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第11話 魔九来来 ①
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「男物の着物だああぁー」
宿に帰るなり着替えた従業員が、両手をあげてなんか叫んでいる。
無地で地味な色の袴姿になったフリーは、荷物を整理しているニケの元へ上機嫌で向かう。両手をあげたまま。
「ニケ~。見てくれ。似合う? 似合う?」
「あー似合う似合う」
二人の温度差がすごい。
愛想ゼロで返すも聞こえていないようで、その辺を野兎のように跳ねまくっている。
言われていた通り、貰いものの着物は多少破けてはいた。でも破けているのは主に袖や裾のあたりなので、尻丸出しという悲劇は起こっていなかった。
「というか、男物の着物って……。布に性別などないぞ? 袴は女性も普通に身につけるし。それかあれか? 人族は布に性別を求める変態なのか?」
真顔で訊ねられ、フリーの動きが面白いように止まる。
「え? あ、いや、そのぅ。それはそうなんですがなんといいますか……あの」
訊ねておいてたいして興味もないのか、従業員に裁縫箱を渡す。
「ほれ。これで穴を塞いでしまえ」
「………………」
裁縫箱を持って立ち尽くすフリーに、ニケは何かを思い出したように額を押さえた。
「あ~……えっと。裁縫をした経験は?」
「さいほう、って何?」
こういった雑用などまさに奴隷の仕事だろうに、存在すら知らないとはどういうことだ?
(任せられないほど不器用だったとか?)
こやつ、奴隷としてひとつでも何か役に立ったのだろうか? 奴隷のことには詳しくないが、でなければ使えない奴隷など、殺されていてもおかしくはない気がする。
その辺はおいおい聞いていくとして、今は仕事を覚えさせよう。置物より価値がない現状を打破し、フリーを使える奴隷へと進化させるのだ。
(これで物覚えまで悪かったら捨ててしまおう)
「拾わないでください」と書いた箱に詰めて捨てよう。
裁縫箱を開けて中身を物色しているフリーに近寄る。
「僕がいろいろ教えるから、ちゃんと覚えるんだぞ? 分からないことがあれば、聞くように」
「はい!」
元気いっぱいに頷く。よほど男物の着物が嬉しかったのだろうか。やる気があるのはいいことだ。
ニケは手を叩く。
「とは言ったが裁縫は後回しにしよう。僕も畑仕事をせにゃならん」
悲しいが、宿の収入だけでは食べていけないので兼業している。
「ほれ。これはお前さんの分だ」
手渡されたもんぺを履き、外へ向かうニケに慌ててついていく。
宿のすぐ裏は畑だった。
かなり大きい。
山の斜面にあるので、坂道をてってっと下っていく。遮るものがなく、凍光山を一望できる。いままでよほど狭い世界にいたらしい、フリーの口から感動の吐息がこぼれた。
「ほう……。すごい。目がくらみそうだ」
「斜面四十度あるからな。コケないでよ。どこまでも転がっていくぞ?」
「もっと傾斜あるように感じるよ。って、そんなに何度も転ばないって」
畑の手伝いはやらされたことがあるようで、農具に関しては一通り知っていた。これにはニケもホッとする。
「よっしゃ。斜面にあるから土が下がってくるから。まずは土を上げる作業からしよう」
「はい。ところで何を育てているの?」
作業の前に作物の説明をしておくべきだな。
ニケは畑を囲うように咲くフロリアの花と、幅を利かせてきた雑草を跨いで畑に入る。また草むしりせんと。そうだフリーにさせよう。
「空芋(そらいも)だよ」
片手持ちの熊手でおもむろに土を掘り返すと、ピンボールサイズの芋がちらっと見えた。
同じようにフリーもしゃがんで覗き込んでみる。ちなみに二人とも長靴に、首回りもカバーできる手ぬぐいを巻きつけ、園芸用の手袋装着という姿。
ただでさえ農業は日に焼けるのに、日陰のない高所にいるのだ。このくらいしないとすぐ真っ黒になる。日焼けは軽いやけどなので、防ぐにこしたことはない。と、知り合いの薬師がおっしゃっていた。
「平地では育たず、空に近い山でしか育たない作物で、そんなに数は採れないが食べると体力がつく」
「へえ。俺でも山道走り回れるようになるくらい?」
「知らん。でも知名度がまだまだ低くて、売れ行きは芳しくないなぁ」
手についた土を払いながら、膝に手をつくことなく立ち上がる。
「そうなんだ」
「知名度を上げたいが芋は見た目も地味だし。この辺もなんか考えないとな、とは思っているが。何も浮かばん。そしてあっちは……」
フリーの腕を掴んで「こっちこっち」とさらに下っていく。
「空芋の畑の下では、花を育てている。湯煙花(ゆけむり)という花で……これは知ってるか?」
「初耳」
首を振るフリーに、説明面倒くさいなぁという顔をした。
それでも、スラスラ語る様はどこか得意げでもあった。
「湯煙花(ゆけむり)は湯船に浮かべると精神を落ち着ける香りを放つ上に、肌をきれいにする成分が滲みだす。鮮やかな紫の色をしていることもあって、こちらは知名度全国区だ」
「へえ~。ニケの風呂もこれ入れたりするの?」
「追加料金必要だけど、要望があったら入れるよ」
フリーは興味深そうに湯煙花の幹を眺め、「あれ?」と首を傾げる。
「紫の花は?」
「花が咲くのは秋口じゃおたんこなす。まあ、人気なせいで、あちこちで栽培されとるから、希少性もないし値段も安いがな」
季節が固定されているとはいえ、秋になると多少気温が下がるので、その頃に気合いで花が咲いてくれる。
首にかけた手ぬぐいで汗を拭いつつ、ふんふんと頷く。
「でさぁ、ニケ」
「なんや?」
目を向けてくる幼児に、フリーは畑をぐるりと見渡す。
「畑……広くない?」
視界一面畑、というわけではないが、夏エリアぎりぎりまで広がっている。素人のフリーが見ても、これは一人でどうこうできる規模ではないというのが分かる。
自分と畑を交互に見てくるフリーの斜め前に立ち、さりげなく日よけにする。
「畑は半分に分けて使っている。右半分は春~夏用の作物を。左半分は秋用の畑……と出来たら理想なんだが、ここは季節が初夏に固定されているので、右を収穫したら土を休ませるために左を使う、を繰り返している」
「なるほど。半分ずつ使っているのか、それなら……」
納得しかけて、いやいやと首を振る。
「半分でも一人じゃきついって! 分身でも出来るの?」
「誰が忍者や。湯煙花(ゆけむり)はともかく、空芋(そらいも)は世話が比較的楽な方だ。台風が来ても水に浸かっても、平然と生き残っとる時もあるしな」
ここは斜面なので、水に浸かるということはまずない。
「そこまで細々と面倒見なくとも、勝手に育つわ。なので、僕は湯煙花に気を遣っていればいい」
それなら畑の四分の一で済む。
とはいえ、空芋は完全放置で良し、というわけでもないので、楽ちんというわけにはいかない。
フリーが使えるようになれば、かなり負担は減る(予定)。
「へぇ~。そうなのか」
感心した風にしゃがんで、空芋の葉をちょいちょいとつつく。
そのせいで日かげが消えたので、ニケは舌打ちを我慢しなくてはならなくなった。
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