は俺を情欲に満ちた目で見てはくれる。 それともただの冗談の応酬なのだろうか。 そもそも俺はどう反応すればいいのか。 分からずぼんやりと男の顔を見上げていた。 ◆ 書類と言ったものはそれから30分も待たずに届いたらしい。 「おい。荷物をまとめろ」 と言われても、自分の持ち物等何もない。 出ていけと言われても、下に履くもの一枚所有していないのだ。 だけど、一つだけ自分の持ち物があったことを思い出す。 慌てて持ってきたのは眼鏡だ。 もう度が大分合わなくなってきているものの、僕の唯一の財産だ。 普段はよく物が見えていい事は何もないのでしていなかった。 ぼんやりと見えている方がまだマシだと思っていたから。 眼鏡をかけて新しい契約者となる男を見た。 色恋に困る様な顔はしていない。 趣味が特殊なのか何なのか、見た目からは何故僕を選んだのかはまるで分からない。 書類にサインをして交換した後、主は「お前の飼い主は今からそいつだ」と言った。 分かっていたことだけれど、全く僕に未練なんてものはなさそうに見える。 「突然で悪いけれど、今日から俺のうちで暮らしてもらうよ」 男が俺に言う。 彼についていくしかないという事だろう。 書類を持ってきた人と一緒にこの屋敷を出て行こうとする男の後を追いかける。 玄関口まで送ってきた主が、ニヤリと口角を上げる。 「そういえば、そいつ処女だから。」 せいぜい感謝して大切につかえよ。 その嘲笑は僕に対してなのか、それとも男に対してなのかはよく分からなかった。 男はそれを無視して「それじゃあ、次回の会合で」と言っただけだった。

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