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第16話 ヒノキ風呂
砂糖味噌の染み込んだ空芋はほくほく甘くて香ばしくて、焦げた部分がちょっぴり苦かった。人参は甘み強くなり、魚はご飯を渇望させる味だった。当分忘れられそうにない。この思い出だけで白米三杯は食える。
それらは竹串で刺して、ぱくぱく食べた。ニケは箸を使っていた。
味噌がべったりついた石は川の水で洗い、かまどは崩して石はその辺に投げておく。
「組み立てたままにしといたら駄目なの? 毎回作るの、面倒臭くない?」
「この山は僕の物ってわけじゃない。なるべく元の形に戻すべきだ」
って、姉ちゃんが言っていた。
「ええ? じゃあまた重い石運んだり重い味噌や、野菜持ってきたりしなくちゃいけないってことぉ?」
「おう。文句あんのか?」
ドスの利いた声を出すと、フリーはブンブンと首を振る。
「ありません。喜んで働かせていただきます」
あの高速スイングを見た後では、到底逆らう気になれない。
汚れたお椀や食器は川の水で洗い、風呂敷に詰める。そしてフリーの背に括り付ける。
「あ、俺が持つんですね?」
「嫌なんか?」
「喜んで持ちます」
フリーの手を掴んで、宿への坂道を上っていく。
出来の悪い家畜でも率いている気分だった。
まだまだ明るい夕方の空を見上げ、ニケは耳と鼻をすんすんと動かす。
「こりゃ、明日は雨だな」
「え?」
「雨のにおいがする」
つられてフリーも空を仰ぐ。青く晴れた夕方の空には、薄い雲がいくつか浮かんでいる。
「味噌のにおいしかしないけど」
ポツリと呟くと、ニケはジトッとした目つきで振り返った。
「お前さん……。天気読み出来ないのか?」
「天気、読み? なんだそれ」
フリーにため息をつこうとして堪える。
「なるほど。人族は空気も読めないし天気も読めない、と。理解した。覚えておく」
「待って? 何の話?」
背後からの慌てた声を聞き流す。そんなことより明日、洗濯物が干せないことの方が重要だ。
二人とも味噌を焼いたにおいが髪や着物に染みついているはずだ。いや、絶対染みついている。
ならば風呂は当然として、洗濯もしなければならない。鼻が利く種族なので、余計そう思う。というか匂いは絶対に取るという、使命感じみた炎が燃え上がっていた。
「一番風呂は譲ってやるから、帰ったら真っ先に入れよ」
「え? 一緒に入ろうよ」
何気なく言ったであろう言葉に、ニケはやれやれと首を振る。
「慎みを持て、お嬢さん。異種族とはいえ男と風呂に入るなんて。嘆かわしいぞ」
「すぅー」
フリーは大きく息を吸った。
「だから男だってばああぁ!」
フリーの渾身の魂の叫び――ただし相手の心には届かない――が、凍光山(とうこうざん)に響いた。
♦
「ふぅ……」
フリーはひとり、ヒノキ風呂に浸かっていた。
大声を出したせいでニケに肘打ちをもらったが、あれは果たして俺だけが悪いのだろうか。ニケ的には鳩尾に肘を入れたかったのだが、身長的に届かず、太ももに打ち込む羽目になった。
明日絶対にあざになっていると、遠い目をする。
ここまでされて、ニケに文句の一つも言わないのは、追い出されたら生きていけないのと、彼の方が強いということもあるが……
(……)
ちゃぷっとお湯から出し、自分の手のひらに視線を落とす。
小さい手が、ずっとフリーの指を掴んでいたせいだろうか。
ふとした何気ない拍子に、ニケは酷く寂しそうな顔をする。迷子になった子どものように。
しっかりしているが見た目はどこからどう見ても幼児だ。子ども嫌いなら別だが、大抵の大人は子どもが泣きそうな顔をしていたら、なんとかしなくてはと思ってしまう。
「はあ」
多分、その姉とやらが帰ってくれば解決するのだろう。でも、自分にはどうしてやることも出来ない。
ため息をもらし、浴槽にもたれる。溺れた記憶が鮮明なため、右手はがっちりと縁を掴む。
充満する白い湯気。ヒノキ独特の香りは胸いっぱいに吸い込む。
「ふう」
束ねた髪の先から水滴が落ちる。束ねるのに使った紐も姉のものらしい。
『引き千切ったり噛み千切ったりしたら、許さんぞ』
ニケの中で自分はいったいどんな生物になっているのだろうか。
白と黄色の糸が編み込まれた美しい紐で、恐らくフリー程度の腕力で引っ張ってもビクともしないだろう。
ちなみに、風呂に入る時は髪を束ねるというのは、ニケから教わった。
そのまま入ろうとしたら注意されたのだ。
「あー。気持ちいいー」
働いた後だからか、余計にそう思う。
両足を投げ出す。少し熱めのお湯に肌がチリチリする。
開け放たれた窓から夜風が忍び込んでくる。火照った頬に心地よい。
幸せすぎてこれは夢なんじゃないかと、嫌な気持ちが沸き上がる。目が覚めたら、自分はまた冷たい檻の中にいて、これはそんな自分が見ている哀しい夢なのでは――と。
「まあ、別にいいか」
夢だったのなら、現実にすればいいだけの話だ。お風呂という幸せを知ったからには、自分はもう今までのように檻の中で大人しくは出来ないだろう。何が何でも出ようとするはずだ。
「あ」
そういえば、「名と共に種族を答えるのが礼儀」と言われたから名乗ろうとしたのに、裏拳もらった理由をまだ聞かされていなかった。
(風呂から出たら聞いてみるか……)
考えたいことは色々あったが、今は頭空っぽにして、口元まで浸かるのだった。
ブクブク。
「ばびぼ~(サイコー)」
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