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第58話

宗吾さんが帰ってきて、ハウスキーパーさんはうちに帰った。 ハウスキーパーさんのパートナーさんを今度紹介してもらうと言ったら、宗吾さんは何とも言えない顔をしていた。これは苦虫をかみつぶしたようなという表情なのだろうか。 それから、彼が食事をするのを反対側の椅子に座って眺める。 ココアか牛乳か、それ以外にもいくつか宗吾さんに買ってもらった飲み物をゆっくりと飲みながら彼が食事を摂ってい姿をぼんやりと見ているのは、飽きない。 それから一人でお風呂に入っる。 お風呂に入ることは好きだ。 最近好きなものが少しずつ増えてきた気がする。 雪の結晶の本に、チョコレート、はちみつの入ったホットミルク。 庭に植えられたアジサイに、それからぼんやりと光が家に差し込む感じ。 宗吾さんに撫でられること。 少しずつ好きなものが増えていく。 不思議な気持ちだった。 頭と体を洗って、ちょうど目の前にずぶ濡れになっている自分の姿が映る。 相変わらず貧相でなんのとりえもない淫魔がそこに写っていた。 だけど―― ハウスキーパーさんが言っていた僕が僕の事をどう思っているかという話が頭の中でリフレインする。 相変わらずの何も持っていない、何のとりえもない淫魔の僕だけれど、それをあまり恐ろしいと思っていない事に気が付いた。 何も無い所為で、捨てられてしまうかもしれないという不安にも似た恐怖が無くなっていることに気がつく。 鏡に映る僕にはなにも変わりがないのに、変な気持ちだった。 僕は、僕自身を疎ましく思ってないのかもしれない。 自分自身の存在を不安だと思っていない事に気が付いた。 それで、初めて僕があの人の事を好きになっていたのだと思い至った。 僕たちの、なのか僕のなのかはわからないけれど、セックスにまつわる性欲と恋愛感情があまり結びつかない生き方をしていたので気が付かなかった。 別にセックスができる人を淫魔は好きにならない。食事をしたからといって誰かを好きになることはない。 それはあのハウスキーパーさんの話の端々からも分かっていた。 僕たちはいわゆる性愛というものが多分ない。だって、性の部分は食事だから。 だけど、僕は宗吾さんが好きで、彼とセックスをしたいと望んでいる。 多分これからは彼とだけしたいと強く願ってしまうのかもしれない。 それが偏食というものなのかは自分でもよくわからない。

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