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第3話
服をまともに着てない事は何も言われなかった。
それ以外がぼろぼろなことも、荷物が何もないことも何も言われなかった。
男が乗ってきたのであろうの助手席に乗せられて、彼の着ていた上着を足にかけられる。
「あの……」
話かけようとしたところで車が発進した。
車内ではお互い無言だ。
前の主のうちがどこにあって、これからどこに向かうのかもよく分からない。
そもそも出かける許可をもらった事がないし、主がどこかに連れて行ってくれたこともない。
連れて行ってくれるかどうか、ということを考える自分の思考回路もあまり好きではなかった。
叶えられない何かを考えるほど僕には余裕ってやつが無かった。
誰かに何かをしてもらえるかどうかで考えている自分が嫌だった。
◆
「着いたぞ」
男に言われて着いたのは、見事な和風邸宅だった。
車庫に車を止めると、男に車から降りる様に促される。
喉が鳴る。
淫魔の空腹は、人間で言うとお腹が減るよりも喉が渇く感覚に近いと聞いたことがある。
眩暈をおこしそうな空腹感に男の上着から香る微妙な体臭が重なってどうにかなりそうだ。
何かを食べさせてもらいたい。
空腹を紛らわせられるものなんて一つしかないのにそう思った。
「降りないのか?
……ああ勃ったのか」
男に言われて、元々恥ずかしかったものが、もっと恥ずかしくなる。
生理現象だ。
お腹が減っているだけだ。
言い訳は頭の中に次々と浮かぶのに、上手く言葉にならない。
それなのに男は嬉しそうな表情を浮かべている。
先ほど主の家に居た時、に比べて少しだけ頬も紅潮している様に見える。
男は僕の座っている助手席側に回り込んで、シートベルトを外す。
それから僕を恭しく抱き上げた。
こんな扱いを受けたことは無かったので本当にどうしたらいいのか分からない。
「あ、あの……」
声をかけると耳元で「どうした?」と声がする。
近くで男の声を聞いただけで体が少しずつとろけてしまう。
男は僕が重いだろうに、しっかりとした歩調で家に戻っていく。
それから器用に玄関の扉を開けて僕を室内へと運ぶ。
向ったのが男の寝室だと分かり、妙に安心する。
和風の部屋に不釣り合いに思われるベッドにおろされて、男をまじまじと見上げる。
「あの、あなたの事はなんてお呼びすれば」
自分の主人が変わったことは理解している。
けれど、目の前の人を何と呼んだらいいのか分からなかった。
主《あるじ》と同じように呼べはいいだろうか。
それともこの人に何か好みがあるのだろうか。
世の中にはそういう部分にこだわりがある人間が多いと聞いたことがある。
自分をどう呼ばれたいか、淫魔が自分のことをどう自称すべきか。そういう議論があるらしい。
「宗吾《そうご》だ」
男はそう返した。
「宗吾様……」
「様はいらない」
そういう風に言われるとは思っていなかった。
「宗吾さん」
僕がそう呼ぶと宗吾さんはとても嬉しそうに笑った。
それから、先ほどの様に僕の髪の毛を撫でた。
優しくなでられる気持ちの良さに思わず目を細める。
そうすると、宗吾さんの顔が近づく。
キスをされてると気が付くのに少しだけ時間がかかった。
キスをされたのは初めてだった。
二度ほど唇を付けるだけの軽いキスをした後、口の中に舌が入ってくる。
人間の体液は甘い。
脳がしびれる位、甘い。
思わずもっとと舌を伸ばすと、宗吾さんの舌が絡まる。
キスの時はどう息をすればいいのだろう。
だれもそんなことは教えてはくれなかった。
したことが無いから、上手く息ができず頭がぼーっとする。
宗吾さんが唇を離した時には息が上がっていて、はあはあという息づかいをしていることが自分でも分かる。
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