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第9話 衣兎族の集落 ②

 到着したのは比較的大きな集落。  立派なかやぶき屋敷が二つ。おそらく村長的な立場の者の家だろう。  あとは小さな民家がまばらに建つだけののどかで簡素なものだ。どの家も愛らしい半円型で、その上に雪が積もっているのでまんまかまくらであった。  夏エリアの近くということもあり雪は、凍光山にしては小降り。  畑は階段状に広がり、その周囲には獣避けのきついにおいを発する花が植えられている。ニケはそれを避けるように歩く。  放し飼いの雪鶏(ゆきどり)がのんきに歩き、半纏を着込んだ子どもが広場を元気に走り回っている。  そのうちの一人――うさぎ耳の女の子――がニケに気づくと駆け寄ってきた。 「あ。ニケちゃん。あそびに来たのー?」  その子どもに続き、わらわらと集まってくる。全員、ニケよりさらに幼い子どもたち。 「ニケだ」「ニケー。また風呂に入れてよー」「おかいもの? おかいもの?」 「ちょっと着物と生活用品をな。店は開いているか?」  月に何度か、麓で仕入れた商品を売りに来る商人の店があるだけで、開いているかいないかは、その商人次第だ。  基本は自給自足の集落だが、その商人がこないと困ることもあるので、定期的に来てくれると助かる。  訊ねると、子どもたちは顔を見合わせた。 「開いてないよー?」「そうそうー。母ちゃんがっがりしてたー」  ニケより幼い子どもたちが次々に言う。店が開いていないという事実に、ニケもがっかりした。 (ううむ。どうしたものか。いっそ山を下り、麓の街で買い物を……)  考えていると、うさ耳のお子様が「ねぇねぇ」と声をかけてくる。 「なんだ?」 「この白い人。誰?」  数歩後ろにいたフリーを指差している。お子様たちは無邪気なようでいて、フリーを見る目にはしっかりと警戒の色が滲んでいた。  ニケも目を向けると、白い人は膝に手をつき、ぜーはーと肩で息をしている。完全にバテていた。 「お前さんなぁ……。一時間と歩いてないだろ。だらしがないぞ」 「そ……そんなこと、言われても。げほげほっ! ……はあはあ。ニケ、歩くの速いし」  おかげで体温は上がったようだが、体力が尽きたようだ。 「お前さんがもやしなのは理解した」  子どもたちに向き直ると、うさ耳に付着している雪を払ってやる。 「こやつは僕の宿の従業員だ。雇ったばかりだが、よろしくしてやってくれ。――で、フリーよ。この子らは衣兎(ころもうさぎ)族。ほれ、挨拶せんかい」  尻を叩き、促すとようやく顔を上げた。衣兎族の子どもたちを見回し、呼吸を整える。 「は、初めまして。フリー……じゃなかった。フロリアです。フロリアと申します。よろしくお願いします。男です」 (だからなんで二回名乗るんだ?)  深々と頭を下げる下僕を腕組んで見守っていると、フリーはハッとしたような顔をした。  ――そういえば、種族も含めて答えるのが礼儀と言われたな。  ニケの言葉を思い出し、自分をまじまじと見上げてくる複数の目ではなく、頭上で動く獣耳に注目した。  ピンと立った白いうさぎ耳の子もいれば、ニケと同じ光沢のある毛色のうさ耳もいる。少し短めの耳もあれば、ぺたんと垂れている耳もある。  どれも等しく愛らしいものの、兄弟なのか他人なのか、フリーの知識量では判別つかなかった。 「えっと。自分は、自分の種族は」  人間です。と言おうとしたところで、飛来したニケの裏拳がみぞおちに直撃した。 「ぶっ?」  予想外の一撃に、フリーは腹を押さえてうずくまる。  ――???  明らかに威力が子どもに殴られたそれではない。湧きあがる「なぜ」という思いと共に、その力強さにおののいた。  よくニケがフリーという、倍以上背丈のある生物を掴んで引っ張っていたことを思い出す。 (力あるんだな。……で、これはどういうこと?)  驚きが勝ったのか、痛みはそれほどでもない。  ニケの言う通りにしようとしたのに、これはあんまりではないか。  フリーは困惑した表情で、犬耳幼児をわずかに見上げる。  ニケはそんな青年を見下ろし、フリーの耳に唇を近づけた。 (後で説明してやるから、黙ってろ) (?)  ちんぷんかんぷんだが、ニケはフリーの雇い主である。説明してくれるようだし、大人しく従っておく。  引き下がったフリーを尻目に、自身の着物に積もってくる雪を払う。 「こやつのことは気にせんでくれ。ではもう少し下の集落に行ってみようと思う。お前たち、外で遊ぶのはいいが、風邪ひかないようにな」  一番近くにいたお子様の頭をポンポンする。少し短い耳の子はにこっと微笑んだ。 「うん! ニケちゃんもね」「えー? ニケ、遊んで行かないのかよ? 遊んで行けよっ」  この中で一番お兄ちゃんであるたれ耳の子が、ニケの腕にぎゅっとしがみつく。  初対面時、それはもうクソガキだったのが嘘のようだ。あの時はニケもまだ幼かったので、腹が立ってケツを蹴ってしまった。それ以降、何故か懐かれてしまい内心戸惑っている。  もふもふのたれ耳を困った顔で撫でる。 「フリーは寒いのが駄目なようなんだ。急いでいく必要がある。……分かってくれるな?」  少しだけ屈んで目線を合わせる。 「ううー。ちえっ」  ここで逆らうとまたケツを蹴られると思ったのか、すんなり腕を放してくれた。姉ちゃんに叱られたし、もう歳下を蹴るような真似をするつもりはない。 「………………」  あと、フリーがこちらをガン見しているのがなんかとても怖い。  寒いから早く行こうという意味を込めた訴えだろうか? いや。違う気がする。そういうのではなく、どういうわけか、姉ちゃんが僕を褒めてくれる時にする眼差し似ている。 (姉ちゃんに見られてもこんな寒気はしないのに。何っ?)  瞬きもせずに見てくるので、頬に冷や汗が伝う。  なるべく目を合わせないように、さっと顔の向きを変えた時だった。 「あら。ニケちゃんじゃないか!」  温かみのあるでかい声に、全員揃って首を動かす。  民家から出てきたのは、着物に前掛けをつけた恰幅の良い女性だった。 「あ。おかあちゃん」  白いうさ耳の子がその女性に飛びつく。うさぎらしい見事なジャンプだった。  それを難なく受け止めた同じ色の耳の女性が、我が子をよしよしと撫で回す。 「あらあら。静かだと思ったら、ニケちゃんに遊んでもらっていたのかい?」 「うん! ニケちゃん、かいものに来たんだってー」 「あっらー。今日は店やってないんだよ」 「あ、はい」  さっき聞きました。 「何を買うんだい?」 「えっと。この下僕……じゃなくて従業員の着物と生活用品を揃えておこうと思いまして」  フリーを見た女性の顔がわずかに険しくなる。 「あらぁ。従業員? 身元はしっかりしてるの? ニケちゃんはまだ子どもだし、あたしゃ心配だわ」  例え四十度の熱が出ていようと、こんなモヤシに負けはしない。 「心配してくれてありがとうございます。大丈夫ですよ」  引き締めた表情で言うと、白いうさ耳の母はやれやれと目じりを下げる。 「なにかあったらすぐに言うんだよ? それと中に入りな。着物くらい、うちのを分けてあげるよ」 「え?」  ニケは目を丸くした。 「いやいや! そんなわけには……」  着物は高級品だ。  庶民が購入するのはもっぱら古着で、たとえ穴が開いても何度も縫って使う。どうしても着られなくなれば雑巾にして使い切る。  古くなったからと言って、すぐにぽい捨てできるものではない。  しかし白うさ母は、すたすたと家に入っていく。 「あー。ったく……」  がしがしと頭を掻くニケの顔をちらっと見ると、酷く嫌そうな顔を、ほんの一瞬浮かべていた。思わずニケの顔を覗き込む。 「ニケ?」 「なんでもない。来い」  フリーの腕を掴んでニケも家に入る。  子どもたちは「またねー」と手を振りつつて走って行く。まだ遊ぶようだ。  民家の入り口は低く、長身のフリーでは屈んで入らなければならなかった。  家の中だと思っていた空間には何もなく、物置のような乾いた空気が漂っている。どういうことだとぽかんとしていると、その空間のど真ん中に穴が開いており、覗くと階段が地下に伸びている。  この部屋で雪を払い、笠を壁にかけ、下駄は履いたままでニケの後に続き階段を下りていく。  階段を折り切った先では、行灯の優しい光が漏れ、一階とは違い生活感あふれる空間が広がっていた。  板間の奥に畳の部屋がある小ぢんまりしたものだが、温かい空気に満ちている。  壁には古臭いお面が飾られ、笑っているようにも、怒っているようにも見えて、直視するのを躊躇ってしまう。その他には古そうな箪笥に小さな炊事場。子どものおもちゃが散らばり、障子のいくつかが破けている。まさに、「やんちゃな子どもがいるおうち」といった微笑ましさがある。……あのお面さえなければ。 「おい。下駄はここで脱げよ」 「あ、はい」  すのこの上でサイズの合っていない下駄(ニケの姉のもの)を脱ぐと、フリーは四つん這いになった。何をしているのかというと、天井が低いのだ。普通に歩くとフリーの髪で天井掃除をしてしまい、大量に埃が舞うだろう。衣兎(ころもうさぎ)族は小柄な種族なのかもしれない。  そのまま部屋の中、火が揺れる囲炉裏目掛けて進もうとすると、ニケが素早く近寄ってきた。 「ッ、ニケ?」  瞬きもせず近寄ってくる。  先ほど殴られた記憶がよみがえる。  またなにかやってしまったのかと気持ち身構えていると、ニケはよいせとフリーの背中に跨った。背中にあたたかい重みが加わる。 「へ?」  思わず裏返った声が出る。  ニケは堂々と腕を組むと、偉そうに頷いた。 「構わん。進め」 「ほあっ?」  何が「構わん」なのだろうか。突然の事態に固まっていると、白うさ耳幼女がぱたぱたと駆け寄ってくる。その目は完全に「いいおもちゃ」を見つけたように輝いていて、フリーは嫌な予感がした。 「あー。いいなー、いいなー! わたしものりたいっ」  許可を求めているようで、すでに乗ろうと半ば足を引っかけてくる。ぐいぐい髪を引っ張られ、ニケの下から「いてぇいてぇ」と聞こえる。  ニケはもったいぶって顎に手を添え、考える素振りをする。 「うーむ。どうしようかなぁ。これは一人乗りだからな~」  その前に乗り物になった覚えがありません、というフリーの訴えは無視された。 「ええー? ニケちゃんのけちんぼー」  うさ耳幼女はむぅと頬を膨らませると、母の方を向いてフリーを指差した。 「おかあちゃん。わたしもこれほちい」 「あらあら。ずいぶん仲良しなのね」

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