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第5話 犬耳幼子と白い青年 ⑤
(だが落ち着け。捨てるにしても、情報を抜き取ってからの方がいいだろう)
未知は恐怖だ。得体のしれない物を住処の山に捨てたとあっては、落ち着いて眠れない。
うんざりしながらも、ニドルケはがじがじと白い棒を噛む。
「~~~っ。お前さん。なんであんなところで倒れていたんだい? もしかして、人族はああやって眠るのか?」
「……さっき舌打ちしなかった?」
「気のせいだ」
なんだ気のせいか。
フロリアは言いづらそうに視線をそらし、意味もなく壁や布団を見てみる。
「ええっと……。別に雪の中で寝る習性はないよ? その……あの、俺の住んでいた村が雪崩に潰されて。なにも、なくなってしまったから。行く当てもなく、うろついていたら迷って、力尽きてその」
「倒れていた、と?」
「は、はい」
ニドルケはふぅんと腕を組む。
その村とは人族の村だろうか。そんなものがあるなど聞いたことない。この世界に居場所のない人族が、身を寄せ合って暮らしていたのだろうか。
それにしても引っかかるな。こやつの態度。故郷が消えたというのに、けろっとしてやがる。まだ故郷が消えたという現実を受け入れてないのか。泣けないほど心が擦り切れてしまったのか。
ニドルケの尾がぺちぺちと畳を叩く。
「ではお前さんがその村の唯一の生き残り、というわけか?」
「さあ……? 村の人は雪崩が来るって騒いでいたけど、逃げ切れたのかは知らない」
「知らない?」
こやつ。同族に興味なさすぎではないだろうか。
人族とはこういうものなのか。まあ、物語の中でしか聞いたことがない伝説の種族と話しているのだ。分からないことがあって当然だろう。
フロリアはうんと頷く。
「俺はずっと檻の中にいたから。たまたま雪崩で檻が……壊れたというか壊したというか。ま、まあ、壊れたから、出てこられただけなんだ」
額を手で押さえるニドルケ。
――あー。違うわ。こやつ、奴隷や見世物にされていた口だ。
物語でも人族など、実験体か消耗品として雑に命を使われていた。彼らに人権などない。利用されるか殺されるかのどちらかだ。
言われてみれば、フロリアが最初に着ていた襤褸も、奴隷や浮浪児が着ているようなものだ。
「体温下がりすぎて凍るかと思ったよ。だから」
言葉を区切ると、にこっと微笑んだ。
「お風呂、気持ち良かったよ。あれ、お風呂って言うんでしょ? さっき思い出した。俺は水浴びしかさせてもらえなかったけど、村の皆はお風呂気持ち良いって言っていたから、気になってたんだ」
ニドルケは目を丸くした。
――なんか、想像と違う。
物語や伝承でぼろくそに言われていたから、どんなクソ種族かと身構えていれば。思いのほか普通……だな。
(邪気も何も感じん。会話するだけで寿命が削られるとか書いてあったのに、威圧や覇気もなにもない。どういうこと?)
威圧や覇気という点では、鬼族や竜の方が近寄れないほどバシバシ伝わってくる。
雪の中、倒れていたからか儚いのかと思えば、雪崩にあって普通に生きてやがるし……
「ようわからんな。お前さん」
「そう? それを言うなら君だって」
「ああ? 僕はいたって普通の赤犬族だよ」
悪伝説の種族と一緒にされても困る。
むくれるニドルケを尻目に、フロリアは湯呑を持つと、ふうふうと息を吹きかける。
「俺、こんなに喋ったの初めてだよ。無視せず会話してくれるなんて、君は変わってる」
ニドルケの耳がぴぴんと動く。
嘘は言っていないな。
あと、こやつ腹の音がさっきからうるさい。ろくなものを食べていないな。食べてないのにこの長身かよ。
(どうしたもんか。誰かに相談したい。でも姉ちゃんは今いないし。ううん……)
当初の目的通り捨ててくるか。いや、追い出すだけでもいいだろう。叩き出せば歓迎されていないと察して、勝手にどっか行くはずだ。
情報は抜き出せたし、もうこやつに用はない。
そう決めると、ニドルケはフロリアをきっと見上げた。
「あー……。何か食うか?」
「え?」
フロリアは目を白黒させる。
自分で言っておいて、ニドルケはがっくりと項垂れた。
別に宿の目玉である、ヒノキ風呂が褒められたのが嬉しかったとかではない。
ニドルケも孤独だったのだ。姉もおらず、話し相手もなく。どうしようもなく一人だった。
寂しいわけではないが、退屈で。夕陽を見ては、姉が帰るのを待つ日々に虚しさを覚えていた。
(フンッ。別に話し相手が欲しいとかじゃないし! そう。下僕がほしいなと思っていたところだし!)
よしよし。そうと決まれば退屈しのぎとして「使って」やろう。人権などない生まれながらに他種族の奴隷なのなら、僕が自由にしたっていいはずだ。
ニドルケは悪戯を思いついた子どもの顔で笑う。
「うちは見ての通り宿屋でな。ちょうど下僕……じゃなくて従業員が足らんと思っとった。ここで働かないか? 給金も出すし、飯も食えるぞ?」
「え……。い、いいの?」
信じられないといった顔をする人族に、気前よく頷いてやる。
フロリアはぐっと拳を握った。
「よ、よろしくお願いします!」
ニドルケはふてぶてしくふんぞり返る。
「うむ。では僕のことは、そうだな」
なんて呼んでもらおうかな? カッコよく大将とか、旦那とかも良いなぁ。
「ご主人様?」
犬なのに鳥肌が立った。
「やめろ! 気色悪い。ええと……、まあええわ。ニケと呼べ。良いな?」
姉ちゃんも僕のこと愛称で呼ぶ。
「ニケ、様?」
「呼び捨てでええわ。気持ち悪い」
「う、うん。ありがとう。ニ、ニケ。俺のことも好きに呼んでいいよ」
自分も愛称で呼ばれたいといった顔をする。期待に満ちた眼差しにめんどくせと思ったが、顔には出さずニケは二秒ほど考えてやった。
「ではフリーちゃん。仕事を教えてやるから、よく覚えるんだぞ?」
「っ、は、はい」
こうして、異種族同士の共同生活が始まった。
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