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第7話 着物

 食事を終えたニケは、衣類箱である葛籠(つづら)のふたを開ける。  竹製の葛籠は軽く、通気性が良く渋柿と漆の効果で湿度を保ち、防虫と抗菌までしてくれる優れモノだ。  中身の着物を引っ張り出し、突っ立っているフリーに合わせてみる。 「ううん。姉ちゃんの着物だけど、お前さんには似合わねぇな。白髪用に選んだ色じゃないからしょうがないとはいえ。お前さん専用の着物も必要だな」  フリーは姉より身長があるからつんつるてんになると思うが、いつまでも寝間着でいるよりはいいだろう。  何枚も着物を引っ張り出しては散らかしていくニケに、少し驚いたようにフリーは口を開く。 「お姉さん、いるの?」 「ン? ああ。今はいないがな。ちなみにこれ姉ちゃんのだから。粗末に扱ったら尻、ひっぱたくぞ」 「えっと。女物、の着物……だよね? これ」  姉は黄色い花柄を好んで着ていた。  ニケは手を止めて眉をひそめる。 「ああん? ヒトが着ていたものに袖を通したくない、とか言うんじゃないだろうな?」  そんなぜいたくを言うものなら、さっき捨てた襤褸(ぼろ)を拾って着せてやるぞ。  にらみつけると、フリーはそうじゃないと言わんばかりに手を振った。 「ち、違う違う。こんなきれいな着物を貸してくれるだけで、俺は嬉しいよ! ただ、その……」  言いづらそうに視線をさ迷わせる。 「なんだ? 尻尾穴が開いているのが気になるんか? そんなもん、帯を巻いてしまえば隠れるようになっている」  首を傾げるニケに、フリーは笑顔のまま口元を引きつらせて言った。 「俺、男なんだけど……」  ニケの私室を、静寂の静霊(せいれい)が横切った。  目を見開いて固まっているニケからすっと視線を外す。  秒針の張りが一周するほどそうしていただろうか、ニケはびしっと指差す。 「え? フロリアってどちらかというと女名やろ? だからお前さんは女だ」  決めつけられた。 「ちょっと待って! え? ど、どう見ても俺、男じゃん?」  自身の身体――胸や太もも――をぱんぱん叩いて抗議してくるが、異種族の性差など分からん。  これはニケがどうこうというのではなく、人間がその辺の犬や蝉を見てもオスかメスか判断できないのと同じである。  ぱっと見で分かるくらい、カブトムシくらい性差に差があり知名度があるならともかく、マイナーな生き物に「どう見ても~」とか言われても、「は?」以外の感想は出ないだろう。  腰まである白髪に金緑石の瞳。未踏雪を思わせる白い肌。すらりとした長身。顔立ちも端正なもので、同族から見ればフリーはさぞ人目を惹いただろう。  だが人間に「この牛さん、イケメンなんですよ~」と紹介しても真顔になるだけだ。美的感覚の違いなど責められるものではないし、異種族の美醜など分からなくて当然だ。  「何言ってんだこいつ」みたいな表情になるニケに、慌てて言い募る。このままだと完全に女認定されそうだ。 「この浴衣に着替えさせてくれた時、身体拭いてくれたんだろ? そ、そのとき、だ、男性器あっただろ? え? 見なかった?」  ニケは実にしれっと言う。 「見たけどキン〇マついてるメスの猿もいるし。お前さんもそれやろ?」 「ほがっ?」  変な声を上げて、フリーは膝から崩れ落ちる。なんか面白いなぁこやつ。 「これでええやろ。ほれ、着替えろ」  項垂れる白髪の上にぽいと着物を投げる。流石に着物の着方くらい知っているだろう……知っているよな? 「お前さん。着物の着方は分かるか?」 「着たこと……ないっす」  頭から布を被ったまま、立ち上がろうとしない。  ニケは「まったく」と呟き、がりがりと髪を掻いた。 「姉ちゃんの着替えを見ていたから、女性の着物の着せ方くらい分かるぞ。僕が着せてやろう、お嬢さん」 「だから男だってば!」  涙目で抗議するも、ニケの心には届かなかった。というか、関心が薄かった。異種族の性別など、お子様にとっては道端の雑草くらいどうでもいい。  ニケが選んだのは、緋色の着物。桃色や薄紫色の朝顔が咲いており、この季節に似合っている。常に雪に閉ざされていようと、今の季節は夏だ。 「髪が白いから、紅白で縁起が良さそうだぞ。うん!」  ふふんと胸を張るニケに、素直に礼を言った。 「うん。ありがとう」  目が死んだ魚のようであったが、礼を言ったのだから気に入ったのだろう。  涙を拭いながらフリーは訊いてくる。 「さらっと年下扱いされたけど、ぐしゅ、ニケの方が年下じゃないのか?」 「なに泣いてるねん。お前さんの年齢など知らん。ちなみに僕は八だ」 「えっ! そうなの? 随分しっかりしてるから、もうちょい上かと……!」  うるさそうに片耳を手で押さえつける。 「大声出すな、ど突き回すぞ。それと僕も男や、一応言っとく」 「えええっ!」  受け入れられない現実を連続で突きつけられたかのように叫ぶ。本当にうるさい。  そんなに年齢や性別にこだわるものなのか。人族って変わっとんな。 「それよりお前さんに与える部屋やけど。どうすっかな」  自分の部屋はそれほど広くない上に、いきなり得体のしれない生物と同じ屋根の下はともかく、同じ部屋はちょっと抵抗がある。  客室は――こやつは客じゃないしな。  父たちの部屋は物置と化しているし、残るは姉の部屋だけだが、勝手に部屋を貸していいものだろうか。  悩んでいると、フリーが片手を挙げた。 「軒下でも構わないよ?」 「よし。姉ちゃんの部屋貸したるわ。あまり物色するんじゃないぞ?」  自分の部屋を貸して、ニケが姉の部屋でという選択肢もあるが、いちいち物を取りに行くのが面倒だ。それに姉は困っている人をほっとけない性質だから、怒りはしないだろう。むしろよくやったと褒めてくれるかもしれない。  案内のために廊下を先導するニケの後ろを、ガン無視され目を点にしたフリーがついてくる。  とはいえ隣なので、すぐについた。  掃除以外で滅多に入らなくなった姉の部屋の障子戸を開ける。  日に焼けた調度品と、色褪せた畳。今は障子で閉ざされているが、丸窓を開ければ裏の畑が見える。部屋の隅にはきちんと畳まれた布団と小豆枕。  窓を開けて換気する。 「布団は好きに使ってくれ。ちゃんと干しているから問題ない。鏡と櫛は姉ちゃんのだから割ったり折ったり齧ったりするなよ? 障子も破かないでくれよ。壁にも穴開けないで。いいな?」 「そんな暴れたりしないよ?」  いーや。人族がどんな生き物なのかまだよく知らないので、言わせてもらう。 「でもいいの? お姉さんが帰ってきたら」 「そん時はお前さんを外に蹴りだすから問題ない」 「は、はい」  フリーはニケに向き直ると、ぺこりと頭を下げた。下げても頭は犬耳より上にあったが。 「では、この部屋を使わせてもらいます。ありがとう、ニケ」 「……」  やわらかくほほ笑むフリーに、口をへの字に曲げる。  フリーはどうしたと首を傾げた。 「ニケ?」 「ああいや。なんでもない」  伝承と違いすぎて心がもぞもぞする。本当に人族なのだろうかこのエノキモヤシ。  照れたように頬を掻いていると、突然フリーが震え出した。  隙間風に身を震わせるようなちょっとしたものではなく、残像が見えそうなほどの震えっぷりだ。おまけに顔色も悪く、額には汗を浮かべている。  身の危険を感じて、ニケは一歩下がった。 「ど、どうした?」 「うっ……」  フリーは腹部を手で押さえる。 「は、腹が……。ひ、久しぶりに、がっつり飯を食べた……から、かも」  ニケにまで聞こえるほど、ぐぎゅるるると腹が鳴った。あまり飯を与えられずサボりがちだった小腸大腸が大暴れしているのを感じ、額から滝のように汗が流れ伝う。 「あっ、駄目かも。も、漏らして良い?」  フリーの帯を掴んで叫ぶ。 「いいわけないだろ! 逆になんでいいと思った? 厠はこっちだ走れェ。姉ちゃんの着物汚したら干し柿にするぞ!」 「ほ、干し柿って、なに……?」  ばたばたと廊下を走り、厠に押し込め扉を閉めた。  客室の窓を開けて風を通していると、フリーが戻ってきた。二キロほど痩せた顔つきで、ふらふら歩いている。 「た、ただいま……」 「うわぁ」  素の声が出た。  こんなにしなびた生き物は初めて見る。 「顔色悪いぞ。今日はもういいから、部屋で休んでいろ」 「はひ……」  死にかけていたなど関係ない。初日から容赦なくこき使ってやるつもりだったが、こんな乾燥キノコみたいになっている奴が役に立つはずもない。  ため息をついて見送ったが、フリーはすぐに引き返してきた。 「あの……部屋の場所、どこだっけ?」 「こんな小さな宿で迷うな」

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