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第10話 衣兎族の集落 ③

 奥から着物を引っ張り出してきたうさ耳母が、その光景ににこにこ笑う。  それを見て、フリーはハッとする。  ――もしかして、ニケは俺の警戒を解くためにこんなことを?  明らかによそ者を見る目つきだったのが、随分やわらいでいる。  ニケの気遣いに目頭が熱くなる。感動していると、尻を思い切り叩かれた。スッパアンと良い音が響く。 「いったい!」 「ぐずぐすするな。ほれ。進めフロリア号」 「フロリア号⁉」  あーこれ違うな。ただ目の前に四つん這いになっている馬がいたから乗ってみたくなっただけだな。 (しっかりしてるけど、子どもっぽい所もあるんだな)  感動を返してほしい。  まあ、雇い主が進めというのだからそうしよう。  フロリア号はのたのたと、よそ様の家の居間をぐるりと一周する。途中で尻に重みを感じたので振り返ってみれば、白耳うさ子が座っているではないか。落ちないようにニケの腰に手を回し、きゃっきゃとはしゃいでいる。  そうこうしていると、白耳うさ子の母は古着とは別に、人数分のお茶と切った果実を盆にのせて運んでくる。 「はい。この果物、ニケちゃん好きよね? 食べてって」 「うーむ。着物を貰えるうえに、果物まで出されては、こちらもなにかお返しをしなくてはなりませんね」  人の上で真面目に悩む犬耳に、彼女はあらあらと笑う。 「いいのよぉ。おばあちゃんが腰痛めた時、ニケちゃんお風呂に入れてくれたじゃない。そのお返しよ」  申し訳なさそうにニケは片目を瞑る。 「それではありがたく受け取っておきましょう」  ニケは馬から下りて、差し出された座布団に座る。弾力もないせんべい座布団だが、板の間ではありがたい。  畳の間では「おばあちゃん」が横になっているようだし。  そちらを見もしないでお茶を啜るニケに、ようやく解放されたフリーが疲れたように肩を回す。そしてさっと囲炉裏の炎に手をかざした。 「それで、このお馬さんの着物が必要なのよね?」 「ふ、フロリアと……申し」 「うむ。この馬、どんくさいので、姉ちゃんの着物があっという間に駄目にされてしまいそうで。古着でも、と」 「ニケっ?」  泣きそうな声で抗議するも、うさ耳母とニケにいないかのように流される。うさ耳子はもりもりと果実を頬張っている。 「それなら。うちの旦那の着物をあげるよ。きれいなものじゃないし所々破けているけど、繕えばまだまだ着られるはずだよ」 「構いません。どうせ馬が着るのですから」  雑に扱われて、部屋の隅でフリーはさめざめと泣く。鬱陶しいなと思いつつ着物を見せてもらう。  生活用品もいくつか分けてもらい、これで目的は達成した。 「それでは引き上げます。今日はありがとうございます。また、いつでもうちの風呂に入りに来てくださいね」 「ええ。そうさせてもらうわ」 「ニケちゃん。お馬さん。ばいばーい」  にこやかに見送られ、ニケと半泣きのフリーは集落を後にした。  雪は、止みそうにない。  もと来た山道を戻る。 「出費を抑えられたのは嬉しい誤算だった」  荷物は全部フリーに持たせているので、ニケは手ぶらだ。その数歩後ろを、膨らんだ風呂敷を抱えたフリーがよたよたとついてくる。  帰る際、衣兎族の大人が何人か駆け寄ってきてお土産をくれたので、荷物が増えたのだ。 「ニケはあの集落のヒトたちに、好かれているんだな」  あれだけの好待遇だ。詳しくは知らないが、ニケの宿の常連とかなのだろう。  小さなうさ耳たちが湯船につかっているところを想像し、フリーはふふっと笑う。  しかし――返ってきたのはどこか冷たい声だった。 「僕はあの集落を好いてはいないがな」 「え?」  聞き間違いかと思い、足を速めてニケの横に並ぶ。顔を見ると、怒っているわけでもなく、普通の表情だった。 「ニケ?」  ニケは周囲に誰もいないかを確かめるように耳を震わせると、なんでもなさそうに言う。 「あまり「あいつら」に気を許すなよ? 長いことこの山に住み着いている者たちだ。古い習慣(しきたり)を大事にしていて、その……口に出せないことを平然とやっている」 「……」  目を見開いて、ニケの横顔を見つめる。 「え? そんな風には全然……」 「例えば、だが。「双子は不吉」とか「初潮がきたら長の家に預ける」などは序の口。僕たちからすれば、正気か? と言いたくなるようなことを、当たり前としている」  犬歯を見せて欠伸をするニケ。  だが語られる内容に、フリーはしばらく何も言えなかった。 「……っ」 「ああ、勘違いするなよ? 衣兎(ころもうさぎ)族すべてがそうってわけじゃない。ま、歴史の長い一族なんかによくある「歪み」だ。さらっと流しておけ」  軽く手を振るニケだが、笠に手を添えフリーはそっと背後を振り返った。  続く白い山道。もう集落は見えず、静かな山の中だ。だが、自分が酷く歪んだ場所にいたのだと自覚した途端、何の変哲もない山の木々が恐ろしく思えてきた。  風の音だけがやかましく響く。  二人は宿に着くまで、一言も発しなかった。

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