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第36話

◆ 「したいことはありますか?」 と宗吾さんに聞かれたとき何も思い浮かばなかった。 勝手に家を出ない事。約束をしたけれど、そもそも行きたい場所が無い。 普通はどこに行きたいものなのだろう。 美味しいものを食べたいという欲求が人間にはあるらしい。 淫魔にもあると聞く。 けれど、そんな贅沢を言ってられない時が長すぎて味についてあまり考えたことが無い。 それに多分宗吾さんの味は僕の口にあっているのかもしれない。 他のものを食べてみたい、とはあまり思わなかった。 食べて寝むる以外にやりたい事は相変わらず思い浮かばない。 ただ、宗吾さんがどんな人なのかは少しだけ気になる様になっていた。 宗吾さんは朝出かけて夜帰ってくる。 毎日スーツで出かける宗吾さんを見送ってぼんやりと過ごす。 「宗吾さんは、何のお仕事を?」 刺青を見たときに持った疑問は否定されただけだった。 だけど、宗吾さんが何をして生きている人なのか僕は知らない。 出かける前、僕が聞くと宗吾さんは僕を見つめ返した。 「……貿易関係の仕事をしている」 宗吾さんはそう答えた。 何故、貿易の仕事をしている宗吾さんと、元主に親交があったのかは分からない。 けれど、宗吾さんと暮らしているこの家、それから彼から与えられている持ち物が上等な物なこと、彼の立ち振舞いから考えて彼は、上流階級の人間なのだろう。 貿易関係。それをしている会社の社長かそれに近い仕事。 「なんで、毎日こんなに規則的に帰ってこれるんですか?」 最初に感じた違和感はそれだ。 毎日夕方過ぎには帰ってきて夜の時間を一緒に過ごす。 二人で買い物に行って、一日中一緒に過ごしている日もある。 普通の会社員の仕事にしてはゆとりがありすぎるのだ。 「家でも仕事はしてるから」 宗吾さんが困ったように笑う。 「那月と出会う前、少し仕事をしすぎていたからセーブするように秘書に言われてる」 だから、早めに帰ってきているんだ。 宗吾さんは、僕の頭を撫でながら言った。 それから仕事に出かけて行った。

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