16 / 86

第16話 ヒノキ風呂

 砂糖味噌の染み込んだ空芋はほくほく甘くて香ばしくて、焦げた部分がちょっぴり苦かった。人参は甘み強くなり、魚はご飯を渇望させる味だった。当分忘れられそうにない。この思い出だけで白米三杯は食える。  それらは竹串で刺して、ぱくぱく食べた。ニケは箸を使っていた。  味噌がべったりついた石は川の水で洗い、かまどは崩して石はその辺に投げておく。 「組み立てたままにしといたら駄目なの? 毎回作るの、面倒臭くない?」 「この山は僕の物ってわけじゃない。なるべく元の形に戻すべきだ」  って、姉ちゃんが言っていた。 「ええ? じゃあまた重い石運んだり重い味噌や、野菜持ってきたりしなくちゃいけないってことぉ?」 「おう。文句あんのか?」  ドスの利いた声を出すと、フリーはブンブンと首を振る。 「ありません。喜んで働かせていただきます」  あの高速スイングを見た後では、到底逆らう気になれない。  汚れたお椀や食器は川の水で洗い、風呂敷に詰める。そしてフリーの背に括り付ける。 「あ、俺が持つんですね?」 「嫌なんか?」 「喜んで持ちます」  フリーの手を掴んで、宿への坂道を上っていく。  出来の悪い家畜でも率いている気分だった。  まだまだ明るい夕方の空を見上げ、ニケは耳と鼻をすんすんと動かす。 「こりゃ、明日は雨だな」 「え?」 「雨のにおいがする」  つられてフリーも空を仰ぐ。青く晴れた夕方の空には、薄い雲がいくつか浮かんでいる。 「味噌のにおいしかしないけど」  ポツリと呟くと、ニケはジトッとした目つきで振り返った。 「お前さん……。天気読み出来ないのか?」 「天気、読み? なんだそれ」  フリーにため息をつこうとして堪える。 「なるほど。人族は空気も読めないし天気も読めない、と。理解した。覚えておく」 「待って? 何の話?」  背後からの慌てた声を聞き流す。そんなことより明日、洗濯物が干せないことの方が重要だ。  二人とも味噌を焼いたにおいが髪や着物に染みついているはずだ。いや、絶対染みついている。  ならば風呂は当然として、洗濯もしなければならない。鼻が利く種族なので、余計そう思う。というか匂いは絶対に取るという、使命感じみた炎が燃え上がっていた。 「一番風呂は譲ってやるから、帰ったら真っ先に入れよ」 「え? 一緒に入ろうよ」  何気なく言ったであろう言葉に、ニケはやれやれと首を振る。 「慎みを持て、お嬢さん。異種族とはいえ男と風呂に入るなんて。嘆かわしいぞ」 「すぅー」  フリーは大きく息を吸った。 「だから男だってばああぁ!」  フリーの渾身の魂の叫び――ただし相手の心には届かない――が、凍光山(とうこうざん)に響いた。 ♦ 「ふぅ……」  フリーはひとり、ヒノキ風呂に浸かっていた。  大声を出したせいでニケに肘打ちをもらったが、あれは果たして俺だけが悪いのだろうか。ニケ的には鳩尾に肘を入れたかったのだが、身長的に届かず、太ももに打ち込む羽目になった。  明日絶対にあざになっていると、遠い目をする。  ここまでされて、ニケに文句の一つも言わないのは、追い出されたら生きていけないのと、彼の方が強いということもあるが…… (……)  ちゃぷっとお湯から出し、自分の手のひらに視線を落とす。  小さい手が、ずっとフリーの指を掴んでいたせいだろうか。  ふとした何気ない拍子に、ニケは酷く寂しそうな顔をする。迷子になった子どものように。  しっかりしているが見た目はどこからどう見ても幼児だ。子ども嫌いなら別だが、大抵の大人は子どもが泣きそうな顔をしていたら、なんとかしなくてはと思ってしまう。 「はあ」  多分、その姉とやらが帰ってくれば解決するのだろう。でも、自分にはどうしてやることも出来ない。 ため息をもらし、浴槽にもたれる。溺れた記憶が鮮明なため、右手はがっちりと縁を掴む。  充満する白い湯気。ヒノキ独特の香りは胸いっぱいに吸い込む。 「ふう」  束ねた髪の先から水滴が落ちる。束ねるのに使った紐も姉のものらしい。 『引き千切ったり噛み千切ったりしたら、許さんぞ』  ニケの中で自分はいったいどんな生物になっているのだろうか。  白と黄色の糸が編み込まれた美しい紐で、恐らくフリー程度の腕力で引っ張ってもビクともしないだろう。  ちなみに、風呂に入る時は髪を束ねるというのは、ニケから教わった。  そのまま入ろうとしたら注意されたのだ。 「あー。気持ちいいー」  働いた後だからか、余計にそう思う。  両足を投げ出す。少し熱めのお湯に肌がチリチリする。  開け放たれた窓から夜風が忍び込んでくる。火照った頬に心地よい。  幸せすぎてこれは夢なんじゃないかと、嫌な気持ちが沸き上がる。目が覚めたら、自分はまた冷たい檻の中にいて、これはそんな自分が見ている哀しい夢なのでは――と。 「まあ、別にいいか」  夢だったのなら、現実にすればいいだけの話だ。お風呂という幸せを知ったからには、自分はもう今までのように檻の中で大人しくは出来ないだろう。何が何でも出ようとするはずだ。 「あ」  そういえば、「名と共に種族を答えるのが礼儀」と言われたから名乗ろうとしたのに、裏拳もらった理由をまだ聞かされていなかった。 (風呂から出たら聞いてみるか……)  考えたいことは色々あったが、今は頭空っぽにして、口元まで浸かるのだった。  ブクブク。 「ばびぼ~(サイコー)」

ともだちにシェアしよう!