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あなたしかいない1

 社長との話し合いで2年の長期休暇をもぎ取った俺は、その日のうちにバンコク行きの片道航空券を予約し、当面の間住むホテルを予約してから小田島さんにメッセージを送った。  メッセージの内容は、バンコクへ行く日と現地での住むところを探すのを手伝って欲しいのと携帯電話の契約を手伝って欲しい、という内容だ。  銀行口座開設も手伝って貰おうかと甘えた考えを起こしたけれど、それはパスポートを持って行けばカタコトの英語でなんとかなるだろうと思い、それは自分ですることにした。  でも、携帯の契約は百歩譲って諦めるにしても、住むところだけはカタコトの英語ではどうにもならないと思ったからだ。  それに語学学校の申し込みなどもある。  きっとなんだかんだと小田島さんには色々手伝って貰うことになるだろう。  小田島さんは面倒見の良い人だから、俺が行けば仕事の合間や休みの日に色々と手伝ってくれるだろうことが想像できる。  もちろん、自分でできることは自分でするけど、それでも世話になってしまうだろうから、そこはなにかしらのお礼をしようと思っている。  そして俺は時間があるとスマホでタイの長期滞在について色々と見ていた。  それは体験談が多くて、バンコクでの暮らしについて、マンションやアパートについて、交通網について。  本当に色々な体験談が載っていて、小田島さんから聞いた話しと総合して、バンコクでの暮らしがはじめの頃より少し具体的に想像することができるようになっていた。  調べてみると語学学校も色々とあるようで、日本人向けに日本語で学べる教室もあるようだった。  日本語で学べるということは日本人が躓くポイントなども講師はわかっているだろうから魅力的だけど、生徒が日本人だけということは引っかかる点だ。  露出が増えれば増えるだけ、俺が城崎柊真だとバレてしまうだろう。いくら他人の空似だと主張したってわかってしまう人は出てくる。  確かに悪いことをするわけではない。でも、俺が身バレすることで周りに迷惑をかけないとは言い切れないし、俺は静かに暮らしたい。  だから日本人が多いのは仕方がないにしても、日本人ばかりというのはできるだけ避けたいポイントだ。  結局ネットではどの語学学校がいいのかはわからないので、小田島さんんが知っている情報とできれば直接自分で学校を見てみてから決められたら、と思う。  そしてバンコクでは日本人向けにどんな求人があるのだろうと簡単に探してみた。  これは、想像通り日本人観光客相手のツアー会社と日本食料理店での求人がほとんどで、後は小田島さんがやっている日本語講師だ。  でも、日本語講師だって日本語が話せれば誰でもできるわけではない。ということは俺の場合は日本語講師は除外されるから、ツアー会社か日本食料理店になる。  日本食料理店なら裏方はないだろうか。もし裏方仕事があれば、会う人が限られるので観光客に俺が城崎柊真だとバレることはない。  そうやって調べている間に颯矢さんは退院し、退院した翌日から颯矢さんの言葉通りに俺のマネージャーに復帰した。ほんとは氏原さんに、と思ったけれど、颯矢さんとの最後の思い出にと、颯矢さんにお願いすることにした。  でも、CM撮影後のスケジュールが真っ白なことには疑問を持たれたので、旅行に行くと適当に言った。旅行ではないけれど、日本を離れることは嘘ではない。  別に颯矢さんに隠す必要はないと思ったけれど、なんとなくほんとのことは言えなかった。まぁ、言わなくたってそのうちバレるんだけど。それでも、言えなかった。  ドラマの撮影が終わったから、バンコクへ行くまでは番宣が主な仕事なので、時間的余裕はあったので移住するにあたり、なにが必要かネットで色々調べてから用意をしていく。  向こうは一年中温かいから夏服だけを持っていく。それでも足りない分は現地で調達する。というより旅行と違ってほとんどのものを向こうで買い揃えるので、日本から持っていくのは当面の間使うものだけでそれほど多くはない。  結局、日本から持っていくものは大きいスーツケースとノートパソコンを入れたパソコンバッグの2つだけだった。  日本での家は、母さんが生きているときに購入したものだから、そのまま残すことができる。ただ、2年の間空気も入れないとどうなんだろうと思い、遠くて申し訳ないけれど静伯母さんには数ヶ月に一度空気の入れ替えをお願いした。  もちろんバンコクに2年間行くことに関しては、静伯母さんには話してある。もちろん颯矢さんのことは言えないから、母さんが死んでから、死ぬときに後悔が一つでも少ない人生を送りたいから、という理由だけを話した。  伯母さんはバンコクに2年も行くことを心配していたけれど、向こうに頼れる知人がいることを話し、マメに連絡する約束をしてなんとか納得してくれた。  心配性の伯母さんを説得するのは、社長を説得するのと同じくらい大変だったけれど。  でも、そうやって少しずつバンコクへ行く準備をしていった。  後は日本での仕事をきちんとこなしていくだけだ。

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