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第6話 食事

 宿の主であるニケはかまどの前に立つと、炊き立てのご飯をよそっていく。  あの人族には馬車馬のように働いてもらう予定だが、燃料を入れなくては、生き物は動かない。  箱膳(はこぜん)に飯を乗せるとひとつは両手で持ち、もうひとつは頭の上に乗せて運んだ。  これでは戸を開けられないので声をかける。足で開けてもいいが、姉に叱られたのを思い出す。 「おおい。フリーちゃん。開けとくれ」 「はい」  すぐに障子戸を開けたフロリアこと、フリーはぎょっとした。 「言ってくれたら運ぶのに」 「風呂場で転んだ者に飯を運ばせるほど、僕の心臓は強くない」  ばっさり切り捨てるとフリーはなにも言い返せずに項垂れ、なんとも言えない顔で座布団の上で胡坐をかいた。  膳を前に置いてやると珍獣を見るような目をしたので、多分ろくなものを食ってこなかったんだろうなと推量する。 「かまどのおこげを握った握り飯に、漬物、味噌汁。んで、これが川魚の塩焼きだ」  一つずつ指を差して説明していく。  魚は好物なので、つい尻尾が揺れてしまう。そちらにフリーの金緑石(きんりょくせき)じみた目が、野良猫のごとき速度で動いたのを感じ、ぶわっと毛が逆立った。 「え?」 「ん?」  咄嗟に尾を隠してフリーを睨むも、自覚がないのか本人はきょとんとしている。  動くものを見ると目が追ってしまうのだろうか。猫妖精みたいだなと思いつつ、ささっと離れて二枚重ねた座布団に正座する。  向き合う形で座る二人。  使用人と飯を食うなど馬鹿馬鹿しいが、ニケもまだ朝食を食べていなかったし、人族がどんなふうに飯を食うのか興味もある。  ――ひとりで食べても味気ないし、な。しょうがないから一緒に食べてやらんでもない。  心の中で言い訳を並べていると、正面の生き物が「待て」をされた犬のようにぼたぼたと涎を垂らしていた。吹き出すかと思った。  これはのんびりしていたら可哀そうだな。  笑いそうになるのを堪え、ニケは静かに手を合わせる。 「いただきます」 「い、いただきます」  食前に手を合わせるのは共通らしい。  お椀を手に取り、汁を一口飲みながら、フリーがどうするのか盗み見ることにする。  フリーはどれから食べようか迷いを見せ、やがて決まったのか焼き魚に手を伸ばした。  文字通り手で掴んで、頭からかじりつく。  ――はいはいはい。なるほど。そこからね!  半ば予想していたニケは落ち着いてお椀を膳に戻し、ぱんぱんと手を叩く。 「まったく。僕より野性的(ワイルド)に飯を食うんじゃない。お前さん。箸の使い方を知らないのかい?」 「はし?」  魚の尾もきれいに口の中へ消えていく。えっと。骨は? 「この二本の棒のことだよ。見たこともないんか?」 「むしゃむしゃ……。誰かが使っているのは見たことあるよ?」  膝歩きでフリーの元へ行き、長身を押しのけて箱膳の引き出しを開ける。そこには黄色い花模様の箸が収納されていた。 「へぇー。きれいだな。こんなきれいなものを使っていいのか?」 「使い方は分かるか?」  試しに渡してやると、フリーは初めて箸を持った幼児のように箸を二本纏めて握った。  お手本のような握り箸に、目まいのする思いだった。  ニケはフリーの背後に回ると、箸を正しく持たせてやる。 「んもう。いいか? まず一本は鉛筆のように持つんだ。……そう。そして二本目は親指の付け根と薬指の側面で支えるんだ。そうそう。うまいぞ。ん? コレ。僕の顔をガン見してないで手元を見ろ」  ぺんっと白い毛の生えた頭を叩く。 「は、はい」 「よし。……で、動かすのは鉛筆のように持った上側一本だけだ。これを上下に動かしてみろ」 「ぐぎぎぎぎ……」  まるで箸が鉄の棒かのように歯を喰いしばっている。まあ、初めはこんなもんだろう。  自分の席に戻り、お手本を見せるようにゆっくり魚を食べていく。 「今日は手掴みで食べてもええわ。んなことだろうと握り飯にしておいたし。でも、寝る前や暇なときに、箸の練習をしておけよ? 箸も使えない従業員を、お客様の前に出せない」 「ふんっ。はあ! くそう。うまく動かない」 「うっさいわ。聞いとんのか」 「……へ?」  すでに息が上がっているフリーに、ため息をつきなくなるのをぐっと堪える。 「な、なんでこんな難しいものを使っているんだ? 修行?」 「違うわ。最初のハードルこそ高いかもしれんが、箸って慣れたらめちゃくちゃ便利なんだぞ?」  きりわける・はさむ・つまむ・すくう・はがす・さく・はがす・はこぶ・まきつける・まぜる・ほぐす。ざっとわけても、二本の棒でこれだけのことが出来る。 「あと、魚をよく食べるから。骨が取りやすいぞ」 「骨……?」  愕然とするフリーに構わず、小さな口に漬物を運ぶ。その際、犬歯がちらりと覗く。  そりゃ、箸を持てたばかりの奴が細かな魚の骨を取る想像なんてしたら、こういう顔になるわな。  一日二日で習得しろと言っているわけじゃないから、そんな顔をするな。  フリーは箸をそっと置いて、握り飯を頬張っていく。 「美味しい……。持ち方って重要なの? 握って刺して食べたらダメなの?」 「うむ。持ち方は重要だ。まず、食人作法が美しく見える」  ニケは人差し指を立てる。 「食人……?」 「人肉食べるって意味じゃないからそんな目でこっち見んな。で、その二は共に食事をする方を不快にさせてしまうんだ。間違った使い方をしているとな」  米粒を口周りにつけたまま、フリーはきょとんとする。 「一緒にご飯食べてくれるだけで嬉しいのに、そんなことで不快になるヒトがいるのか?」 「うっさい黙れ。その三・正しく使うことで、自分の子どもに引き継がれる」  細かい説明は省くが、和食の礼儀は「箸に始まり箸に終わる」と言われるように箸を使うことは、いや、正しく箸を使えるだけで自慢できるし、食べやすさや対人関係においても利点しかない。  まあ、箸歴ゼロ年の人にあまり細かく注意して、箸が嫌いになられても困る。ニケはこの辺で口を閉じた。 「それはそうとこのご飯、美味しいな! かりかりしていて、なんか、止まらないぞ」 「あ、そう。おこげが気に入ったようでなによりさ」  子どもがいないようなので、その三には反応しなかった。ニケもまだ子を持つ年齢ではない、というか子どもなので、その三はピンとこないでいる。  偉そうに言ってはいるが全部、姉からの受け売りを話しているだけだ。  それでも、ニケはどこか気分が良かった。  何故気分がいいのかは分からない。きっと魚がうまく焼けたからだろうと、勝手に納得しておいた。

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