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第3話 犬耳幼子と白い青年 ③
すると――
「むぅ。いかん。あやつ沈めたままだった。この宿を事故物件にするわけには……」
スパァンと戸が開き、黒い影が遠慮なく踏み込んできた。
その影は突っ立っている自分を見るなり、目を丸くする。
「んおっ! びっくりした……。起きたか。というか、生きていたか」
……子ども?
青年も、現れた人物に目をぱちくりさせる。毛先や指先からぽたぽたと雫が落ちる。
背丈は自分の腰くらい。やわらかそうなぷにぷにした頬に、ぱっちり大きな瞳は宝石のように透き通った赤。
声が低かったのでお年寄りかと思えば、やけにふりふりの多い割烹着とお花の刺繍入りの三角巾が決まっているお子様だった。
「……」
口を開けて呆けていると、子どもはフンッと鼻息荒く近寄ってきた。
そしてそのまま、青年の足元をうろちょろする。じろりとした目つきで、色んな方向から見上げられ、青年はたじろぐ。
「ふうん? ふぅーん?」
「えっ……? えっと。あの……?」
じろじろ。
一通り見て気が済んだのか、割烹着のお子様は何事もなかったように入ってきた戸口へと去っていく。
これには慌てて手を伸ばした。
「え? ちょ、ちょっと待っ――」
呼び止めかけ、言葉が途切れる。諦めに似た表情が浮かび。頭が真っ白になる。
話しかけても、無駄。
そんなことは分かっている。
自分は幽霊だ。透明人間と言った方がしっくりするかもしれない。自分の声に、反応する人なんていないんだ。
瞳まで凍り付いていく。伸ばした手が、力なく垂れ下がっていく。
項垂れかけた時だった。
「うるさい。わかっとる。混乱しているようだし、話聞いてやるからこっちへ来い。茶ぁくらい出すぞ?」
手招きされ、青年は愕然とした表情をみせる。
俺は、俺は。会話がっ、成立したことなんて……!
頭の中はぐちゃぐちゃだったが、青年は素直に、ふらふらと少年のあとについていく。
すると――また天井が一瞬、視界に映った。
「目を覚ます」と古びた天井が見え、先ほどの割烹着のお子様が覗き込んでいた。
青年は状況がつかめないように視線をさ迷わせる。
それを見てお子様が困ったような、ホッとしたような顔を見せた。
「起きたか」
「あ、あれ? 俺は確か――」
湯気が充満した部屋から出ようとしたのは覚えている。そこからどうなったのか。やけに体がだるかったし、気を失ってしまったのだろうか。
落ち着いて混乱していると、お子様が口を開いた。
「んなぁ。お前さんよぉ。覚えてるか? 浴室から出る寸前で足滑らして、後頭部ぶつけたんだよ……。まったく、僕を笑い殺す気かい?」
「っ……」
すさまじい醜態をさらしたのは理解した。燃えるように顔が熱くなる。
盛大に笑われたようだが自分は今、ふかふかのお布団で横になっている。ということは、ここまで運んで寝かせてくれたということか。
――こんな小さな子が、俺を?
あれだけずぶ濡れだったのに身体は乾いているし、衣服も……着ていたものではなく、寝間着用のゆったりした浴衣に身を包んでいる。髪も湿っているがその程度だ。
理解が追い付かず放心していると、横から湯呑が差し出された。
「まあ。飲め」
「……」
湯気を立てる湯呑を見下ろし、口をパクパクさせる。
「? 茶は嫌いか?」
ニドルケは青年を見上げる。
青年は長いこと話していなかったみたいに、ゴホゴホッと咳払いした。
発した声も、掠れている。
「……あ、ありがと……俺は今無一文です」
「この茶は無料で提供しているものだから無料です」
もしかして頭打って馬鹿になったと思われているのだろうか。幼子はすごく分かりやすく簡潔に教えてくれた。
のそりと上体を起こすと、頭部が痛んだ。片目を閉じ、手を後頭部に添えると布のようなものが巻かれてあった。
「浴室は木製だから、石畳の風呂よりかは転んでも損傷は少ないと思っていたんだけど……。ま、うちの風呂でこけたの、お前さんが初だよ。オメデト」
「は……はは……」
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